第二十一話/The FIRST
オペレーティングルームの空気は、すでに張り詰めていた。
蛇の目が提示した“最初の被害者の重要性”。
その一言が、場の全員の意識を一点に集中させている。
秋山はわずかに顎を引き、モニターを見据えたまま言った。
「質問を変える」
その声は低く、しかし確信に満ちていた。
恵美、片瀬、渡辺——三人の視線が同時に秋山へ向く。
「一体目のミイラ化遺体の所見から提示できる情報を全て出せ」
一切の無駄がない命令。
蛇の目の画面が即座に反応する。
——点滅。
ピッ、ピッ、ピッ。
規則的な光。
同時に、処理音がわずかに増幅される。
【対象指定:初期被害個体】
【再解析開始】
【比較対象:他四体】
【差異抽出アルゴリズム起動】
画面が一度暗転し、次の瞬間——
膨大な情報が一気に流れ始めた。
渡辺が思わず身を乗り出す。
「……来るぞ」
画面には五体分のデータが並列表示される。
解剖所見。
血液検査値。
胃内容物分析。
組織培養結果。
それらが高速で照合されていく。
やがて——
【差異抽出:完了】
その文字と同時に、表示が整理される。
蛇の目の音声が流れる。
『初期被害個体と他四体の差異を提示します』
一つ目の項目。
【血中カリウム値】
数値が並ぶ。
他四体:異常高値。
初期個体:正常範囲内。
片瀬が低く呟く。
「……カリウムが上がってない?」
渡辺が即座に反応する。
「他は明らかに点滴の影響だ。電解質バランスが崩れてる」
恵美が画面を睨む。
「でも一体目は違う……」
蛇の目は淡々と続ける。
『当該個体において外因性カリウム過剰投与の痕跡は検出されません』
二つ目。
【胃内容物】
画面に成分分析が表示される。
他四体:高栄養流動食、異常量の抗生物質。
初期個体:通常食残渣、消化途中。
渡辺の声がわずかに上ずる。
「……普通の食事だ」
「チューブ栄養じゃない……」
恵美の言葉が続く。
蛇の目の音声。
『当該個体に対する経管栄養の実施痕跡は確認されません』
三つ目。
【抗生物質濃度】
グラフが表示される。
他四体:極端に高濃度。
腸内細菌叢:壊滅的。
初期個体:通常範囲内。
片瀬が息を吐く。
「……環境が違いすぎる」
「菌床化の前処理がされてない」
恵美が低く言った。
「つまり……最初の個体は“加工されてない”」
蛇の目が続ける。
『腸内細菌叢においても顕著な差異を確認。初期個体は自然状態を維持』
そして——
画面が一瞬強く明滅する。
【外傷所見】
全員の視線がそこに集中する。
他四体:頸部に電気熱傷痕。
初期個体:——
空白。
次の瞬間、文字が表示される。
【該当痕跡:無し】
沈黙。
一拍。
二拍。
渡辺がゆっくりと口を開く。
「……スタンガンの痕が、ない……」
片瀬が腕を組んだまま動かない。
「……拉致方法が違う?」
恵美が即座に否定するように言う。
「いや……」
視線は画面から外れない。
「そもそも、拉致されてない可能性……」
その言葉に、空気が変わる。
蛇の目はさらに続ける。
『次に既往歴および代謝状態』
データが展開される。
他四体:糖尿病(人工的誘導を含む)
初期個体:一型糖尿病(既存)
渡辺が頷く。
「ここは一致してる……」
だが蛇の目は止まらない。
『追加分析:薬物投与履歴』
画面に薬物反応が表示される。
他四体:抗生物質大量投与、栄養剤過剰投与。
初期個体:——
再び空白。
【外因性薬物投与痕跡:検出されず】
「……」
誰もすぐに言葉を出せなかった。
恵美の喉がわずかに鳴る。
「……何もされてない……?」
渡辺が信じられないという顔で言う。
「いや、でも……死んでるんだぞ……?」
片瀬が低く言う。
「菌床にはなってる……だが……」
矛盾。
明らかな矛盾。
蛇の目の処理音が一段階高くなる。
ピッ——ピッ——
【総合診断生成中】
全員が画面を見つめる。
やがて——
表示される。
【死因推定】
その文字の下に、ゆっくりと結論が出る。
『初期被害個体の死因は——』
一瞬の間。
『糖尿病性合併症による自然死』
静寂。
完全な沈黙。
機械音だけが、かすかに響いている。
恵美の目が見開かれる。
「……自然死……?」
その声はかすれていた。
渡辺が首を振る。
「そんなはず……」
片瀬が低く言う。
「他と違いすぎる……」
秋山だけが動かなかった。
ただ画面を見ている。
その目は、むしろわずかに細められていた。
蛇の目が最後の補足を提示する。
『当該個体は外因的強制処置を受けていない可能性が極めて高い』
『死亡後、他個体と同様の処理が施されたと推定』
つまり——
生きている間は、何もされていない。
死んだ後に、“あれ”にされた。
恵美の中で、何かが繋がる。
「……違う……」
小さく呟く。
「この人だけ、違う……」
渡辺がゆっくりと言う。
「最初の被害者は……」
片瀬が続ける。
「“被害者”じゃない可能性すらあるな……」
その言葉に、空気が凍る。
秋山が、ようやく口を開いた。
「いや」
静かに。
だがはっきりと。
「被害者だ」
全員の視線が秋山に集まる。
「ただし——」
わずかな間。
「意味が違う」
その言葉の重さが、部屋に落ちる。
蛇の目のモニターは、何も言わない。
ただ静かに光っている。
まるで——
すでに答えに辿り着いているかのように。




