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蛇の目/美食家  作者: ふゆはる


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第七話/濃密

 テレビ画面の光が、男の横顔を青白く照らしていた。

 群馬県内の廃工場。

 深夜の発見。

 五体の遺体。

 人体から生育したと見られる菌類。

 無機質なアナウンサーの声が、事件を“異様な猟奇事件”として伝えている。

 男は小さく舌打ちした。

「……早すぎる。」

 群馬の農場――。

 彼はその言葉を胸中で訂正する。

 あれは廃工場ではない。

 農場だ。

 丁寧に土壌を整え、栄養を調整し、温度と湿度を管理し、最適化した――

 栽培施設だった。

 だが、それはもう失われた。

 テレビは現場の空撮映像へと切り替わる。

 黄色い規制線。

 青色灯。

 防護服の群れ。

 男はリモコンを乱暴に放り投げた。

 部屋は薄暗く、窓は厚い遮光カーテンで閉ざされている。

 外界との接触を拒むかのように。

 その一角だけが異様だった。

 ガラス棚に整然と並べられた菌類標本。

 ホルマリン漬けの試料。

 乾燥保存された傘部。

 顕微鏡用プレパラート。

 胞子紋を採取した黒紙。

 それらは几帳面にラベリングされている。

 日付。

 湿度。

 培養時間。

 菌糸の伸長速度。

 栄養投与量。

 男は部屋の中を幾度も往復した。

 思考を整理するように、一定の歩幅で。

 そして、不意に立ち止まる。

「……新たな農場がいるな。」

 声は落ち着いている。

 焦りはない。

 むしろ計算が始まったときの静けさがあった。

 彼はキッチンへと移動する。

 生活感はあるが、どこか無機質だ。

 ステンレスの天板は磨き上げられ、器具は寸分の狂いなく並べられている。

 冷蔵庫の扉に手をかける。

 中は整然としていた。

 市販の食品はほとんどない。

 透明な保存ケースが段ごとに並び、それぞれにラベルが貼られている。

【G-3F】

【A-2W】

【F-1R】

 暗号のような記号。

 その中に、例のニオウシメジと思しきものが収められている。

 肉厚で、傘は艶やかに張りを保ち、色味はわずかに赤みを帯びている。

 男はひとつのケースを取り出した。

 ケースを開けると、かすかに湿った香りが立ち上る。

 土臭さではない。

 鉄の気配もない。

 彼はそれをまな板の上に置いた。

 包丁を手に取る。

 刃はよく研がれている。

 迷いのない動きで、傘を裂く。

 繊維が滑らかに分かれる。

 内部は白く、みずみずしい。

「やはり状態は良い。」

 独り言のように呟く。

 フライパンを火にかける。

 冷蔵庫からバターを取り出す。

 熱せられた金属にバターが触れた瞬間、

 じゅう、と甘い音が立つ。

 溶けた脂肪が広がり、香ばしい匂いが立ち上る。

 切り分けたニオウシメジを放り込む。

 水分が弾ける音。

 表面が黄金色に変わる。

 男は手際が良い。

 炒め時間を正確に見極める。

 火を強めすぎない。

 水分を飛ばしすぎない。

 内部の弾力を保つ。

 ハーブ塩を振る。

 軽く胡椒。

 香りが一段深くなる。

 皿に盛りつけると、それは高級レストランの一皿のようにも見えた。

 男はテーブルにつく。

 フォークでひと切れを刺し、ゆっくりと口へ運ぶ。

 噛む。

 目を閉じる。

 彼の表情は、明確な恍惚を帯びていた。

 舌の上で広がる旨味。

 脂の甘さ。

 ほのかな苦味。

 後からくる深いコク。

「……やはり女の菌床で育てたほうが美味い。」

 その言葉に罪悪感はない。

 彼にとって、それは単なる培地の違いだ。

 土壌が違えば味が変わる。

 それと同じ理屈。

 この味を知ってしまった。

 もはや通常の食材では満足できない。

 牛肉も。

 魚も。

 山菜も。

 すべてが薄い。

 彼の舌は、既に“それ”を基準にしてしまった。

 食事を終えると、彼はキッチン脇の棚から一冊のノートを取り出した。

 革張り。

 使い込まれているが丁寧に扱われている。

 ページを開く。

 そこにはびっしりと手書きの文字。

 レシピ。

 栽培条件。

 対象の性別。

 年齢。

 栄養管理方法。

 投与スケジュール。

 ページの厚みからして、相当数の記録がある。

 彼は今日の項目を書き込む。

【G-3F】

 火入れ時間:2分45秒

 バター8g

 塩0.7g

 食感良好

 旨味指数:上

 少し考え、追記する。

「女性体由来。脂肪層安定。B群値良好。」

 ペン先が止まる。

「次は……若年層で試すか。」

 ノートを閉じる。

 静かな部屋。

 テレビは消えている。

 だがニュースの映像は、彼の頭から消えていない。

「まずは農場の選定から始めなければ。」

 独り言。

 その声音に、焦燥はない。

 計画の再構築。

 候補地。

 湿度条件。

 廃施設リスト。

 孤立した空間。

 発見までの猶予日数。

 彼の頭の中では既に、次の農場が組み立てられている。

 蛇の目はまだ、この場所を知らない。

 だが確率は、ゆっくりと彼へ近づいている。

 男は立ち上がり、標本棚を見上げた。

 整然と並ぶ菌類。

 その中に空白がある。

 そこへ、次のラベルが貼られる日を思い描きながら、

 彼は静かに笑った。

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