パンの常識が変わる時②
俺たちは食事を済ませた後、少し談笑した後、パン作りを再開する。
「え? さっきのと全然大きさが違うけど、こんなに膨らむの?」
ロールパンの時はあまり見る機会がなかったオーグリアが驚いている。
「ええ、これは発酵した“後”です。酵母を入れて時間を置くことで、生地の中に空気が生まれるんです」
「朝作ってたやつもそれだったってわけか。たしか、この後も少し置くんだろ」
そう、それが二次発酵というもの、そこまでしてようやく焼くことができるようになる。
「前日に一次発酵まで済ませておくと、翌日は二次発酵だけで、すぐ焼けるようになるわけです」
俺はそう言いながら形を整える。
「形を整えるのはこの時です。つまり一次発酵と二次発酵の“間”。この工程で、どんなパンにするかが決まります。今回は少し大きめのパン、バゲットを作りましょう」
生地はやや大きめなので、2つに分割しておく。片方はコボッタさんにやってもらおう。
まずは生地を丁寧に横長の長方形へと広げる。ただし、ここで力任せに押し潰してはならない。
次に、手前側の端を指先でつまみ、全体の3分の1ほどの位置へと丁寧に折り込む。続いて奥側も同様に持ち上げ、中央へと重ねるように折りたたみ 、長い封筒のような形にする。
生地を90度くらい回転して長く伸ばし、表面に張りを出す。生地は基本つぶさず引っ張りすぎないようにする。
あとは軽く打ち粉をして二次発酵の時間だ。とりあえず常温で30分から1時間ほど発酵させよう。
そういえば、肝心の酵母の作り方を教えるのをすっかり忘れてたな。
この時間にコボッタさんやオーグランドさん、オーグリアやヨウコに天然酵母の作り方を教えよう。ガロがそのやり方を冊子に書き留めておいてくれたので説明がはかどった。
「なるほど、乾燥させたブラドベリーやヴァイスベリーに砂糖と水を入れて置いておけば、この酵母ってやつになるわけだな」
「はい。ただ、一日おきに軽く振ってください。それをパン生地に混ぜて、時間を置くことで発酵し、空気が生まれて柔らかくなる……という仕組みです」
そんなやり取りをしているうちに、時間はあっという間に過ぎていった。
「おお、すげえべな。さっきよりも膨らんでるべ!」
「はい。これで二次発酵完了です。あとは焼くだけですね」
俺は生地に包丁で斜めに切れ目を入れ、火のついた窯に入れる。
時間は様子を見ながら30分ほど焼こう。
「どんなふうに焼けるか楽しみだべさ」
焼けるまでの間、俺たちは雑談をして時間をつぶした
「あ、なんかいい匂いがしてきた」
「そろそろですね。取り出してみましょう」
窯から引き出したバゲットは、見事なきつね色に輝いていた。表面は張り詰めるように香ばしく、立ちのぼる香りだけで食欲を刺激してくる。
「さあ、試しに食べてみましょう」
焼けたバゲットを薄くスライスしてみんなに渡していく。
みんなに行きわたったところで焼きたてのバゲットにかぶりつく。
「おお、表面はパリッとしていて中はふんわりとしているっすね。」
「こいつは驚いたべ。あの酵母ってやつを入れただけでここまで柔らかくなるんだべか」
「あ、パンの切った部分を見て。これが空気の跡ってことでしょ」
「ああ、さらにこいつはこういった食べ方もある」
俺はもう一切れを手に取り窯へ戻した。
焼いたバゲットの断面に、さらに熱が加わり色づいていく。
そこへ軽くバターを落とす。
じゅわり、と溶けた黄金色が染み込み、香ばしさが一段と際立った。
「こういう食べ方もあるんです。外はさらにパリパリに、中はバターのコクが加わって別物になる」
「おお……同じパンなのに全然違う食いもんみてぇだべ!」
「他にも色々な焼き方がありますが、まずはこのバゲットの焼き方を基本に色々覚えていきましょう」
「なんだかワクワクしてきただぁ!」
これでリーンパンとリッチパン、両方の生地の作り方が分かるようになった。この二つを抑えておけば、後は応用で何とかなるだろう。
「そうなると、明日からはこの2種類のパンを焼いてもらった方が良さそうだな」
「そうっすね。ドライヴァイスベリーなら市場でも安く売ってますし、明日には間に合うはずっすよ」
「よっしゃ、おらに任せてくれ。最高のパン作ってやっからよ」
そう言い残し、コボッタさんは意気揚々と帰路についた。すでに頭の中では、明日の仕込みが始まっているのだろう。
「さて……俺たちも昼飯の準備に取りかかるか」
俺は今日の昼食の献立を書きだしていく。
ポテトサラダ、サンドイッチ、オニオンスープ、チキンカツの予定だ。
おっと、そろそろあれの時間だな。
「そろそろブイヨンができているはずだ。試しに味を確認してみよう」
俺は完成したブイヨンを一度濾し、澄んだスープだけを器へ注ぐ。
少し塩で味を調えてあるから、そこそこ飲めるはずだ。
みんなへ配ると、すぐに感想が返ってきた。
「これは美味しいのです!」
「わあ、美味しい!!」
「ほう、これは中々深い味だな」
「うおお、美味えっす兄貴!」
料理番だけではなく、下働きの子たちにも味見させた。これも勉強の一つだろう。
みんなが味を確認すると感嘆の声をあげた。ブイヨンの出来は悪くないようだ。
