第二十八話/パンくず
東京都内——
繁華と無機質が同居する街の一角。
ネオンの残滓がまだ窓の外に漂う、名も知らぬビジネスホテルの一室。
決して高級ではない。
だが安宿とも言い切れない、中途半端な価格帯。
壁紙は薄く、隣室の生活音がわずかに滲む。
エアコンは一定の音を立て続け、人工的な空気が部屋を満たしている。
その中央。
簡素なデスクに、ノートパソコンと数枚の資料が無造作に広げられていた。
吉羽恵美は、椅子に深く腰掛けたまま、微動だにせず画面を見つめている。
時間の感覚は、とっくに失われていた。
カーテンの隙間から差し込む光が、昼なのか夕方なのかも曖昧にしている。
だが彼女にとっては、そんなことはどうでもよかった。
“狩場”を見つける。
それだけが、今の彼女のすべてだった。
画面には、失踪者のリスト。
神奈川、東京、千葉、栃木、茨城、埼玉——
関東一円から抽出されたデータ。
その数、八十三。
名前。年齢。性別。
最終確認地点。生活状況。
それらが無機質な文字列として並んでいる。
だが恵美の目には、それは“文字”ではなかった。
“人間”だった。
八十三の生活。
八十三の断絶。
その中から、“選ばれた者”を見つけ出す。
「……ここから」
小さく呟く。
収穫場が発見されてから、すでに二ヶ月以上。
犯人が同じ場所に留まる理由はない。
むしろ——
「……もう、動いてる」
その確信がある。
だからこそ。
絞るべきは——“新しい失踪”。
ここ三ヶ月。
時間を限定する。
古い失踪は、ノイズになる。
今、動いている犯人の“現在地”を捉えるためには、時間軸を切り詰める必要があった。
蛇の目にデータを流す。
無音の処理。
一瞬で、膨大な情報が再構築されていく。
そして——
東京。
突出していた。
五十名以上。
他県を圧倒する数。
「……やっぱり」
恵美の視線が、わずかに鋭くなる。
人が多い。
流動性が高い。
匿名性が高い。
そして——消えやすい。
東京は、“狩場”として最適すぎる。
だが、数が多すぎる。
ここからさらに削る必要がある。
恵美は、これまでに判明している五体の遺体データを重ねる。
年齢層。
身体的特徴。
骨密度。
関節の変形。
生活レベル。
それらを“フィルター”として適用する。
蛇の目が応答する。
候補が、削られていく。
八十三——
四十。
二十五。
十八。
そして——
十四。
画面に残った数字。
「……ここまで来た」
十四。
この数なら——“追える”。
しらみ潰しに。
一つ一つ。
確実に。
だが恵美は、そこで止まらない。
むしろ、ここからが本番だった。
「……犯人の意図」
彼女の思考が、静かに回り始める。
狩り。
収穫。
栽培。
そして——摂食。
この一連の流れ。
それは衝動ではない。
完全に構築された“プロセス”だ。
つまり——
選別がある。
誰でもいいわけではない。
“条件”がある。
「……消えても、気づかれない」
その一点が、強く浮かび上がる。
家族がいない。
社会的接点が薄い。
あるいは——
“いても、機能していない”。
その条件に最も当てはまる場所。
東京。
その中でも——
歓楽街。
歌舞伎町。
大久保。
雑踏と匿名が交差する場所。
ネットカフェ。
簡易宿泊施設。
住所不定者。
「……ここだ」
恵美は、迷わず蛇の目に指示を出す。
「東京の失踪届が出ている者だけ、ピックして」
即座に反応。
リストが再構成される。
数が、一気に減る。
十四——
十。
九。
そして——
七。
画面に並ぶ、七つの名前。
静寂。
エアコンの音だけが、やけに大きく響く。
恵美は、その一つ一つを見つめる。
年齢。
職歴。
最終確認地点。
生活状況。
そのすべてを、“読む”。
そして——
感じる。
「……いる」
確信。
この中に、“パンくず”がある。
犯人が落とした痕跡。
意図せず、あるいは必然的に残した“選択の跡”。
それを辿れば——
辿り着く。
「……これでいい」
短く呟く。
迷いはない。
すぐにデータをまとめる。
秋山へ。
片瀬へ。
渡辺へ。
送信。
わずかなタイムラグの後、既読がつく。
それで十分だった。
「……頼む」
誰に向けた言葉か、自分でも分からないまま、そう呟く。
だが、次の瞬間にはもう立ち上がっていた。
椅子が、わずかに軋む。
長時間同じ姿勢でいた体が、鈍く軋む。
だが気にしない。
ジャケットを掴む。
スマートフォンをポケットに滑り込ませる。
画面にもう一度だけ視線を落とす。
七つの名前。
それは、単なるリストではない。
“生死の境界”だった。
「……必ず」
小さく、しかしはっきりと。
「捕まえる」
その言葉には、熱があった。
抑えきれないもの。
胸の奥で、何かが騒いでいる。
焦燥か。
怒りか。
それとも——確信か。
ドアに手をかける。
一瞬だけ、止まる。
深く息を吸う。
そして——開ける。
廊下の空気が流れ込む。
外の世界の匂い。
人の気配。
現実。
恵美は一歩、踏み出す。
その目はもう、完全に“狩る側”のそれだった。
七つの影を追うために。
そして——
その先にいる、“一つの存在”に辿り着くために。




