ヴァイスベリーと天然酵母
夕食が終わり、俺は今日泊まる部屋に案内される。
今までは和室だったのが洋室になって少し違和感を覚えるかもしれない。
まあ滞在中の辛抱だ。――そう思っていた。
「ここが兄貴の部屋っす」
「……マジか、ここに泊まっていいのか」
現実世界だと1泊何十万位するであろう一室に俺は通された。
広々とした空間、豪華な家具、巨大なベッド。
――なんだここ、貴族の部屋か。
……いや、伯爵の館だったわ。
「あ、これが兄貴の服っす体格は俺と同じくらいだと思うんですけど、サイズが違ったら言ってください」
そう言って差し出されたのは、着替えの服とコック服だった。
調理場に入るときはコック服を着用するらしい。そういえば俺エプロンを借りただけだもんな。
それに替えの服まで、しかもなかなかいい素材を使ってそうな服だ。
今日いきなり行くと言われて着替えも何も持ってきていなかったからな。
「あと、風呂に入る時は時間厳守でお願いしやす」
「お、風呂があるのか!?」
風呂があるのはありがたい。やはり料理番たるもの清潔感は大切だからな。
「従者の風呂は男と女で入浴時間がわけられているので、必ず時間を確認してください」
なるほど。いわゆる男女別の浴場ではなく、時間帯による完全分離方式というわけか。
ちょうど良い時間だったので、俺はそのまま風呂へ入ることにした。
いやはや、まさか“西の国”でも風呂文化があるとは思わなかった。異世界だろうとなんだろうと、湯に浸かる幸福は共通らしい。
従者用の浴場は、東の国の湯屋と同じように広々としていて、石造りの壁からはほのかに湯気が立ちのぼっている。俺は軽く身体を洗い、早々に湯船へと身を沈めた。
「あぁ……生き返る……」
すでに数人の従者たちが先に浸かっており、それぞれ思い思いにくつろいでいる。
そんな時だった。
「おお、エイタ殿ではないか」
その声に反応して顔を上げた瞬間、俺は固まった。
そこにいたのは――オーグランドさんだった。
筋骨隆々、という言葉では到底足りない。
競輪選手のように太く締まった脚。丸太そのもののような腕。背中には鬼でも宿っていそうな隆起した筋肉の山。もはやモナカのごとく完璧に割れた腹筋、そして、スタローンのような熱い胸板。それらはまるで彫刻の域に達していた。
俺は思わず息を呑む。
すげえ。
生で見る逆三角形って、こんなに圧があるのか……。
「伯爵殿からお伺いしたぞ。お主が滞在中、我らに料理を教えてくれるとな」
なるほど、アルバートさんはオーグランドさんに話を通しておいてくれたのか。確かに、厨房全体を動かすとなるとオーグランドさんは必要不可欠だからな。
「明日の朝早くに市場へ行って、食材の手配をしてくる予定だ。何か必要なものがあれば伺おう」
「そうですか。とりあえず、明日の夜のメインディッシュはギャウルの肉を使う予定です」
ギャウルの肉、見た感じは現実世界の牛肉に近い物だ。そして、この辺りはワインを特産品としているのだろう。それを前面に押し出す料理がある。そいつを作る予定だ。
「あと、メインディッシュのソースはギャウルの骨から取る予定です」
「ギャウルの骨か、最初きいたときは何を馬鹿なことをと思ったが、今日お主が作った料理で確信した。肉を注文すると同時に骨も調達しておこう」
それはありがたい。俺も行きたいところだが、市場の場所が分からないし、指示するものが二人も抜けてしまっては朝食づくりが止まってしまうからな。
「ありがとうございます。あ、そうだ、ついでにドドの骨もあればお願いします。あれもいいスープが取れるんですよ」
「うむ、心得た。任せておけ」
「それと、この後明日の朝食について話し合いの場を設けたいのですが」
「分かった。皆を厨房へと集めておこう」
俺は風呂から上がり、着替えを済ませ厨房へ向かうと、何やら妙に騒がしい。
覗いてみると、二人のメイドが棚の前でおろおろしている。
「ねえ、やっぱり今の音、聞こえたよね?」
「ど、どうしよう……執事長を呼んだ方がいいんじゃ……」
二人は青ざめた顔で、厨房の隅にある棚を見つめていた。
「ん? 何かあったんすか、兄貴」
背後から声を掛けられ、振り返るとガロが立っていた。
「いや、なんか厨房の棚から音がするらしくてさ」
「ああ、ガロ! 実はあの棚の辺りから、さっきからカタカタ音が鳴るんだよ!」
――カタン。
「ひゃっ! ほ、ほら! また鳴った!」
乾いた音が厨房に響く。
今のは俺にもはっきり聞こえた。
だがガロは怯える様子もなく、ずんずんと棚へ向かっていき、音のした棚を勢いよく開けた。
「……別に何もいねえっすよ?」
棚の中には瓶や食材が並んでいるだけだった。
そこは確か、俺がドライブラドベリーを使って酵母を作ろうと置いておいた場所だ。
――カタン。
再び音が鳴る。
