第十一話/新井由美
砂原宗一の所見は、推測ではなかった。
後日、科捜研から送られてきた詳細な分析報告書は、
彼の指摘を一つ残らず裏付ける内容だった。
第二課オペレーションルームの長机に、分厚いファイルが並ぶ。
電子データは既に蛇の目へ読み込まれているが、
それでも紙の重みは、事態の深刻さをより実感させた。
秋山がページをめくる。
「……一致しているな。」
重篤な糖尿病状態。
抗生物質の長期大量投与。
常在細菌の壊滅。
免疫機能の極端な低下。
全てが、砂原の説明通りだった。
だが、それだけではない。
新たに判明した事実が、さらに不気味さを増していた。
最も古い遺体は、死後一年以上が経過していると推定された。
発見時に死亡したと見られる一体を除き、
他の遺体は外皮が完全にミイラ化していた。
皮膚は乾燥し、収縮し、
内部の組織は菌糸に置換されている。
長期間にわたり、
“栽培”が続いていた証拠だった。
そして――
全ての遺体から、ニオウシメジの収穫痕が確認された。
傘部が切除された形跡。
茎部が鋭利な刃物で切り取られた断面。
複数回の収穫を示す組織再生痕。
渡辺が報告書を握り締める。
「……繰り返し、収穫している。」
単発ではない。
一度きりの異常行為ではない。
継続的な農作業。
それが、公式な文書に刻まれている。
さらに興味深い――いや、異様な事実があった。
いずれの遺体も、糖尿病が極めて重篤な状態だった。
血糖値は慢性的に高値を維持し、
合併症が出てもおかしくないレベル。
そして、最も新しい遺体。
その解析結果が、室内をさらに静まり返らせた。
「一型糖尿病……?」
恵美が呟く。
報告書には明記されていた。
自己免疫性の膵β細胞破壊が確認され、
インスリン分泌機能がほぼ消失。
後天的誘導の可能性が極めて高い。
渡辺が低く言う。
「二型じゃない。……作られた可能性が高い。」
一型糖尿病は通常、遺伝的素因や自己免疫反応によるものだ。
だがここでは、外部要因による誘導が疑われる。
口腔および胃内容物の分析結果も追記されていた。
過度な栄養剤の反応。
高濃度ブドウ糖製剤。
広域抗生物質。
長期投与の痕跡。
体内の免疫力は極端に低下していた。
それは偶然ではない。
菌類にとって最適な環境。
高血糖による栄養供給。
細菌競合の排除。
免疫抑制。
報告書の結論は冷徹だった。
「本事案は、人体を真菌培養基として意図的に改変した可能性が極めて高い。」
オペレーションルームの空気が重く沈む。
秋山はゆっくりとファイルを閉じた。
「まずは、身元を洗う。」
短い命令。
恵美、渡辺、片瀬が頷く。
被害者五人の特定。
だがそれは容易ではなかった。
蛇の目に全データを統合させる。
DNA照合。
行方不明者データベース。
歯科治療記録。
骨格特徴。
過去の医療履歴。
それでも一致率は低い。
ミイラ化により軟部組織は劣化し、
長期間の菌糸侵襲でDNAの断片化も進んでいる。
蛇の目の演算ログが高速で流れる。
だが――
「……困難を極めています。」
片瀬がモニターを見つめたまま言う。
行方不明者リストは膨大だ。
全国データ。
数年分。
未解決案件。
ミイラ化した遺体は、その海の中に埋もれていく。
唯一の収穫は――
最も新しい遺体。
群馬在住。
新井由美、25歳。
職業、会社員。
行方不明届は三か月前に提出されていた。
顔写真がモニターに表示される。
穏やかな笑顔。
その姿と、解剖写真が重なる。
恵美は一瞬、視線を逸らした。
秋山が低く言う。
「……時間軸が見えたな。」
一年以上前から始まっている。
少なくとも四人は長期失踪者。
そして直近三か月以内に、新井由美。
犯人は止まっていない。
むしろ――
技術を洗練させている。
一型糖尿病誘導。
それは前例のない段階に踏み込んだ証だ。
蛇の目の画面が更新される。
【栽培期間:最長12か月以上】
【収穫回数:複数】
【技術進化傾向:確認】
【次回犯行予測:継続性高】
室内に重苦しい沈黙が落ちる。
身元不明の四体。
行方不明者データの海。
新井由美という、唯一の具体的な名前。
秋山は三人を見渡す。
「新井由美から辿る。」
声は静かだが、確固としている。
「交友関係。医療履歴。失踪前の行動。」
蛇の目は演算を続ける。
だが、身元特定という人間的作業は、
まだ機械だけでは完結しない。
五人の人生。
その痕跡を掘り起こす作業が、
今ようやく始まった。
犯人は栽培していた。
だが第二課は、
埋もれた名前を掘り起こす。
それが最初の反撃だった。




