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蛇の目/美食家  作者: ふゆはる


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第八話/蛇の意義

 科警研第二課オペレーションルーム。

 天井の蛍光灯は落とされ、壁面モニターの光だけが室内を照らしている。

 中央の大型スクリーンには、蛇の目が弾き出した犯人予測モデルが表示されたままだ。

【人体菌床化】

【持続的収穫】

【共有型摂食行動の可能性】

【流通拡散リスク】

 無機質な文字列が、空気を重くしていた。

 渡辺が沈黙を破る。

「……つまり、犯人は自分で食するだけじゃなくて……」

 言葉を選ぶように一拍置き、続ける。

「最悪の場合、出荷してるってことですか?」

 その“出荷”という単語が、部屋の温度を一段下げた。

 恵美は即答できなかった。

 一瞬だけ視線を伏せる。

 脳裏に浮かぶのは、廃工場の床。

 菌に覆われた遺体。

 解剖室の金属臭。

 ミイラ化した四体。

 そして切除痕。

 彼女は嫌悪の表情を隠せないまま、静かに頷いた。

「……可能性は、ある。」

 言葉は短い。だが重い。

 秋山慎一郎は腕を組んだまま、しばらくモニターを見つめていた。

 蛇の目の解析結果は、感情を排除した純粋な確率だ。

 やがて彼は口を開く。

「いずれにせよ――」

 低く、よく通る声。

「我々がやるべきことは一つだ。」

 全員の視線が秋山に集まる。

「蛇の目が導き出した答えを、現実で立証する。そして犯人を確保する。それだけだ。」

 淡々としている。

 だがその声には揺るぎがない。

「渡辺が言うことも一理ある。出荷の可能性は否定できない。だが――」

 秋山は指で机を軽く叩いた。

「何度も言うように、犯人への先入観は捨てろ。」

 室内が静まり返る。

「犯人の心理分析は蛇の目に任せる。」

 はっきりと言い切った。

「犯人プロファイルは絶対にするな。」

 渡辺がわずかに眉を上げる。

 秋山は続ける。

「それは君たちを異常な犯人の精神構造から隔離するためだ。」

 言葉は冷静だが、そこには明確な意図がある。

「異常者の思考を追うというのはな、単なる推理遊びじゃない。

 その内側へ踏み込むということだ。」

 モニターの光が秋山の横顔を強く照らす。

「その深淵に近づけば近づくほど、精神は削られる。」

 一瞬の間。

「君たちに、そのダメージを受けさせたくない。」

 視線が、恵美に向く。

「特に吉羽。」

 名指しされた恵美は顔を上げる。

「君は犯人に感化されやすい。」

 その言葉は決して非難ではない。

 分析だ。

「共感性が高い。

 だから優秀だ。

 だが同時に、危うい。」

 恵美は何も言わない。

 秋山は続ける。

「ロシアの有名な連続殺人犯、アンドレイ・チカチーロの事件がいい例だ。」

 渡辺が小さく息を呑む。

「旧ソ連からロシアへと変貌する混乱期に起こった事件だ。

 やつは五十人以上を惨殺した。」

 室内に、歴史の重みが落ちる。

「その事件を長年追った特定の刑事がいた。」

 秋山はゆっくりと言葉を選ぶ。

「彼は最終的に犯人逮捕に貢献した。偉業だ。

 FBIはその功績を称えた。」

 一拍置く。

「だが同時に、懸念も表明した。」

 片瀬が小さく呟く。

「精神的後遺症……」

 秋山は頷く。

「異常者の精神構造を読み解こうとすると、人はどうしてもその思考の内側へ入り込まざるを得ない。」

 モニターに映る犯人モデルの確率値が、静かに更新されている。

「その期間が長ければ長いほど、ダメージは蓄積する。」

 秋山の声は低いが、確固としている。

「だからこそ、蛇の目がある。」

 視線がスクリーンへ向けられる。

「異常者の心理は、異常者に任せる。」

 誰も笑わない。

「蛇の目は人間じゃない。

 倫理に侵食されない。

 嫌悪も、恐怖も、誘惑もない。」

 冷たい光が室内を包む。

「そのために存在している。」

 秋山は最後に静かに言った。

「君たちは、事実だけを追え。」

「証拠だけを見ろ。」

「感情で犯人を理解しようとするな。」

 言葉が終わると、室内に重い沈黙が落ちた。

 渡辺は拳を握りしめている。

 片瀬は端末に視線を落とす。

 恵美はモニターを見つめたまま、わずかに呼吸を整える。

 蛇の目の画面には、依然として犯人モデルが表示されている。

 確率。

 傾向。

 行動予測。

 それは人間の理解を必要としない冷徹な構造体だ。

 秋山の長い説教とも言える言葉は、部屋の空気よりも重く、一同の胸に沈んでいた。

 理解している。

 この事件は、単なる猟奇殺人ではない。

 人間を培地とする発想。

 栽培。

 収穫。

 摂食。

 共有。

 その思考を追えば、確実に心を削られる。

 だからこそ。

 第二課は、蛇の目の背後に立つ。

 人間は、証拠を集める。

 深淵を覗くのは――機械だ。

 モニターの光が揺れる。

 演算は止まらない。

 そして静かに、次の予測が更新されていく。

 犯人は、まだ活動を止めていない。

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