コボルトのパン屋さん①
朝、俺はセットしておいた目覚まし時計で目を覚ます。時間は4時45分。少し早めの起床だ。
時計のゼンマイを回して音が変わったら完了。
オウカの屋敷とは違い、この屋敷では家事ごとに担当が分かれている。掃除や洗濯は専属の従者たちが行い、俺の役目は主に料理関係だ。
着替えを済ませると、俺はそのまま厨房へ向かった。
「おはようございやす。兄貴」
「ああ、おはよう」
「おはようございますなのです」
すでにガロとヨウコは厨房で仕込みをしており、下働きの子たちも皆下処理をしている。
厨房の裏口から外へ出ることができ、ガロは運ばれてきた野菜を受け取っている所だった
「傷みが早い野菜は、こうやって毎日送ってもらっているんすよ」
木箱の中には、朝露をまとった新鮮なレタスやトマトが並んでいる。
昨日はレタスなんて見なかったな。たぶん、朝のうちに使い切ってしまうんだろう。
「なあ、ガロ。サラダも作るって言ってたよな。いつもはどうやって食ってんだ?」
「え? 普通に塩コショウっすけど」
マジか、もったいない。
「今日はサラダ用のドレッシング作る予定だ」
「そういえば昨日の話し合いでレシピに書いてあったっすね」
よし、早速作るぞと思い厨房の台に置かれた瓶を手に取ると。
「あ、空っぽだ」
なんてこった。オラブオイルをシェイルに返すどころか全て使ってしまったよ。
「ガロ、オラブオイルとか持ってないよな」
「さすがに持ってないっすね。あ~、オーグリアなら持ってんじゃないっすか?」
「おはよう!」
そんな事を話していると、ちょうどよくオーグリアが厨房に入ってきた。
「ちょうどよかった。オーグリア、オラブオイルとかって持ってないか?」
「え? オラブオイル? 持ってるけど。あ、そういえばレシピに書いてあったわね」
「頼む、一瓶くれないか?」
オーグリアは少し考え込んだあと、「分かった」と頷き、厨房を出ていった。
しばらくして戻ってきたオーグリアは、木箱いっぱいの瓶に入ったオラブオイルを抱えていた。その隣には、昨日給仕を手伝ってくれたシェイルの姿もある。
「あ、シェイル。オラブオイル返せなくてごめん」
「いえ、気にしないでください。オーグリアから事情は聞きました。とりあえず、館中のメイドたちに事情を伝え、これだけは集めました」
「シェイルは館の備品管理を担当しているのよ。これから料理に使うなら、今後、追加で発注しておいてもらおうと思ってね」
ありがたい。こういう先回りは本当に助かる。
木箱の中には、思っていた以上の数のオラブオイルが詰め込まれていた。
「それじゃあ私は仕事に戻りますね、オーグリア」
「ああ、ありがとう、シェイル。助かったよ」
シェイルは軽く一礼すると、そのまま足元の影へ溶け込むように姿を消した。そして影だけが、するりと厨房の外へ滑っていく。
……すごいな。モンスターで言うなら、シャドウ系ってところか?
