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蛇の目/美食家  作者: ふゆはる


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第十五話/狩りの条件

 群馬県の山間部。

 舗装道路から細い林道を二度ほど曲がり、さらに未整備の砂利道を進んだ先に、その場所はあった。

 木々に囲まれ、外界からほとんど視認できない小さな空き地。

 そこに、古びたログハウスが建っていた。

 建物は小さい。

 だが、男にとっては十分だった。

 外壁の木材は長年の雨風にさらされ、濃い茶色に変色している。

 新築のような輝きはなく、むしろ周囲の山林に溶け込んでいた。

 目立たない。

 それが何より重要だった。

 男はしばらく立ったまま建物を眺めていた。

 胸の奥に、ゆっくりと満足感が広がる。

「悪くない。」

 小さく呟く。

 建物の裏手へ回る。

 そこには古い手押しポンプ式の井戸があった。

 試しにレバーを上下させる。

 数回の動作のあと、

 濁りのない地下水が吐き出された。

 男は指先で水をすくい、匂いを嗅ぐ。

 問題ない。

 水の確保は容易い。

 残る問題は電力だった。

 しかし、それも今の時代では問題にならない。

 男はスマートフォンを取り出す。

 通販サイトを開く。

 検索欄に入力する。

 太陽光パネル 自家発電キット

 画面には無数の商品が並んだ。

 発電パネル。

 バッテリー。

 インバーター。

 驚くほど簡単な構造だ。

 レビューを見る。

「素人でも設置できました」

「キャンプ用に購入」

「災害対策におすすめ」

 男は薄く笑う。

 犯罪対策には書かれていない。

 だが、それで十分だった。

 注文する。

 配送先は別名義の住所。

 慎重さは欠かさない。

 数日後、機材が届き、男は設置作業を始めた。

 屋根の南側にパネルを固定し、

 配線を建物内部へ引き込む。

 バッテリーを接続する。

 電圧を確認する。

 問題ない。

 電力供給網は完成した。

 しかも、電力会社の記録には一切残らない。

 次に取り掛かったのは、内部環境の整備だった。

 ログハウスの内部は乾燥している。

 だが、ニオウシメジには湿度が必要だった。

 男はロール状のビニールシートを広げる。

 壁。

 天井。

 床。

 建物の内部を、巨大な袋のように覆っていく。

 テープで接着し、隙間を塞ぐ。

 湿気を逃がさない構造。

 作業は単調だが、丁寧に行う。

 湿度計を設置する。

 加湿装置を動かす。

 水は井戸から汲み上げる。

 男の作業は三日間続いた。

 夜になっても手を止めない。

 そして三日目の夜。

 湿度計の数値が安定した。

 理想に近い環境。

 男は満足そうに室内を見回す。

 透明なビニールの内側で、水滴が壁を伝っている。

 湿った空気。

 温度も安定している。

 ここまでは完璧だった。

 だが――

 最も重要なものがまだない。

 菌床。

 つまり、人間だ。

 男は椅子に座り、目を閉じる。

 考える。

 健康な人間を糖尿病に変えることは可能だ。

 だが時間がかかる。

 失敗のリスクも高い。

 理想は――

 一型糖尿病患者。

 体内でインスリンが分泌されない。

 血糖値は容易に上昇する。

 真菌にとって理想的な環境だ。

 もし見つからなければ、

 二型糖尿病でも構わない。

 だが条件は増える。

 食事管理。

 薬剤操作。

 手間が増える。

 男はゆっくり目を開く。

 そして、狩りの条件を思い描く。

 今回の失敗は、彼を慎重にしていた。

 同じ方法は使わない。

 前の栽培場は群馬だった。

 ならば――

 狩場は群馬以外。

 県を跨ぐ。

 それだけで、警察の分析は遅れる。

 連続事件の関連性も見えにくくなる。

 抗生物質の入手経路も変える。

 同じ通販サイトは使わない。

 別の経路。

 別の名義。

 警察の目を眩ませる。

 男は頭の中で条件を並べていく。

 女。

 これは絶対条件だった。

 男にとって、あの味は特別だった。

 女性の菌床で育ったものは、明らかに違う。

 その差を知ってしまった以上、もう戻れない。

 これはリスクを取る価値がある。

 次に。

 糖尿病患者。

 あるいは極端に不健康な者。

 そして。

 消えても大きな騒ぎにならない人物。

 家族。

 職場。

 社会的つながり。

 それらが強い人間は危険だ。

 捜索が大規模になる。

 男は頭の中で候補を削っていく。

 ホームレス。

 一瞬考えたが、すぐに除外した。

 意外なことだが、

 ホームレスは糖尿病が少ない。

 食生活が不規則すぎるため、むしろ別の病気が多い。

 菌床には向かない。

 そして――

 場所。

 男はスマートフォンを手に取り、地図を開く。

 東京都。

 人が多い。

 行方不明が埋もれる場所。

 そして、あるエリアで指が止まる。

 新宿。

 さらに拡大する。

 新宿東宝ビル周辺。

 かつてのコマ劇場跡地。

 いまは若者が集まる場所。

 通称――

 トー横。

 夜になると、

 行き場のない若者が集まる。

 家出少女。

 立ちんぼ。

 居場所を失った者たち。

 男の目が細くなる。

「ここだ。」

 条件を満たす女は、いくらでもいる。

 糖尿病。

 不健康。

 社会的孤立。

 どれも見つかる。

 そして――

 消えても、大きく騒がれない。

 男は笑った。

 狩場は決まった。

 菌床の候補も、きっと見つかる。

 残るのは――

 手に入れること。

 それだけだった。

 男はログハウスの中を見回す。

 湿った空気。

 静かな空間。

 ここでまた、育てる。

 そして収穫する。

 その光景を想像した瞬間、

 口の中に、あの味が蘇る。

 濃厚な旨味。

 独特の香り。

 舌の奥に残る余韻。

 男の顔が紅潮する。

 呼吸が荒くなる。

 そして、堪えきれないように笑った。

「すぐだ。」

 狩場も、菌床も、決まった。

 あとは慎重に手に入れるだけ。

 男はログハウスの扉を開け、夜の山を見た。

 暗い森。

 誰もいない。

 ここで、また育つ。

 新しい収穫が。

 男は逸る気持ちを隠そうともせず、

 ゆっくりと笑みを浮かべていた。

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