家族を得た私、さよならしたくありません
ふんふんふーん♪
ギーツとアイラが屋敷に来てから一月が経った。
二人ともすっかり馴染み、ラビソン伯爵家から木も届いて、毎日がとても幸せだ。
今日のお仕事はもう終わりって旦那様が言ってたし、何しよう。
きのこ図鑑でも見ようかなー。
廊下を歩いていれば、後ろから話しかけられた。
「コレッティーナ様、お話がございます」
「どうしましたか?」
ミカナ先生が真剣な顔をしているので、私もキリッとした顔をする。
うーん。授業はちゃんと受けてるし、食事マナーだってディナーだけは頑張っている……となると、この前こっそり木登りしたのがバレた?
「これ、どうぞ」
「えっと、これは……」
ポケットから取り出したおやつの実を渡す。
「甘酸っぱくて、おいしいですよ」
「ありがとうございます」
「いえ。では、私はこれで」
買収できたので、そそくさとこの場を離れようとした。
ところが──。
「お待ちください」
逃亡に失敗した。
背に腹は代えられない……か。
「今回だけですよ」
もう一方のポケットに手を突っ込む。
「実はお一ついただいたので、もう結構でございます。それより、お伝えしなくてはならないことが……」
珍しく歯切れの悪いミカナ先生に、首を傾げる。
「えっと、私のお部屋に来ますか?」
「いえ。決心が鈍りますので」
そう言うと、ミカナ先生が頭を下げた。
「本日をもって、家庭教師の任を辞したいと存じます」
「…………え?」
「突然のことで大変申し訳ございません」
「…………えっと、辞める?」
「はい」
顔を上げたミカナ先生の目に迷いはない。
「ど、どうして……ですか?」
「もともと短期間でのお話でしたので」
「でも、長くいては駄目ってことはないですよね!?」
「えぇ。ですが、私の役目はコレッティーナ様に貴族としての基本をお教えすることでございます。その役目はもう果たしました」
スパンっと、線を引かれた気がした。
「私には、ミカナ先生が必要です」
「大変嬉しいお言葉ではございますが、私の最後の役目はコレッティーナ様とのお別れだと考えております」
「どういうことですか? お別れなんて、嫌です!」
ミカナ先生は通いで教えに来てくれていたけど、私にとっては家族。
家族だから、一緒にいなくちゃいけない。
「人とは出会い、別れるものでございます。コレッティーナ様は、親しい方とのお別れをしたことがございません」
「それがミカナ先生である必要はないです」
「左様でございます。では、どなたとお別れをいたしますか?」
「──っ」
誰って……。そんなの選べない。
「今生の別れというわけではございません。もしまた私の力が必要な時は、いつでもお呼びください」
「……私はまだ社交界に不慣れです。だから──」
ミカナ先生は、まっすぐに私を見たまま目を逸らさない。
「旦那様には……」
「許可をいただいております」
「そう……ですか……」
駄目、なんだ……。
私が何を言っても、お願いしても、ミカナ先生は行ってしまう。
「行かないでください」
「コレッティーナ様なら大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃないです。ミカナ先生と会えなくなると、さみしいです……」
息が苦しい気がして、胸元をギュッと握る。
「これからはいい子にします。木登りもしないし、草も……ちょっとにします。どうしても……駄目ですか?」
ミカナ先生の顔が見れなくて、視線が下へ下へと下がっていく。
「コレッティーナ様」
そんな私の視線の先に、ミカナ先生はしゃがみ、胸元でギュッと握った私の手を温かく包み込んだ。
「コレッティーナ様の家庭教師は、予想外のことばかりでございました。誰よりも驚かされまし、誰よりも困らされたものです」
ミカナ先生は懐かしむように、目を細める。
「けれど振り返ってみれば、とても楽しい日々でした。それこそ、ここを立つのをためらうほどに」
「だったら……」
「だからこそ、です。本来はもう少し早く立つつもりでした。けれど、あなたのそばは楽しくて、夜会までのつもりがつい長居をしてしまいました。私が家庭教師でいるためにも、次の生徒のところへと行かなければならないのです」
「嫌……です……」
ズビッと鼻をすすりながら、首を横に振る。
「コレッティーナ様。あなたは私の大切な生徒です。それは、どれほど離れていても、何年経とうとも変わることはありません」
優しく諭すように言われ、それでも頷きたくなくて、唇を噛む。
「送り出してくれますね?」
「…………はい」
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
本当は駄目だって、駄々をこねて叫びたい。
だけど、何をしたって、本当に行ってしまうのだ。
なら、いい子だって思われたい。
大切な生徒のままでいたい。
「ミカナ先生……。最後にギューしてください」
「……申し訳ございません。そうしたいのは山々ですが、私はまだあなたの家庭教師としてここにおります。抱きしめるのは、今よりももっと素敵なレディーとなったコレッティーナ様と再会した時に、とっておいてもよろしいですか?」
「……分かりました」
頷けば、ミカナ先生の私を握る手の力がほんの少し強くなる。
「次は、どこに行くんですか?」
「守秘義務なのでお教えできませんが、コレッティーナ様のことを次の生徒に話しても良いでしょうか?」
「……? 大丈夫ですけど、どうしてですか?」
「そうしたら、きっとその子がコレッティーナ様に話しかけるからでございます。人とは巡り巡って出会うもの。縁は繋がっていくものでございますよ」
そう言うと、ミカナ先生は立ち上がる。
「見送りは不要にございます。コレッティーナ様の成長を遠くから見守っております」
小さく笑うと、ミカナ先生は思い出したように小さな包みを一つ鞄から取り出すと、私へと差し出した。
「大したものではございませんが、お使いいただければと」
開ければ、そこには真っ白なレースグローブが入っている。
「ありがとうございます。大切にします」
「夜会にお出になる時は、必ず白いグローブをお付けください。行ってよいかどうかは、グローブが汚れるかどうかでございますよ」
「…………はい」
ミカナ先生は、最後までミカナ先生だった。
「私も約束を守るので、ミカナ先生も私との約束、忘れないでください」
次に会ったら、ギューの約束。
もしかしたら、叶わないかもしれない。
でも、それでも──。
「ミカナ先生、ありがとうございました」
深く深く、頭を下げる。
どうかまた、ミカナ先生に会えますように……。という願いと感謝を込めて。




