表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
七禍島、鳳恭介の帰還 ―七つの禍に選ばれた死者と、遺体なき兄の謎―  作者: 神谷利休|アコンプリス


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/16

第十章 血禍は誰を選ぶか

 食堂に戻ると、全員の顔が変わっていた。

 人は、知らないことに怯える。

 だが、知り始めたことにも怯える。

 二十一年前の録音が見つかったこと。沙羅が生きていたこと。血禍の間は存在しないと鳳悠一が記録していたこと。その三つは、食堂の空気を一度に変えた。

 これまで七禍は、死者のための名前だった。

 海禍、火禍、土禍、風禍、鏡禍、音禍、血禍。

 だが今は違う。

 七禍は、誰かを死者にするための装置に見え始めていた。

「沙羅さんは生きているんですか」

 最初に口を開いたのは鷺宮未沙だった。

 彼女の声は震えていた。だが、質問の焦点はぶれていない。

「生きている」

 真壁が答える。

「ただし衰弱している。今は九条が見ている」

 九条は食堂の隅で、沙羅に水分を与えながら最低限の確認を進めていた。沙羅はまだ長く話せる状態ではない。それでも、いくつかの言葉だけは残した。

 真依。

 鳳くん。

 落ちた人。

 名前を選んだのは、誰か。

 食堂の入口で、男が立ち尽くしていた。

 三十代前半。濃紺のスーツに、まだ乾ききっていない雨の跡がある。髪は乱れていないが、顔色は悪い。港の復旧作業に使われていた予備船で、県警の捜査員とともに島へ入ったばかりだと聞いていた。

 開発会社の社員。

 榊悠斗。

 黒羽宗一郎の直属の部下であり、七禍館再開発計画の実務を任されていた男だった。

 黒羽が死んだあと、会社側の確認役として急遽呼ばれた。だが、到着してすぐに知らされたのは、上司の死と、二十一年前の隠蔽の可能性と、館の中にまだ犯人がいるという事実だった。

 榊は、食堂の中央に並べられた資料を見た。

 黒羽の名が書かれた記録。

 火禍の資料。

 血禍の候補名。

 そして、沙羅が生きているという説明。

 喉が動いた。

「これ以上、何をするつもりですか」

 榊の声は硬かった。

「黒羽部長が亡くなっている。開発会社としては、これ以上、社員や関係者を危険に晒すわけにはいきません。私は会社の代理として――」

 二階堂がすぐに言った。

「座ってください」

「命令ですか」

「お願いです。ですが、立ったまま感情的に話すと、あなたの言葉はかなり不利に見えます」

「不利?」

「ええ。黒羽宗一郎さんが亡くなった直後に、直属の部下であるあなたが“これ以上調べるな”と聞こえる発言をする。第三者が見れば、会社側が事件を止めたがっているように見えます」

「止めたいに決まっているでしょう。人が死んでいるんですよ」

「なら、なおさら確認が必要です」

 二階堂は微笑んでいたが、目は笑っていなかった。

「榊さん。あなたは黒羽さんの部下として、七禍館の観光開発に関わっていた側の人間です。今この場で声を荒らげれば、二十一年前の死者を商売に使おうとした会社が、事件の真相を隠そうとしているように見える」

「私は隠してなどいません」

「なら、座ってください。隠していない人間は、確認を拒まない」

 榊は唇を噛み、椅子に座った。

 その動きには怒りがあった。

 だが、それだけではない。

 怯えもあった。

 上司を失った部下の怯え。

 会社の看板を背負わされた若手の怯え。

 そして、自分が関わった計画の足元から、死者の名前が崩れていくことへの怯え。

 真壁は、テーブルの上に証拠品の写真を並べた。

 血禍の候補名が書かれた木札。

 沙羅、火野朱里、鳳恭介。

 さらに、奥の小部屋から見つかった古い図面。

 沙羅、真依、鳳悠一。

 二つの候補表は、二十一年を隔てて同じ形をしていた。

「今夜の犯人は、二十一年前の血禍を再演している」

 真壁は言った。

 誰も答えなかった。

「再演というより、なぞっている。二十一年前に、誰かが死者を選んだ。今夜の犯人はそれを知っている。あるいは、そう理解している」

 火野朱里は俯いたままだった。

 長い髪が頬を隠している。手は膝の上で組まれている。爪が白くなるほど強く、互いの指を押さえていた。

 真壁は続ける。

「海禍では船と港が使われた。島を孤立させ、灯村さんの動きを疑わせるためだ。火禍では顔の焼けた遺体の記憶が使われた。黒羽さんの死と火野千景さんの資料が重ねられた。土禍では古賀さんが殺された。だが、古賀さんは死ぬ前に何かを言おうとしていた」