さて、それじゃあ昼食づくりを始めるとしよう。
前菜のポテトサラダは俺とヨウコ、下働きのミネルヴァの三人で作ることにした。
にんじんの皮をむき、細めのいちょう切りにしてもらう。お湯を沸かしてザルに入れた状態で軽くゆでる
ジャガイモの皮をむき、1㎝ほどの輪切りにしてそのままお湯の張った鍋へ放り込む。茹でる時間はそれなりにかかるが、その間に別の仕込みを進める。
「作る調味料の名前はマヨネーズだ」
俺はボウルを取り出し、先ほど取っておいた卵黄を落とす。そこに塩とワインビネガーを加え、しっかりと混ぜ合わせた。
次にオリーブオイル。ここが肝だ。
「ここは絶対に焦るなよ……」
俺は自分に言い聞かせるように呟きながら、オイルを数滴ずつ垂らしていく。
一気に入れれば、その瞬間に全てが終わる。乳化は崩れ、ただの油と卵黄に逆戻りだ。
本来、水と油は交わらない。だが卵黄の力が、その境界を無理やり繋ぎ止める。理屈では分かっていても、実際の作業は神経を削る繊細さだ。
ひたすらに混ぜる。休まず、止めず、ひたすらに。
「か、変わるのですか? エイタさん」
「いや、いい。ここで失敗してしまうと心が折れる」
マヨネーズづくりを何とか終わらせた。
ちょうどよくジャガイモの入った鍋が沸いたようだ。
俺は鍋の中身をザルへとあけ、それをボウルへ移すと、へらで丁寧に潰していった。
粗熱を取ったら茹でたにんじんを加え、軽く混ぜて冷蔵庫の中で冷やしておく。
スープ作りはオーグリアと下働きのアルマが担当だ。
と言ってもブイヨンは完成しているので、具材の玉ねぎとベーコンの下処理だ。
先にベーコンを切り終えたオーグリアは火にかけた鍋へベーコンを放り込んだ。
ジュワッと脂の弾ける音が広がり、すぐに食欲をそそる香りが漂い始める。その間に下働きのアルマが玉ねぎを刻んでいく。
「玉ねぎ切り終えました!」
「分かった。鍋に全部入れて!」
刻み終わった玉ねぎを鍋に入れさらに飴色になるまで炒めていく。
しっかりと炒めたら、おたまでブイヨンを鍋へと注ぎ込む。すると底にこびりついた焦げがほどよくこそげ落ち、旨味がスープへと溶け出していく。
これで、スープの土台はほぼ完成だ。あとは一度しっかり沸かせばいい。
ぐつぐつと沸き立っていた鍋の火を少し落とす。このまま15分ほど煮込めば完成だ。
サンドイッチ担当はガロと双子のリントンとレントン。
パンは先ほど焼いたバゲットを使うのでトマトとレタス、ベーコンのみだ。
ガロはスライスしたベーコンを焼きつつ、石窯オーブンでスライスしたバゲットの表面を軽く焼いていく
双子のリントンとレントンは野菜を洗ってスライスしていくが、ぎりぎりまで乗せない。提供前に乗せないとパンが水分を含んでべちょべちょになってしまうからだ。
メインディッシュ、こいつは料理の顔だ。
ここはやはり、オーグランドさんが担当だ
オーグランドさんはドドのもも肉を余計な脂を取り、厚みを均一にしたら、塩コショウで味をつけていく。
鍋にオラブオイルを入れるのだが、鍋に半分くらい入れたため、ほとんどを使いきってしまった。
その鍋を火にかけ揚げ物の準備をする。俺も作業がある程度終わっているので、揚げ物の補助に入ることにしよう。
ニンニクのみじん切りを終えた下働きのエルスは、トマトを熱湯にくぐらせて皮をむいている。
皮をむいたトマトをざく切りにしてオーグランドさんに渡す。
「トマト完了です」
「うむ、そこに置いておいてくれ」
オーグランドさんは手鍋にオラブオイルをひき、ニンニクを入れ香りを出す。そこに刻んだトマトを入れ水分を飛ばすように煮込む。前回作ったトマトソース作りだ。
塩コショウで味を調え、最後に香草を散らせば完成。
オーグランドさんは小さな器に少しよそい味を確認する。
「うむ、いい味だな」
その間にエルスがドド肉に衣をつける準備をする。
まずドド肉に小麦粉をまぶし、その次に溶き卵、最後に細かく刻んだパン、つまりパン粉を付けて容器に並べておく。
「ではオーグランドさん、まずはそのパンのかけらを油に入れてみてください」
「うむ」
入れたとたんシュワっと音がしてパン粉が揚がる。少し高いかもしれない
「少し火から離して様子を見てから、衣をつけたドド肉を入れてください」
オーグランドさんは火を調整し、しばらくしてから衣のついたドド肉を油へと投入する。
ジュワっと音を立て、衣が揚がっていく。とりあえず、一度に入れられるのは3つが限度だな。
「ドド肉の回りにある衣がきつね色まで揚がったら完了です。それとその油には――」
「絶対に触れてはいけない、だったな。例の料理本に書いてあった。これが揚げるという調理法か……!」
やがて、衣がきつね色に変わり、泡の量も減ってきた。揚がったという合図でもある。
揚がったそれを一度容器へ移して油を切り、まな板で縦4等分に切り、皿へ盛り付ける。
チキンカツ、ではなくドドカツといったところだろう。残りのカツも揚げていく。
一方、俺も最後の仕上げだ。
とはいえ、あとは冷やしておいた具材にマヨネーズを混ぜるだけなんだけどな。
手の空いた下働きたちが盛り付ける器を用意していく。
あとは――ディケムさんが厨房に来るのを待つだけだ。




