第三十九話/天幕
山間部の夜は、想像以上に早く訪れる。
三人は、ピックアップされたログハウスのうち二件をすでに当たっていた。
どちらも“条件には合致する”が、決定打には欠けていた。
生活の痕跡はある。
だが、それは人が普通に過ごした痕跡でしかない。
異常は、ない。
それが逆に、不自然だった。
捜査は難航していた。
空はすでに暗み始め、山の輪郭が黒く沈み込んでいる。
片瀬がエンジンをかけたまま、バックミラー越しに二人を見る。
「……どうします」
短い問い。
「ここで切り上げるか、それとも――」
夜の山を行くか。
言葉にせずとも、その意味は共有されていた。
視界は悪い。
足場も不安定。
応援もすぐには呼べない。
リスクは高い。
だが――
「行く」
恵美が、即答した。
一切の迷いはなかった。
渡辺も、無言で頷く。
片瀬はそれを確認し、アクセルを踏み込んだ。
三人の意思は、完全に一致していた。
“ここで止まれば、逃げられる”
その直感が、全員の中にあった。
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山道を進む車内。
ヘッドライトが、細い道を切り裂くように照らす。
沈黙。
その中で、不意に通信音が鳴る。
秋山からのコールだった。
恵美が即座に応答する。
「吉羽です」
ノイズ混じりの中、秋山の声が届く。
「追加で蛇の目に予測を回した」
短く、だが確かな調子。
「今回空振りでも、悲観することはない」
渡辺が視線を上げる。
秋山は続ける。
「犯人の意図は、かなり明確になった」
一拍。
「蛇の目の確度が、一気に上がっている」
そして――
「吉羽の読み通りだ」
その言葉に、恵美の目がわずかに細くなる。
「ログハウスで確定だ」
空気が変わる。
確信が、“裏付け”に変わった瞬間だった。
秋山の声が、さらに低くなる。
「三人とも、気を付けろ」
その一言に、現場の緊張が一段上がる。
「今回は銃は使うな」
渡辺が眉をひそめる。
「必ず――生きて確保しろ」
命令。
重い。
だが、その意味は明確だった。
“犯人は、まだ使える”
情報源として。
あるいは――それ以上の理由で。
「……了解」
恵美が答える。
「了解」
渡辺。
「了解」
片瀬。
三人の声が重なる。
通信が切れる。
再び、車内に静寂が戻る。
だが、その質はもう違っていた。
“狩り”の前の静けさ。
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「……ここまでです」
片瀬が車を止める。
それ以上は、道と呼べるものではなかった。
三人は無言で車を降りる。
夜の空気が、肌に刺さる。
静かすぎる。
風もない。
音がない。
マグライトのスイッチが入る。
頼りない光が、足元だけを照らす。
地面に視線を落とした恵美が言う。
「……あるわね」
轍。
新しい。
タイヤの跡。
ここ最近、車が出入りしている。
三人の動きが変わる。
慎重に、だが確実に。
山を登る。
枝を踏む音。
土を踏みしめる感触。
呼吸が白くなる。
時間の感覚が曖昧になる。
数分か、数十分か。
やがて――
「……見えた」
片瀬が低く言う。
木々の隙間の向こう。
小さな光。
揺れている。
人工の光。
「あれだわ」
恵美が断定する。
距離を詰める。
徐々に輪郭が見えてくる。
ログハウス。
だが――
想像よりも小さい。
簡素な造り。
隠れるには十分。
だが、住むには最低限。
耳を澄ます。
低い作動音。
発電機か。
完全な静寂ではない。
“生きている音”がする。
視線を動かす。
敷地の端。
井戸。
そこから伸びるホースが、ログハウスへと繋がっている。
「……水、使ってる」
渡辺が呟く。
条件は、揃っている。
三人が目を合わせる。
頷き。
同時に、特殊警棒を抜く。
金属音が、わずかに響く。
入口へと近づく。
ドア。
鍵がかかっている。
片瀬が道具を取り出す。
手慣れた動き。
ピックを差し込み、力を加える。
カチ、と小さな音。
「あっさりだな」
渡辺が低く言う。
「急いでたのかもね」
恵美が返す。
ドアに手をかける。
その前に、窓を見る。
すべて内側からビニールで覆われている。
光を遮断している。
中は、見えない。
恵美が小さく息を吸う。
そして――
「……突入」
その一言。
三人が同時に動く。
ドアが開く。
一気に流れ込む。
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中は――
静かだった。
異様なほどに。
人の気配が、ない。
だが――
何かがいる。
奥。
ビニールの天幕。
仕切られた空間。
その向こうから、微かな“気配”。
呼吸。
あるいは、ただの空気の揺れ。
三人は慎重に進む。
一枚目の幕。
恵美が手をかける。
ゆっくりと開く。
そこに――
“あった”。
人ではない。
最初に浮かんだ感覚。
だが違う。
ベッド。
その上。
拘束された女性。
痩せ細り、動かない。
「……!」
渡辺が駆け寄る。
「おい!」
声をかける。
反応はない。
恵美が脈を取る。
指先に、かすかな鼓動。
(……生きてる)
息を吐く。
「生きてる!」
短く告げる。
だが――
安心するには、早い。
もう一つ。
奥に、もう一枚の天幕。
今度は、全員が確信していた。
“ここが本命だ”
恵美が手をかける。
ためらいはない。
一気に開ける。
その先にあったもの。
それは――
人の形を、かろうじて保った“何か”。
拘束されていたであろう女性の身体。
だが――
その表面から。
いくつもの菌類が、突き出している。
白く。
不気味に。
静かに。
そして、その中に。
明らかに異質なもの。
太く、存在感を放つ菌体。
「……ニオウシメジ……」
誰かが呟く。
異臭。
甘く、腐敗した匂い。
渡辺が駆け寄る。
「……っ!」
脈を取る。
沈黙。
時間が止まる。
恵美が、ゆっくりと首を振る。
大きく。
はっきりと。
「……ダメ」
その一言で、すべてが確定する。
死亡。
現場に、重い沈黙が落ちた。
遅かった。
間に合わなかった。
だが――
ここに、“答え”がある。
そして、
“犯人は、まだ近くにいる”。




