第十四話/科捜研にて
事件発生から、二週間。
停滞していた捜査に、ようやくわずかな動きがあった。
身元不明だったミイラ化遺体のうち、三体の個人特定が完了したのだ。
科捜研の分析室。
蛍光灯の白い光の下で、書類の束が机の上に並んでいる。
吉羽恵美は、その資料を前に立っていた。
分析官がモニターを操作する。
「DNA照合、歯科記録、失踪届の突合。三件、確定しました。」
画面に顔写真が表示される。
若い女性たちだった。
「まず一人目。」
写真の横に名前が表示される。
安曇佳代 22歳。
大学生。
失踪届は一年前。
恵美は唇を引き結ぶ。
分析官が次の資料を出す。
「二人目。」
坂口葵衣 27歳。
派遣社員。
失踪から約九ヶ月。
三人目。
八雲梓 29歳。
看護助手。
失踪から約七ヶ月。
三人。
全員が二十代。
恵美が小さく呟く。
「……若い女ばかり。」
分析官が頷く。
「共通点はまだ薄いですが、年齢層は完全に一致しています。」
モニターに解剖データが表示される。
血液分析。
臓器の状態。
「三名とも、重篤な糖尿病状態でした。」
恵美が視線を上げる。
「やっぱり……」
分析官は続ける。
「血糖値は異常値。HbA1cも極端に高い。慢性的な高血糖状態が長期間続いていたことが確認されています。」
「死因は?」
恵美が短く聞く。
分析官は資料をめくる。
「糖尿病性合併症です。」
腎不全。
電解質異常。
循環不全。
「つまり……」
恵美の声が低くなる。
「殺されたんじゃない。」
分析官は静かに言った。
「はい。」
一拍置く。
「死ぬまで栽培された。」
その言葉に、恵美の手が机の端を強く掴んだ。
分析官はさらに説明を続ける。
「傷口の分析結果ですが……」
モニターに拡大画像が映る。
皮膚の切開痕。
そこから広がる菌糸。
「ニオウシメジの菌糸が植え込まれた痕跡は確認されています。ただし――」
「ただし?」
「致命傷ではありません。」
恵美が顔を上げる。
「どういうこと?」
分析官は淡々と答えた。
「埋め込みの切開は、どれも浅い。」
「神経、主要血管、臓器。すべて避けています。」
「つまり?」
「殺すための傷ではない。」
恵美の眉が歪む。
「育てるための傷、です。」
室内が静まり返る。
分析官は言葉を選びながら続けた。
「彼女たちは、生きたまま菌床にされていました。」
モニターに菌糸侵入の図が表示される。
「抗生物質を大量投与され、体内細菌は壊滅状態。」
「さらに高糖質の栄養剤を強制投与。」
「免疫機能は低下し、真菌が優位になる。」
恵美が低く呟く。
「人間の体を……培養基にしたのね。」
「はい。」
分析官の声は冷静だった。
「しかも可能な限り生命活動を維持するよう調整されています。」
「栄養剤、電解質、薬剤。」
「完全に管理されています。」
恵美の目に怒りが滲む。
「……つまり、死ぬまで。」
分析官は頷く。
「そうです。」
「彼女たちは自分の血糖値が上がるのを体感しながら、ゆっくり死んでいった可能性が高い。」
恵美の胸の奥で、何かが軋んだ。
想像する。
体の奥で上がり続ける血糖値。
頭がぼんやりしてくる。
視界が揺れる。
それでも意識はある。
そして体には菌が育っている。
「……最低。」
恵美が吐き捨てる。
分析官が静かに言う。
「犯人にとって彼女たちは人間ではありません。」
モニターの菌糸図を指差す。
「栽培素材です。」
その言葉に、恵美の拳が震えた。
「人を殺すんじゃない……」
声が震える。
「人を道具にしてる。」
分析官は言葉を返さない。
恵美は深く息を吐く。
怒りが胸の奥から湧き上がる。
抗生物質。
栄養剤。
菌床。
「この鬼畜……」
思わず漏れた言葉だった。
分析官がふと聞く。
「秋山室長からの指示は?」
恵美は苦い表情を浮かべた。
「……銃器使用不可。」
分析官の手が止まる。
「それは……」
「分かってる。」
恵美は言う。
「犯人を生きたまま捕まえるつもり。」
「蛇の目のため?」
「そう。」
蛇の目。
科警研第二課の中枢AI。
数多の犯罪者の思考パターンが収集されている。
恵美がぽつりと呟く。
「蛇の目はね。」
「犯人の意識を食うの。」
分析官が静かに聞く。
「食う?」
「思考パターン。」
「心理構造。」
「犯罪行動。」
恵美はモニターを見つめる。
「それを解析して、私たちに答えを返す。」
「だから精度が高い。」
分析官はゆっくり頷いた。
「……なるほど。」
恵美は小さく笑った。
だがそれは苦い笑いだった。
「皮肉よね。」
「何がです?」
「蛇の目のやってること。」
恵美は言った。
「今回の犯人と似てる。」
分析官が眉を上げる。
「似ている?」
「人間を材料にするって意味でね。」
静かな沈黙。
「蛇の目は犯人を取り込む。」
「犯人は人を栽培する。」
恵美は肩をすくめる。
「やってることの構造は似てる。」
分析官はしばらく考えてから言った。
「……ただ目的は違います。」
「ええ。」
恵美は即答した。
「蛇の目は人を救うため。」
そして低く言った。
「こいつは、食うため。」
分析官が資料を閉じる。
「過去の犯人と比較しました。」
「どうだった?」
「傾向が違います。」
恵美はすぐ理解した。
「環境型じゃない。」
「はい。」
これまで第二課が捕まえてきた犯人。
その多くは、環境に歪められた人格だった。
シュエメイ。
自殺偽装連続事件の犯人。
家庭環境の崩壊。
虐待。
社会的孤立。
死の天使、秋山和葉。
病院という閉鎖環境が生んだ歪み。
だが今回の犯人は違う。
分析官が言った。
「この犯人は……」
「生まれつきです。」
恵美が呟く。
「ソシオパス。」
分析官は頷いた。
「倫理構造が最初から欠落している。」
「罪悪感も共感もない。」
恵美の目が鋭くなる。
「だから人を栽培できる。」
「はい。」
分析官は静かに答えた。
「この犯人にとって、人間は素材です。」
恵美はモニターに映る被害者の写真を見つめた。
安曇佳代。
坂口葵衣。
八雲梓。
そして――
新井由美。
胸の奥で怒りが燃える。
だがその怒りを押し殺しながら、恵美は言った。
「……絶対捕まえる。」
分析官が静かに頷く。
恵美はモニターから目を離さず言った。
「生きたまま。」
それは秋山の命令でもあり、
そして――
彼女自身の決意でもあった。




