第六話 契約
夕食を終えた頃。
美月は大きな欠伸をした。
「ねむい……」
時計は二十一時を回っていた。
今日は。
世界が変わった日。
三歳の美月には、少し長すぎる一日だった。
結衣が優しく頭を撫でる。
「もう寝ようか」
「うん……」
お気に入りのぬいぐるみを抱きしめ、美月は寝室へ向かった。
ベッドへ入る直前。
ふと振り返る。
「パパ」
「ん?」
「ようせいさん、いた?」
陽翔は少しだけ笑った。
「今日は会えなかったな」
「そっかぁ……」
少し残念そうに呟くと、美月は布団へ潜り込む。
しばらくすると、小さな寝息が聞こえ始めた。
⸻
陽翔と結衣は静かにリビングへ戻る。
テーブルの上には。
桜色のBOOK。
淡く、優しい光を放っていた。
結衣はしばらく見つめる。
「……少し怖い」
本音だった。
陽翔はすぐに答える。
「無理しなくていい」
「今日じゃなくてもいいんだから」
結衣は小さく笑う。
「ありがとう」
少しだけ黙る。
そして。
「でも」
「陽翔だけ戦わせるのは嫌」
その言葉に。
陽翔は何も返せなかった。
結衣はBOOKへ視線を落とす。
「私も守りたい」
その決意だけで十分だった。
陽翔は静かに頷く。
「分かった」
「無理だけはするな」
「うん」
クロは何も言わない。
ただ静かに、二人を見ていた。
⸻
結衣は桜色のBOOKへそっと手を置く。
「あったかい……」
「温かい?」
陽翔も手を重ねる。
「ほんとだ」
春の日差しのような、柔らかな温もりだった。
結衣は深く息を吸う。
そして。
「BOOK OPEN」
その瞬間。
桜色の光が部屋いっぱいに広がった。
暖かく。
どこか懐かしい光。
BOOKがひとりでに開く。
ページが勢いよくめくられていく。
パラララララ……
やがて最後のページで止まった。
そこに浮かび上がる文字。
【A RANK BOOK】
【CLERIC】
「クレリック……」
さらに文字が現れる。
【能力】
【治癒】
【対象の傷を癒やす】
結衣は息を呑んだ。
「傷を……治せる?」
第六話 契約
文字はまだ終わらない。
新たな説明が浮かび上がる。
【コア】
【能力はコアを消費して発動する】
【コア容量は個人によって異なる】
【意志】
【経験】
【覚悟】
【それらがコア容量を決定する】
結衣が小さく呟く。
「コア……」
「能力を使う燃料ってこと?」
『そうだ』
クロが答える。
『能力は無限には使えん』
『コアが尽きれば、能力も使えなくなる』
陽翔も説明へ目を向ける。
「意志や経験で変わるのか」
『その通りだ』
しばらく説明を読んでいた陽翔が、ふと顔を上げた。
「……待って」
『なんだ』
「なんでオレの時は教えてくれなかった?」
クロは少しだけ黙る。
そして。
『説明しようとはした』
「え?」
『お前に聞く余裕がなかっただけだ』
陽翔はあの日を思い出す。
暴走した能力者。
突然の契約。
初めての戦闘。
確かに。
説明を聞いている余裕など、一秒もなかった。
「……あ」
気まずそうに頭をかく。
「ごめん」
クロは何も言わない。
結衣が思わず吹き出した。
「ふふっ」
陽翔も苦笑する。
「……確かに、あの時はそれどころじゃなかったな」
結衣はもう一度BOOKへ目を向ける。
「能力って、ずっと使えるわけじゃないんだね」
『当然だ』
『無限に使えるなら、世界はとっくに終わっている』
「それもそうか」
陽翔は納得したように頷いた。
⸻
今日だけで。
世界は変わった。
それでも。
こうして笑い合える時間が、まだ残っている。
そのことが少しだけ嬉しかった。
時計の針は静かに進んでいく。
⸻
やがて。
陽翔と結衣は寝室へ戻った。
美月はぬいぐるみを抱いたまま、気持ちよさそうに眠っている。
二人は小さく微笑み合い、静かにベッドへ入った。
世界は変わった。
それでも。
今夜だけは、静かな夜だった。
⸻
だが。
翌朝。
世界は再び、大きく動き始める。