 古賀直澄の席は空いている。

 その空白が、誰の言葉より重かった。

「真依」

 九条が静かに言った。

「古賀さんは、真依の名前を出そうとしていた」

 鷺宮未沙が目を閉じた。

 真壁は彼女を見る。

「未沙さん。あなたは、真依さんと関係がありますね」

 食堂の視線が彼女に集まる。

 未沙はしばらく黙っていた。

「私は、鷺宮家の人間です」

「それは聞いています」

「でも、母は島の人間でした」

「名前は」

「鷺宮真依」

 誰かが息を呑んだ。

 鳳の手が、テーブルの下で止まる。

「真依は、私の母です」

 未沙は顔を上げた。

「二十一年前、死んだことにされなかった人です。生きたことにもされなかった人です」

 二階堂が低く言った。

「名前の外に置かれた」

「はい」

 未沙は頷いた。

「母は、七禍館の床下に隠れていた構造を見つけた。水路、縦坑、音響管、鏡廊下の裏側。子どもだった母には、それが何のためのものか全部はわからなかった。でも、図面に描いた。沙羅さんに見せた。鳳悠一さんにも見せた」

 鳳は静かに聞いていた。

 兄の名前が出るたび、表情がわずかに硬くなる。だが、遮らない。

「そのあと、土砂崩れがありました。母は巻き込まれた。でも、遺体は見つからなかった。古賀清澄さんが救助に向かい、死んだ。けれど、七禍の中で土禍にされたのは、別の名前でした」

「陣内拓馬」

 真壁が言う。

 未沙は頷く。

「古賀清澄さんの名前は、表に出せなかった。鷺宮家の管理責任が問われるから。母の名前も出せなかった。館の中で何が起きていたかを、母が知っていたから」

 二階堂が資料をめくる。

「死んだ人間と、死んだことにしたい人間と、死んでいないことにしたい人間が混ざった」

「それが七禍です」

 未沙の声は震えていた。

「二十一年前の七禍は、七人が七つの災厄で死んだ事件じゃない。複数の事故と、事件と、行方不明と、隠蔽を、七つに編集したものです」

 食堂の空気が重く沈んだ。

 その言葉は、二階堂がたどり着きかけていた結論そのものだった。

 榊悠斗だけが、遅れて息を吸った。

「編集……」

 彼は小さく呟いた。

「それを、黒羽部長は知っていたんですか」

 真壁は榊を見た。

「あなたは、どう思いますか」

「知りません。私は……少なくとも、そんな話は聞いていない」

「黒羽さんから、二十一年前の資料整理を指示されたことは」

 榊は一瞬、答えに詰まった。

 二階堂がそれを見た。

「ありますね」

「資料の整理は、開発計画に必要でした」

「どんな資料を」

「島の伝承、死亡記録、関係者の証言、古い新聞記事、保存会の記録。それから、七禍館の見取り図」

「血禍の間については」

 榊の視線が動いた。

 鳳が静かに見ていた。

「資料には、ありました」

「現地確認は」

「黒羽部長が、管理人側と確認したはずです。私は、入口までは見ました。でも、中までは」

「なぜ」

「黒羽部長に止められました」

 食堂が静かになった。

 榊は自分の言葉の重さに気づいたように、唇を引き結んだ。

「止められた、というのは……会社として、危険区域だったからです」

 二階堂が言う。

「便利な言い直しですね」

 榊は黙った。

 真壁は未沙に視線を戻した。

「あなたは犯人を知っているのか」

 未沙は火野朱里を見た。

 朱里は動かなかった。

 まるで、その視線を受けることを最初から知っていたように。

「火野さん」

 真壁が呼ぶ。

 朱里はゆっくり顔を上げた。

「私は、殺していません」

 声は、意外なほど静かだった。

「誰を」

「古賀さんも、佐伯さんも」

 二階堂の目が細くなる。

「順番が変ですね」

 朱里が二階堂を見る。

「普通、“私は誰も殺していません”と言うところです。あなたは、古賀さんと佐伯さんだけを否定した」

 朱里は唇を閉じた。

 真壁は言った。

「海禍の仕掛け、火禍の資料誘導、土禍の床下への誘導、風禍の空調、鏡禍の目撃錯誤、音禍の録音。これらの準備に関わったか」

 沈黙。

「答えてください」

 朱里は膝の上の手を見た。

「関わりました」

 榊が椅子を鳴らして立ち上がりかける。

「あなたが……」

 二階堂が片手で制した。

「最後まで聞きましょう」

 朱里は続けた。

「私は、二十一年前の事件を解体したかった。七禍として飾られる前に、誰が何をされたのかを見せたかった。開発会社が七禍を売り物にする前に、島がまた死者の名前を使う前に」

