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七禍島の第八の死者  作者: アコンプリスの人


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7/12

第六章 死者の名簿

 黒羽宗一郎の部屋には、衣服より図面が多かった。

 七禍館の平面図、断面図、設備図。二十一年前の工事日報。島の旧所有者名簿。事故当時の新聞記事。いずれも開発会社の責任者が業務で集めた範囲を越えている。

 机の中央に、一枚の解体計画図があった。

 赤線で囲まれた範囲は、七禍館のほぼ全域。

 保存予定は、玄関の名板だけ。

 その名板にも修正指示が入っている。

 鳳悠一――削除。

 代わりに、空欄を置く。

「名前を消そうとした?」

 二階堂が訊く。

 鳳は図面を見たまま答えた。

「死者としての名前を、です」

「兄だと思う?」

「思います」

「証明は?」

「まだありません」

「いい答え」

 二階堂は机の引き出しを開けた。

 中には、未送信の封筒が一通あった。

 宛名は鳳恭介。

 真壁が手袋を替え、封を確認する。糊付けはされていない。中には便箋ではなく、古い建築用トレーシングペーパーが入っていた。

 七禍館の断面図。

 地下の一室に丸がつき、横に短い言葉がある。

 ――恭介へ。壁の厚さを信じるな。壁を厚くした理由を見ろ。

 鳳の指が震えた。

「兄の字です」

「二十一年前の字と比較する」

 真壁が言う。

「はい」

 鳳はそれ以上触れなかった。

 未送信の封筒は一通だけではなかった。

 机の最下段に、青い図面箱がある。

 鳳が蓋へ手を掛け、途中で止めた。

「開けてください」

 真壁が言う。

「僕が?」

「宛先はお前だ。だが証拠でもある。俺が立ち会う」

 鳳は頷いた。

 箱の中に、五通の封筒が年代順に並んでいる。

 事故の翌年。

 五年後。

 十年後。

 十五年後。

 そして今年。

 どれにも切手はない。

 最初の封筒には、便箋が一枚だけ入っていた。

 ――恭介。生きている。いまは帰れない。

 署名はなかった。

「これだけ?」

 二階堂が訊く。

「生きていると伝えるだけなら、送れたはずです」

 鳳は紙を見た。

「送れば、差出場所がわかる」

 真壁が言う。

「当時は家族も監視されていた可能性がある」

「最初の数年は、ですね」

 鳳の声は平らだった。

 二通目は、黒羽宗親の病状と、養子縁組の経緯が書かれていた。

 ――俺を助けた人がいる。その人の息子として生きる。鳳の名を捨てるわけではない。でも、二つの家のどちらにも、半分だけ戻ることはできない。

 文章は途中で切れ、最後の三行が黒く塗り潰されている。

 斜光を当てると、筆圧だけが残っていた。

 ――父さんと母さんに、俺は死んだままでいてほしいと言えるのか。

 ――お前に、兄は生きているが帰らないと伝えて、何を待たせるのか。

 ――決められない。

「決められないから、知らせなかった」

 鳳が言った。

「それも決めたことになります」

 誰も反論しなかった。

 三通目には父の死亡記事と、実家の電話番号、同じ夜の七つの時刻が書かれていた。

 公衆電話で受話器を取り、最後の番号を押せずに戻った時刻なのかもしれない。

 最後に一文だけ残っている。

 ――父さんの葬式へ行かなかった。行けなかった、とは書かない。

 鳳は便箋を机へ置いた。

「母は、葬式のあとも兄の席を空けていました」

「黒羽さんは知らなかった」

「知ろうとしなかったんです」

 四通目は、便箋ではなかった。

 京東大学の公開講座の案内。

 講師名は、鳳恭介。

 題目は《改修建築に残る設計者の意思――隠された構造を読む》。

 開催日は三年前。