今度はガロも気づいたらしく、視線を向けた。
そこにあったのは、白いブラドベリーを入れた瓶。
よく見ると、瓶の中で小さな泡がぷくぷくと浮かび上がっている。
発生した空気が蓋をわずかに押し上げ、そして重みで戻る。
そのたびに、カタン、と音が鳴っていたのだ。
「……なんだ、瓶の蓋の音か」
「こ、怖がって損したぁ……」
メイドたちは一気に力が抜けたようにその場へへたり込む。
「ガロ、ちょっとそれ見せてくれ」
俺はその異様さに目を疑った。発酵が早すぎるのだ。
「おいおい、こいつを作り始めたのはほんの2時間前だぞ」
それなのにもかかわらず、こいつはすでに完成間近だ。
下手すればこのままパン作りに使ってもいいレベルである。
「こいつはヴァイスベリーっすね。色抜けって呼ばれてたりもしやして、味もなんか抜けた味してるんすよ。いわゆる外れベリーってところっす」
いやいや、外れなもんか、こいつは大当たりを引いたようだ。
「ガロ、どうやら柔らかいパン作りに間に合ったみたいだぜ」
「え? どういうことっすか」
「とりあえず、この後明日の朝食について打合せだ。その時に話そう」
しばらくして、オーグランドさんにオーグリア、ヨウコと下働きの子たちが厨房に集まった。
「ええと、明日の朝食のパンなんだけど、まず、こいつを見てください」
俺は先ほど厨房を騒がせていた、ドライヴァイスベリーに水と砂糖を入れた瓶を見せる。
瓶の中ではぷくぷくと泡が発生しており、短時間で酵母が出来上がっているという驚きの事実が判明したのだ。
「こいつを使ってパンを作ります」
俺は小麦粉を取り出し、塩、砂糖、ギャウルの乳、さらに……。
「この瓶の中身、酵母を少し投入」
あとは混ぜ合わせるだけ。
まとまってきたらバターを加え10分ほどこねる。
「エイタ殿よ。まさか、今からパンを焼くというのか!?」
「いや、これを一晩寝かせます。そうすることによって翌日に焼くとフワフワのもちもちしたパンになるんです」
「フワフワのモチモチっすか」
ガロの目が期待で輝く。
俺は生地を容器へ入れると、そのまま冷蔵庫へ放り込んだ。
「なるほど、ここでパンを焼くということか。しかし、そうなると困ったことが一つある」
なんだろう、オーグランドさんの言う困ったこととは。
「実はパンはここでは焼いてはいないのだ。街の中にパン屋があり、そこに依頼している」
「えっ? そうなんですか!?」
思わず声が裏返る。まさかの外注システムだった。
「この街では、家にパン焼き窯がある家と無い家がある。窯が無い家はどうするかというと、パン屋に頼むしかないのだ。毎回燃料を使って焼くのも手間がかかるからな。だからこそ、パン屋がまとめて焼く仕組みになっているわけだ」
なるほど、その方が効率がいいってわけか。
「そして、これは伯爵様がお決めになったことでもある。街のパン屋が各家庭から依頼されたパンを焼くようにと、そして、もちろん、この伯爵家の分も焼いて朝一で届けに来るのだ」
伯爵家直々の依頼であれば断れるはずもないし、むしろ逆に名誉なことでもある。この街のパン屋は相当の責任ある仕事なのだな。
「でしたら、明日、そのパン屋さんも呼んでパンの焼き方を教えましょう。そうすれば、街全体に柔らかいパンが普及するはずです」
「柔らかいパンの普及とは、これはまた革命的な料理であるぞ」
俺の言葉にオーグランドさんは唖然としている。それだけではなくオーグリアやガロ、下働きの子たちも動揺しているようだ。
「俺はさっきアルバートさんに呼ばれたときに言ったことですけど、俺が教えたレシピは全て本に残して広めてくれ、と。もし独占し秘匿してしまったら、その先は無くなるんです」
オーグランドさんは俺の言葉を聞くと、しばし考えこみ頷いた。
「分かった。明日、市場に行くときにパン屋に寄って伝えておこう。パン屋は朝が早いからな。間に合えばいいが」
「別にあの硬いパンが作られても問題ありませんよ。別の使い道がありますから」
「む、そうなのか!?」
まだ、厨房には硬いパンが大量に残っている。これを捨てるのは勿体ないしな。明日有効活用させてもらおう。
「明日の朝食は何時からだ?」
「朝は7時ピッタリっすね。昼は12時っす」
なるほど、オウカの屋敷とほとんど同じ時間か。
「俺らはいつも5時くらいに起きて準備するんすけど……大丈夫っすか?」
「ああ、問題ない。それと、明日の朝食についてだけど……」
その後、俺たちは明日の朝食について話し合い、各自にレシピを渡しておいた。
「よし明日も早いし……今日はもう解散しましょう。明日もよろしくお願いします」
その場で解散となり、俺は自室へ戻ることにした。
軽く背を伸ばし、ベッドへ身体を沈める。
屋敷の布団とはまた違う寝心地だ。というより、こっちの方が妙に落ち着く。く。