「だから再演した?」

「はい」

「殺人を?」

「違います」

 朱里の声が揺れた。

「殺すつもりはなかった。古賀さんには話してもらうつもりだった。佐伯さんは、私の計画には入っていません」

「信じろと?」

「信じなくていいです」

 その言葉に、二階堂がわずかに反応した。

「検証してください」

 朱里は言った。

「私が仕掛けたものと、誰かが途中で差し替えたものを」

 真壁は朱里を見た。

 この女は嘘をついている。

 だが、全部ではない。

 それが一番厄介だった。

 鳳が静かに口を開いた。

「血禍の木札は、あなたが作ったんですか」

「はい」

「沙羅、火野朱里、鳳恭介」

「はい」

「なぜ僕の名前を」

 朱里は鳳を見た。

「あなたが来ると思ったからです」

「僕を血禍にするつもりだった?」

「違います」

「では」

「あなたを止めるつもりでした」

 鳳の目が硬くなる。

「止める?」

「あなたは建物を読む。血禍の間が部屋ではないと見抜く。そうすれば、二十一年前に鳳悠一さんが何を見たかに近づく。近づけば、犯人はあなたの名前を置く」

「犯人?」

「二十一年前に名前を置いた人間、または、その人間を守りたい人間」

 二階堂が短く息を吐く。

「つまり朱里さん。あなたは告発者であり、今夜の一部の仕掛け人。でも、殺人の実行者は別にいると言いたい」

「はい」

「便利ですね」

「便利でいいです」

 朱里は静かに言った。

「私は、便利な悪役になるつもりでここへ来ました。火野千景の娘ですから。火禍の遺族が、七禍を壊すために暴走した。そう見えれば、みんな納得する」

「その納得が、犯人に利用された」

 真壁が言うと、朱里は目を伏せた。

「はい」

 榊が拳を握っていた。

「黒羽部長も、それに巻き込まれたんですか」

 朱里は榊を見ない。

「黒羽さんは、七禍を利用しようとしていた」

「だから死んでもいいと?」

「そうは言っていません」

「あなたが仕掛けたせいで、部長は死んだ」

「榊さん」

 二階堂の声が低くなった。

「今の言葉は、あなたの怒りとしては自然です。でも、事件の整理としては早すぎる」

「早すぎる?」

「黒羽さんがなぜ殺されたのかは、まだ確定していません。開発会社の責任者だったからか。何かを知っていたからか。あるいは、誰かにとって都合のいい火禍の役だったからか」

 榊は言葉を失った。

 その時、食堂の照明が落ちた。

 完全な暗闇ではない。

 非常灯だけが赤く点く。

 古いスピーカーから、ノイズが流れた。

『血禍は、まだ選ばれていない』

 録音の声だった。

 男とも女ともつかない、加工された声。

『七つが揃わなければ、島は終わらない』

 二階堂が即座に言った。

「全員、動かない。これは録音です。誰の口元も動いていない」

 真壁は周囲を見る。

 火野朱里。

 鳳恭介。

 沙羅。

 血禍の候補だった三人のうち、沙羅は食堂の隅にいる。朱里は席に座っている。鳳は真壁の隣にいる。

 だが、もう一人いる。

 血禍の木札に名前はなかったが、今この場で最も危ない人間。

 未沙。

 真依の娘。

 七禍の外に落ちた名の継承者。

 真壁は叫んだ。

「未沙さん!」

 未沙の椅子が空だった。

 次の瞬間、廊下の奥から悲鳴が上がった。

 誰の声か、一瞬わからなかった。

 風が鳴った。

 鏡が鳴った。

 鐘が、遠くで一度だけ鳴った。

 真壁は走り出す。

 二階堂が続く。

 鳳も走った。

 九条が沙羅の肩を押さえたまま、低く言う。

「行け」

 榊も立ち上がった。

 だが、二階堂が振り返らずに言った。

「榊さんはここに。会社の代理人なら、まず生存者を守ってください」

 榊は足を止めた。

 真壁は振り返らなかった。

 七禍は、まだ終わっていない。

 犯人は、血禍を選び直そうとしている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