 入場券の半券が挟まれている。

 座席は最後列の端だった。

「来ていた」

 鳳の指が半券へ触れる。

「僕の講演に」

 裏面に、黒羽の字がある。

 ――声が父さんに似た。

 ――説明の前に、図面の余白を見る癖は変わらない。

 ――終わったあと、名乗ろうとした。

 裏面には、名乗ろうとした跡が何度も消され、最後に一行だけ残っていた。

 ――人が多かった。

「人が多かったからじゃない」

 二階堂が半券を見つめる。

「わかっています。兄は帰れない理由を、なくなるたび補強した」

 鳳は公開講座の案内を閉じた。

 五通目は、今年の日付だった。

 封筒の宛名には、大学ではなく鳳の自宅住所が書かれている。

「住所を知っていた」

 真壁が言う。

「大学の公開情報ではありません」

 鳳は便箋を開いた。

 中身は一行だった。

 ――七禍島へ来てほしい。帰るために、建物を見てほしい。

 その下に、書きかけの署名がある。

 鳳。

 最初の一画で止まり、横に黒羽宗一郎と書き直されていた。

 二つの名前の間へ、細い縦線が一本引かれている。

「送らなかった代わりに、開発会社の正式な依頼を出した」

 兄から弟へ送る言葉はなく、報酬と調査条件だけが並んでいた。

「仕事なら、断られても兄として拒絶されたことにならない」

 二階堂が言った。

「兄は僕を試したんでしょうか」

「自分を守ったんだと思う」

 真壁が答えた。

「お前を守ることと、自分が名乗らずに済むことが、途中から同じ形になった」

 鳳は五通を年代順へ戻した。

「守ったつもりだった、で終わらせたくありません」

「終わらせなくていい」

「兄が死んだから、理解しなければならない気がします」

「理解と許すことは別だ」

 真壁は言った。

「死者になったから正しい人間になるわけじゃない」

 九条が薬箱から顔を上げた。

「死体は、生前の判断を改善しない」

 二階堂が小さく笑う。

「九条、それ慰めとしては最悪だけど、内容はいいね」

「慰めてない」

 鳳は箱の蓋を閉じなかった。

 五通の手紙は、帰れなかった二十一年の説明ではない。

 帰らない判断を、毎回やり直した記録だった。

 そのどれにも、弟の返事を書く場所は残されていなかった。

 九条がベッド脇の薬箱を調べている。

「鎮痛薬。胃薬。古い骨折の痛み止め」

「右手首?」

「たぶん。診察券がある」

 本土の整形外科。患者名は黒羽宗一郎。過去の画像データ照会には令状と時間が必要だが、手術歴欄に「二十一年前、右橈骨遠位端骨折。鋼線固定」とあった。

 鳳の兄が受けた治療法と一致している。

「珍しい?」

 真壁が訊く。

「治療自体は珍しくない。でも骨折時期、場所、現在の変形が合えば強い」

「DNAは」

「死者の血液は採取した。鳳先生が同意すれば、親族関係の鑑定はできる」

 鳳は迷わなかった。

「お願いします」

「結果は島を出てから」

「わかっています」

 黒羽の携帯電話は、部屋の金庫から見つかった。

 八時十二分、鷺宮依子からメッセージが届いている。

 《記録室の原本を確認しました。お一人で鐘楼へお越しください。鳳先生には、まだ知らせない方がいいでしょう》

 黒羽の返信。

 《今夜、終わらせる。彼には私から話す》

 依子は、送信を認めた。

「記録室で会う予定でした。鐘楼と書いたのは、黒羽さんから場所を変えたいと言われたからです」

「そのやり取りは残っていない」

「口頭でした」

「管理室のコーヒーに薬が入っていた」

「私も同じポットから飲みました」

「あなたのカップは洗われている」

「習慣です」

「黒羽のカップだけ残した?」

「片づける前に停電が起きました」

 説明はできる。

 できすぎるほどに。

 二階堂は依子の言葉を書き留めていた。

「鷺宮さん。昨夜、鏡の中の黒羽さんを見て、右手を上げたと言いましたね」

