第十話 全国の怪物たち(前半)
午前一時。
開戦から五時間。
日本中のテレビへ、一つの映像が映し出された。
埼玉県。
巨大な守護水晶は無惨にも砕け散り、その中心には一本の矢が深く突き刺さっている。
神は静かな声で告げた。
「埼玉県は敗北しました。」
「県民全員の命を回収します。」
その瞬間だった。
映像の中で、人々の身体が淡い光へと変わり始める。
泣き叫ぶ者。
家族の名を呼ぶ者。
何が起きているのか理解できず立ち尽くす者。
しかし、誰一人として助からない。
数秒後。
人口約七百万人を抱えていた埼玉県から、人の姿は消えた。
静寂だけが残る。
守護水晶は本当に破壊できる。
神は本当に人を殺す。
その事実は、日本中へ絶望を刻み込んだ。
そして誰もが思った。
――一体、誰がこんなことをやったのか。
だが、本当に恐ろしいのは。
その人物だけではない。
日本には、まだ姿すら現していない怪物たちが数多く存在していた。
◇
群馬県。
山奥に広がる草原。
暖かな日差しの中、一人の青年が大の字になって寝転がっていた。
「もう動けない。」
「疲れた。」
「おんぶして。」
まるで散歩帰りのような気の抜けた声だった。
近くでは、一人の男がノートパソコンを操作している。
「嫌だ。自分で歩け。」
「えー。」
青年は不満そうに頬を膨らませる。
そのすぐ隣には一本の弓が置かれていた。
埼玉県を滅ぼした、あの矢を放った弓。
青年は空を見上げながら頭を掻く。
「コア、全部使っちゃったな。」
「何日で戻るんだろ。」
少し考えたあと、小さく笑った。
「……まぁ、いっか。」
その顔に罪悪感はない。
埼玉県を滅ぼしたことさえ。
彼にとっては能力の限界を調べるための実験でしかなかった。
◇
東京都。
都内のマンション。
大型テレビでは、総理大臣による緊急会見が続いていた。
「BOOKを発見した場合は政府へ提出してください。」
「能力を独断で使用せず、冷静な行動をお願いします。」
「政府が必ず皆様を守ります。」
その言葉を最後まで聞く者はいなかった。
一人の少年が静かにリモコンを手に取り、テレビの電源を切る。
部屋に静寂が訪れる。
そこにいたのは四人の高校三年生。
幼い頃から共に育ってきた幼馴染だった。
「まだそんなこと言ってるんだ。」
少年が苦笑する。
隣にいた少女も肩をすくめた。
「BOOKを政府へ渡してください、か。」
「従う人なんているのかな。」
「俺なら絶対渡さない。」
別の少年が笑えば、少女も「私も」と笑い返す。
だが。
中央に座っていた青年だけは笑わなかった。
窓の外へ視線を向けたまま、静かに口を開く。
「今の政治じゃ無理だ。」
その一言で、三人の表情が変わる。
「世界はもう変わった。」
「なのに上の人たちは、昨日までと同じやり方で何とかしようとしてる。」
「そんなので日本は守れない。」
眼鏡を掛けた少女が静かに頷いた。
「私もそう思う。」
「今必要なのは、新しいルールを作る人。」
青年はゆっくり立ち上がる。
窓の向こうには、眠らない東京の街が広がっていた。
「だったら。」
「俺たちで変えよう。」
「俺たちのBOOKならできる。」
「東京を。」
「日本を。」
短い沈黙。
しかし、それは迷いではなかった。
「いいね。」
「面白そう。」
「もちろん乗る。」
三人は自然と笑い合い、拳を重ねる。
幼い頃から変わらない約束。
この日。
後に東京最大勢力となる組織が産声を上げた。
その名は――
◇
新潟県。
守護水晶の周囲は、半透明の巨大な結界に包まれていた。
その前で、一人の老人が静かに胡座をかいている。
部下が足早に駆け寄った。
「埼玉県が……落ちました。」
老人はゆっくりと目を開ける。
「そうか。」
驚きはない。
ただ一度だけ頷き、守護水晶を見上げた。
「若いのう。」
「戦とは、焦った方が負けじゃ。」
そう呟くと、老人は杖で地面を軽く叩く。
その瞬間。
守護水晶を覆う結界が低く唸り、さらに厚みを増していく。
空気そのものが震えるほどの圧力。
老人は満足そうに目を細めた。
「安心せい。」
「この結界を破れる者など、そうはおらん。」
「攻めは若い者に任せればよい。」
「守りは、わしがおる。」
そう言い残し、老人は再び静かに目を閉じた。
まるで何十年も城を守り続けてきた老将のように。




