第十一話 繋がる声
保護施設から家へ戻る頃には、外はすっかり暗くなっていた。
玄関の扉を開けると、見慣れた明かりが陽翔を迎える。
「ただいま。」
「おかえり。」
リビングから結衣が顔を出し、優しく微笑んだ。
その直後、小さな足音が廊下を駆けてくる。
「ぱぱー!」
満面の笑みを浮かべた美月が勢いよく飛び込んできた。
「おっと。」
陽翔は自然と抱き上げ、その小さな身体をしっかり抱きしめる。
「ただいま、美月。」
「えへへ。」
嬉しそうに笑う娘の頭を優しく撫でる。
ほんの昨日まで、この光景は当たり前だった。
仕事から帰れば家族がいて、他愛もない話をしながら夕食を囲む。
そんな日常が、これからも続くと信じていた。
だが、今は違う。
明日を迎えられる保証など、どこにもない。
だからこそ、この何気ない時間が何よりも愛おしかった。
陽翔は美月を抱いたままリビングへ向かう。
テレビでは、埼玉県消滅のニュースが途切れることなく流れていた。
砕けた守護水晶。
突き刺さる一本の矢。
そして、消えていく人々。
「今日ずっと、このニュースだね。」
結衣が画面を見つめながら呟く。
「仕方ないよ。」
陽翔も視線をテレビへ向けた。
たった五時間で一つの県が滅んだ。
この映像は、日本中の人々に現実を突きつけている。
ふと思い出したように、陽翔はポケットへ手を入れた。
「あ、そうだ。」
取り出したのは、小さな一冊のBOOKだった。
「政府から配られたんだ。」
「家族にも?」
「うん。一人一冊。」
結衣は興味深そうに受け取り、そっと表紙へ触れる。
その瞬間だった。
BOOKが淡く光り、ひとりでにページが開く。
文字がゆっくりと浮かび上がった。
【BOOK所有者を認証しました】
【小型BOOK登録完了】
【通信機能が解放されました】
【通信したい相手を思い浮かべてください】
「これだけ?」
結衣が少し驚いたように笑う。
「思ったより簡単なんだね。」
試すように目を閉じる。
頭に浮かべたのは、陽翔の顔だった。
その直後。
陽翔の小型BOOKが小さく震える。
【結衣から着信】
【応答】
【拒否】
「もう来た。」
陽翔は苦笑しながら【応答】へ触れ、小型BOOKを耳元へ当てた。
『聞こえる?』
結衣も耳元へ当て、少し照れたように笑う。
「聞こえる。」
『すごい……。』
「本当だ。」
まるで隣にいるのに電話をしているような、不思議な感覚だった。
『これなら離れてても安心だね。』
「そうだね。」
二人は顔を見合わせ、小さく笑い合う。
その時だった。
陽翔の小型BOOKが再び震える。
【健太・香恋からグループ着信】
「今度は健太たちか。」
応答すると、すぐに元気な声が飛び込んできた。
『おー! 聞こえる聞こえる!』
健太の大きな声に、思わず陽翔も笑う。
『これ、すげぇ便利だな!』
続いて香恋の声が聞こえた。
『全国どこにいても繋がるんだって!』
『戦場で離れても連絡できるなら安心だよね!』
「確かに。」
陽翔は頷く。
「これなら連携もしやすそうだ。」
しばらく他愛もない会話が続き、通信は静かに途切れた。
部屋に静けさが戻る。
その沈黙を破ったのは、クロだった。
『便利なのは認める。』
『だが、戦場で敵を前にしてBOOKを見ている暇なんてない。』
陽翔は手の中の小型BOOKを見つめる。
確かに、便利だ。
離れた仲間とも連絡が取れる。
家族の無事も確認できる。
だが。
命を預けるには、あまりにも無防備だった。
このゲームは。
便利な道具一つで生き残れるほど、甘くはない。
◇
同じ頃。
青森県。
市内の大きなホールには、五十人を超えるBOOK所有者が集まっていた。
誰もが正面の巨大なモニターを見つめている。
映し出されているのは、埼玉県消滅の映像。
砕けた守護水晶。
突き刺さる一本の矢。
そして、消えていく七百万人。
会場は静まり返っていた。
その沈黙を破るように、一人の男が立ち上がる。
「落ちたか。」
低く響く声。
賢二だった。
それだけで、会場の空気が張り詰める。
「……本当に攻めるのか。」
誰かが恐る恐る口を開いた。
「まだ半日も経ってない。」
「早すぎる。」
賢二は何も答えない。
ゆっくりと床へ手を置く。
次の瞬間だった。
バキッ――。
鋭い音とともに、床が白く凍り始める。
氷は瞬く間に広がり、机を覆い、椅子を飲み込み、壁から天井へと駆け上がっていく。
巨大なホール全体が、白銀の世界へ変わった。
空気が一気に冷え込む。
誰かの吐いた息が白く染まる。
誰一人として動けなかった。
賢二は静かに周囲を見渡す。
「……オレに勝てる奴がいるか。」
その一言で、反対の声は完全に消えた。
一人で戦場を書き換える。
誰もが、その力を目の当たりにしていた。
やがて氷がゆっくりと消えていく。
賢二は壁に貼られた日本地図の前へ歩み寄る。
指先が止まったのは、一つの県。
北海道。
「最初に、ここを落とす。」
「……なぜ北海道なんですか。」
恐る恐る飛んだ質問にも、賢二は迷わない。
「長期戦になれば食料が要る。」
「北海道は日本最大の食料生産地だ。」
「秋田と岩手を押さえれば、防衛線も築ける。」
「最初に奪う価値がある。」
誰も反論できなかった。
理にかなっている。
だからこそ恐ろしい。
賢二は静かに振り返る。
「北海道へ入る。」
会場がざわついた。
「海を渡るんですか。」
「五十人も動けば、すぐ気付かれます。」
賢二は小さく笑う。
「いや。」
短く答える。
「もう始まってる。」
その言葉に、全員が息を呑んだ。
「オレの仲間は、もう北海道へ向かっている。」
「どうやって……。」
賢二は静かに口角を上げる。
「仲間のBOOKだ。」
「《GATE》。」
その一言だけで十分だった。
海は、もはや国境ではない。
能力さえあれば。
どこへでも辿り着ける。
賢二は静かに宣言する。
「GATEが繋がり次第。」
「北海道を落とす。」