「おう、戻ったぞ!!」
厨房の裏口から豪快な声が響いた。
オーグランドさんが大きな木箱を抱えている。
どうやら市場から戻ってきたようだ。俺はオーグランドさんの持ってきた木箱を確認する。
中に入っていたのは、鮮やかな赤身が目立つ巨大な肉塊。
脂肪は少なく、日本の和牛というより、前世で見たアメリカ牛に近い印象だ。
「こいつは隣のグラトール区から運ばれてきたやつだ。この街じゃ、放牧はやってねえからな」
言われてみれば、グリーディア周辺で見かけたのはブラドベリー農園と麦畑ばかりだった。
グリーディアはワインやベリー、小麦なんかの農業が中心。
一方で隣のグラトール区は、牧畜を主産業にしているわけか。
「それで、こいつがギャウルの骨だ。まだ肉が付いたままだがな。こいつは筋が多くて、いつも賄いにまわすんだ」
そう言って見せてくれたのは骨付きのすね肉だった。
「え? すね肉を賄いにまわしているんですか?」
「うむ、そうだが……」
なんと贅沢な賄いだろう。すね肉なんて、調理次第では極上の旨さになる部位だ。なのに、それを賄いに使っているとは。
「すね肉は調理の仕方で物凄くおいしくなるんですよ」
「な、何!? そうなのか」
オーグランドさんは今まで伯爵に出していた部位よりもいい部位を賄いに出していたことにショックを受けている。確かに普通に調理したんじゃスジっぽいしな。仕方がないよ。
「それから、こいつがこの街でパン屋をしているコボッタだ」
「ちわーっす! パン屋のコボッタでーす!」
オーグランドさんが入ってきた扉の向こうから、犬の顔をした魔物が顔を覗かせた。
耳がぴこぴこと動き、鼻先は黒く湿っている。見た目からして、どうやらコボルト族らしい。
「実は困ったことがあってな。今日早めに館を出てこいつの店に寄ったのだが……」
「おら、パンを焼いちまった後だっただよ」
コボッタさんが抱えていた籠の中には、例の石みたいに硬いパンがぎっしり詰まっていた。
確かに食べられなくはない。だが、今日作るふわふわのパンとの落差が酷い。とはいえ、食べ物を捨てるなんて論外だ。
「捨てるなんてとんでもないですよ。ちゃんと俺たちで食べます」
「ほ、本当だべかぁ……!」
「ええ。それに、このパンでも作れる料理がありますから問題ありません」
俺がそう言うと、コボッタさんは目を潤ませながら何度も頭を下げた。
「おお、ありがてぇ……。そういやオーグランドさんから聞いただよ。新しいパン作ってるんだって?」
「はい。こっちはあまり保存には向かないんですけど、その代わりすごく柔らかいパンなんですよ」
「や、柔らかいパン……?」
コボッタさんの耳がぴんと立つ。職人として、そしてこの街のパン屋を任されている身としては気になって仕方がないのだろう。
「うおおおお!!」
突然、コボッタさんが拳を握りしめた。
「伯爵様に任されたパン焼きとして生きてきただ! 絶対に覚えて帰るべ!! おめえさん、名前はなんてんだ?」
「あ、エイタって言います」
……うん、これは大丈夫そうだな。
目の輝きが尋常じゃない。
パンに人生を懸けてる職人の目だ。
今日の朝食の献立はトマトとレタスのサラダ、かぼちゃのポタージュ、ロールパン、オムレツのトマトソースがけだ。
すでに担当が決まっており、サラダの盛り付けは下働きの子を二人、昨日俺の手伝いをした双子のリントンとレントンに任せることにした。
スープはヨウコとミネルヴァ。ドレッシングと、トマトソースはオーグリアとアルマとエルス、パンは俺とガロ、そして本日参戦したコボッタさん。
そして、オーグランドさんには違う仕事を任せてある。
俺は昨日ヴァイスベリーで出来上がった酵母を台の上に出した。
「まず、こいつは酵母といって、これをパン生地に混ぜることによって、生地の中に空気が発生して、柔らかくするっていう仕組みです」
「酵母? その白いやつって確かドライヴァイスベリーだべ。そいつで作るんか」
俺は棚からさらにブラドベリーで製作途中の酵母も取り出した。
「一応ドライブラドベリーでも試しているんですけど、ドライヴァイスベリーなら短時間で酵母が作れるんです」