「……言い間違いです。鏡では左に見えました」

「港で船を迎えた時、黒羽さんが最上階の窓にいたという話には、見違いだと言った」

「榊さんが地下にいると話したからです」

「でも、黒羽さんはその時間、地下にいなかった可能性がある。榊さんは予定を聞いただけで、見ていない」

「何がおっしゃりたいんですか」

「あなたは見えるものを、都合に合わせて本物と見違いに分けている」

 依子は薄く笑った。

「広報の方は、言葉だけで人を犯人にできるのですね」

「逆です。言葉だけで犯人にされる人を減らすために、言葉を見てる」

 二階堂はペンを閉じた。

「火野朱里さんみたいに」

 その日の午前、県警から過去資料の画像が届いた。

 二十一年前の死亡者名簿。

 遺体発見報告。

 島保存会の広報文。

 地元紙の第一報。

 二階堂は食堂の長机へ並べ、発表時刻を付箋で示した。

「変なんだよ」

「どこが」

 真壁が隣に立つ。

「地元紙の号外は、七人目が発見されたとされる時刻の四十分前に印刷を始めてる。見出しは『七人は禍に選ばれた』。記事本文にも、血禍の死者は鳳悠一とある」

「発見前に、死者の名前が決まっていた」

「島の保存会が配った広報文をそのまま使ってる。作成者は鷺宮依子の父、鷺宮征一」

 九条が名簿を見た。

「六人の死亡推定時刻は、全員ほぼ同じ」

「記録では別々の場所で事故に遭った」

「でも死後硬直と体温の記載を読み直すと、一時間以内。海で溺れた人、焼死した人、土砂に埋まった人が、同時に死ぬのは不自然」

 鳳が図面を重ねた。

「地下発電室から七箇所へ、運搬路が伸びています。六人を移した後、最後の一人だけ遺体がなかった」

「だから鳳悠一を選んだ」

 真壁は名簿の空白を見る。

「事故を目撃し、島から消えた人間。死者にすれば口を塞げる。七という数も完成する」

 二階堂が古い広報文の下書きを裏返した。

 裏面に鉛筆の圧痕がある。斜光を当てると、消された文章が浮かんだ。

 ――六名、地下設備室にて死亡。一名、所在不明。

 その一行の上から、別の言葉が書かれている。

 ――七人は、禍に選ばれた。

「事実を物語へ直した瞬間だ」

 二階堂が呟いた。

 紙の端には、子どものように細い字で補足があった。

 《血禍は悠一。父の指示》

 依子は当時十六歳だった。

「依子が書いたのか」

「筆跡鑑定は必要。でも現在の記録簿の字に似てる」

「父に言われて、名を書いた」

 鳳は兄の名前を見つめていた。

「十六歳の彼女が、兄を死者にした」

 真壁は鳳へ視線を向けた。

「その時の行為と、昨夜の殺人は分ける」

「わかっています」

「同情と無罪も、同じじゃない」

 二階堂が言う。

「父親に命じられた十六歳と、三十七歳の管理人は同じ人だけど、同じ責任じゃない。混ぜると、どっちも見えなくなる」

 九条が古い遺体写真を一枚ずつ見ていた。

「六人は、別々の禍で死んでない」

「断定できるか」

「火禍の遺体に生体反応がない。土禍の口腔に土がない。海禍の肺に水が少ない。風禍の索条痕も死後。全員の死因は一酸化炭素中毒で矛盾しない」

「二十一年前も、一つの死体群に七つの見え方を重ねた」

 鳳が言った。

「昨夜の犯人は、それを再現したんじゃない」

「何が違う?」

「隠蔽の手順を、もう一度使ったんです。七禍の見立てではなく、鷺宮征一が死体を運んだ方法を」

 真壁は顔を上げた。

 昨夜の犯人は、伝承を知っているだけでは足りない。

 二十一年前、どの機械で、どの順に、どの通路を使って死体を動かしたかを知っている。

 その記録は、表には残っていない。

 知る者は、実行した者か、実行した者から直接聞いた者だけだった。



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