第十三話/理想
男は、静かな部屋でパソコンの画面を見つめていた。
無機質な白い検索画面。
その中央に並ぶ検索結果を、彼は一つひとつ丹念に眺めている。
目的はただ一つ。
新しい農場を探すこと。
失われた栽培地の代替。
それだけだった。
だが、それは簡単なことではない。
彼が一年以上の時間をかけて作り上げた場所は、完全に失われた。
あの廃工場。
湿度、温度、遮光、空気の循環。
すべてが理想的だった。
そして何より――
誰も来ない場所だった。
それが、今回の失敗の最大の原因でもあった。
男はキーボードの上に指を置いたまま、思考を巡らせる。
今回の発覚は、完全な偶然だった。
心霊スポット探索。
廃墟マニア。
動画投稿者。
そういった好奇心の塊のような人間たちが、日本中の廃墟を探し回っている。
彼の栽培地も、その網に偶然引っかかっただけだった。
だが――
偶然であっても失敗は失敗だ。
男はその事実を冷静に受け止めていた。
今回の発見は、彼にある教訓を与えた。
廃墟は目立つ。
どれほど人が来ない場所でも、
「廃墟」という属性だけで好奇の対象になる。
それが問題だった。
男は椅子にもたれかかり、天井を見上げる。
しばらく目を閉じる。
静寂。
そして、ゆっくりと目を開いた。
「ああ……そうか。」
小さく呟く。
発想を変えればいい。
廃墟ではなく、普通の場所にすればいい。
必要な条件は単純だった。
・電力
・水
・ある程度安定した温度
・外部から干渉されない空間
・自分が管理できる広さ
それだけだ。
男は検索条件を変える。
中古ログハウス
山林付き
井戸あり
格安物件
画面に新しいリストが現れる。
男の視線がゆっくりと動く。
日本で、完全に人目を避けることは難しい。
だが――
限りなく少なくすることはできる。
山林。
それも地方。
条件を追加する。
群馬県
山林
中古ログハウス
格安
検索。
短いリストが表示される。
十件未満。
男はゆっくりと笑った。
「いいね。」
一件ずつ詳細を開く。
山の奥。
管理放棄。
安価。
井戸付き。
理想に近い。
彼は計算を始める。
土地と建物。
修繕費。
太陽光発電。
設備。
ざっくりと算出する。
約二百万円。
痛い出費だった。
だが――
男の舌の上に、記憶が蘇る。
あの香り。
あの食感。
あの濃厚な旨味。
ニオウシメジ。
しかも、あの栽培法で得られる味は市販品とはまるで違う。
男の喉が鳴る。
「安いものだ……」
電力は太陽光で最低限確保すればいい。
水は井戸。
それなら電力会社の使用量から足がつくこともない。
彼は以前、犯罪ニュースをよく読んでいた。
特に興味深かったのは――
大麻栽培者の逮捕例。
彼らは必ず電力使用量の異常で発覚する。
照明。
空調。
ポンプ。
大量の電力と水。
そこから捜査が始まる。
だが彼の栽培には当てはまらない。
ニオウシメジは強い。
人間の体内なら、なおさらだ。
男は笑う。
現金で支払えば足もつかない。
銀行記録も残らない。
完璧だった。
そして、想像する。
次の収穫。
刃を入れる瞬間。
菌肉を裂いたときの香り。
その瞬間、男の体に変化が起きる。
口の中に唾液が溜まる。
頬が紅潮する。
呼吸が荒くなる。
そして――
下半身が静かに屹立していた。
男は椅子から立ち上がる。
ゆっくりと部屋を出ていく。
パソコンの画面だけが残された。
そこには大きな文字が表示されていた。
「中古ログハウス 格安 群馬県」
新しい農場の候補。
そして新しい収穫の場所。
静かな部屋の中で、
画面だけが青白く光っていた。
その頃。
科警研第二課。
秋山慎一郎は机に肘をつき、深く息を吐いていた。
捜査は――
停滞していた。
唯一身元が判明した遺体。
新井由美、25歳。
群馬県在住。
それ以外の四体は、すべてミイラ化していた。
死後一年以上の遺体もある。
顔の識別は困難。
DNA照合も時間がかかる。
行方不明者リストは膨大だった。
秋山は頭を抱える。
被害者の身元が分からなければ、
・地理的プロファイリング
・被害者プロファイリング
どちらも進まない。
そして――
蛇の目も機能しない。
AIは入力されたデータからしか分析できない。
データがなければ、ただの箱だ。
秋山は苛立ちを感じていた。
できることは限られている。
由美の医療データ。
そして、拉致地点の特定。
それだけだった。
片瀬、渡辺、恵美。
三人には通常の聞き込み捜査を命じている。
そして――
恵美だけが今、科捜研にいた。
新しい証拠の検証に立ち会うためだ。
数時間後。
報告が届く。
死因。
糖尿病による高血糖昏睡。
血糖値。
500以上。
さらに合併症。
腎不全。
脱水。
循環不全。
だが――
それ以上に衝撃的だったのは別の事実だった。
菌糸を埋め込まれた傷口。
それらはすべて――
致命傷ではなかった。
被害者は死なない。
死なないまま。
菌糸はゆっくりと体内に広がる。
そして糖尿病による緩慢な死を迎えるまで、
生きたまま菌床になる。
秋山は報告書を閉じた。
犯人像は明確だった。
異常な忍耐力。
長期計画。
そして――
極度のサディズム。
蛇の目の分析も同じ結論を出していた。
さらにAIはある指摘をしていた。
カニバリズムとの類似性。
人間を食べる代わりに、
人間から収穫する。
それは極めて近い行為だった。
しかし――
捜査は進まない。
由美の医療データ。
一型糖尿病。
だが担当医師は複数。
接点はない。
抗生物質。
それもネット通販で入手可能。
医療従事者リストからの絞り込みも不可能だった。
秋山は椅子から立ち上がる。
窓の外を見る。
第二課が解決してきた事件は数多い。
だが今回の事件は――
異常の質が違う。
蛇の目に登録されているサイコパス。
その誰とも一致しない。
完全な未知の思考。
秋山の中で、ある決断が固まる。
犯人を――
生きたまま捕まえる。
蛇の目に組み込む。
この思考パターンは貴重だ。
今後の異常犯罪の分析に必要になる。
そのためには条件がある。
犯人を殺さないこと。
つまり。
銃の使用は不可。
これは捜査員にとって危険な命令だった。
だが秋山は迷わない。
短いメッセージを打つ。
送信。
恵美。
片瀬。
渡辺。
三人の端末に通知が届く。
そこには一行だけ書かれていた。
「銃器の使用不可」
その瞬間。
第二課の事件解決の難易度は、
一段階ではなく、桁違いに跳ね上がった。