これには俺も驚いた。普通は1週間は掛かる所を2時間で酵母が完成する。さすが異世界食材だ。何が起こるか分からないな。
「まずパンには2種類あると思ってください。一つはリーンパン、もう一つはリッチパンです。リーンパンは油脂や砂糖、卵などをほとんど使わないパンのことです」
「今までおらたちが作っていたやり方か?」
「ええ、そうですね。そしてもう一方のリッチパンは砂糖、卵、バター、ギャウルの乳などを多く使った、風味が豊かで柔らかいパンのことです」
俺は昨日仕込んでおいたパン生地を冷蔵庫から取り出す。
「うおっ、昨日よりデカくなってやすね」
「なるほど、それがエイタさんが捏ねたパン生地だべか」
「はい、それで、こちらがその生地のレシピになります」
コボッタさんがレシピを穴が開くほどじっくりと見ている。
「うお、お前さん、水じゃなくてギャウルの乳を使っているのか? それに、このバターって言うのはなんだべ?」
「バターはギャウルの乳の上澄みに浮いている濃い部分です。それを瓶などに入れて振ったものがバターです」
俺は冷蔵庫から、瓶に入っているバターを取り出して見せてあげた。
「ふむふむ、となると、そいつはリッチパンってやつになるんだべな」
「ええ、なので普通のパンよりも柔らかいパンだと思ってください」
だからといってリッチパンしか作らないかといったら、それは違う。リーンパンにはリーンパンの良さがある。
「リーンパンも酵母を使えば柔らかくなります。まあ、もちろんリッチパン程ではありませんが」
リッチパンは食べやすくとても柔らかいがその分コストもかかる。今回は柔らかいパンとはどういうものかを知ってもらうためにリッチパンを作る予定だ
「ガロ、麺棒はどこにある?」
「メンボウ? なんすかそれ?」
……ん?
麺棒を知らないだと?
まさか、この世界には麺棒が存在してないのか?
いや、そんな馬鹿な。だがガロの反応を見る限り、本当に知らないらしい。
……これは完全に盲点だった。
「えっと、円柱状の棒があればいいんだけど」
「おらはいつも手で捏ねているだよ」
パン屋のコボッタさんも使っていないとみると、この世界に麺棒はないのだろうか。
「これじゃだめかな?」
そのやり取りを聞いていた双子の姉、リントンが何かを差し出してきた。
持ってきたのは空のワイン瓶。……これならなんとかなるか。
俺は発酵を終えたパン生地を適当な大きさに切り分け、しずく型に整えていく。
ワイン瓶で細長い三角形にし、太い方からくるくる巻いて、オーブン用の鉄板に並べていった。
「あとはこれを30分から40分ほど置いて二次発酵させるんだ。ここから一回りくらい大きくなる」
「おお、これが膨らむだべか。驚きだなぁ」
もちろんコボッタさんにも手伝ってもらっている。さすが本職のパン屋、教えたらあっという間にコツをつかみ、ものすごい速度で作っては並べていく。
ドレッシングとソース担当のオーグリアはボウルにワインビネガー、砂糖、塩、コショウを入れ、混ぜ合わせる。そこにすりおろしたニンニクを少々とオラブオイルを入れた。
「よし、完成っと。次はトマトソースね」
「トマトソースは昨日のハンバーグと同じで大丈夫だ」
「分かったわ」
オーグリアはトマトソースを作る準備に取り掛かる。
一方スープ担当はヨウコと下働きのミネルヴァ。
ミネルヴァがカボチャを一口大に切り、皮を丁寧にそぎ落とす。
受け取ったヨウコはそれを鍋に入れて水を加え、中火で火にかける。沸いてきたら蓋をして、弱火でじっくりと蒸し煮にし、柔らかくなるまで火を通す。
十分に柔らかくなったところで水気を切り、再び鍋へ戻して中火にかけ、鍋を揺すりながら余分な水分を飛ばす。
火を止め、熱いうちにヘラで滑らかになるまで潰す。そこへギャウルの乳を少しずつ加えて伸ばし、再び火にかける。
フツフツしてきたら火を止め、塩、バターを加えて混ぜる。
「これで完成なのです。出すときに香草と生クリームを少し入れるのですよ」
「わあ、凄い。本当にカボチャがスープになっちゃった」
ヨウコの方のカボチャのポタージュは準備できたようだな。




