吸血鬼はトマトファルシで退治します
ガロは先に厨房へ向かうと何やら準備をしているようだ。
俺たちは遅れて厨房へと足を踏み入れると、調理台の上にあらゆる食材が並べられていた。
ミルフィスは、まるで獲物を見定めるかのように、並べられた食材へと鋭い視線を走らせている。
「そうね……今日はこれを使ってもらおうかしら」
彼女が指先で示したのは、拳ほどの大きさをした赤い果実――トマトだった。
東の国では見たことのない食材だ。この世界では単に季節だけでなく、国ごとに流通する食材も異なるのだろうか。
「これはエイタさんが扱ったことがない食材なのです。エイタさんが不利になってしまうのです」
ヨウコが即座に口を挟む。
だがミルフィスは、まるで風でも受け流すかのように、優雅に肩をすくめた。
「あら、それでは別のものになさる?」
「いや、それでいい」
トマトか、こんなところにあったんだな。
俺が働いていたレストランでさんざん見た食材の一つだ。
どうやら、この世界でも名前も形も同じらしい。
「あらそう。随分と自信があるのね」
ミルフィスは面白そうに目を細めると、指示を出した。
「それでは順番を決めましょうか」
そう言うと、彼女は懐から金銭を取り出し、指先で軽く弾いて見せる。全員に見えるように宙へ放たれたそれは、きらりと光を反射しながら回転した。
「表があなた、裏がガロ。――それでよろしいかしら?」
俺は何も言わず、小さく頷いた。
硬貨は再び空を舞い、やがてミルフィスの手に収まる。そして、静かにテーブルへと置かれた。
「結果は……表。エイタさん、あなた先ね」
先攻か。
東の国では見たこともない調理器具が出てきてもおかしくない。
始める前に確認しておこう――そう考えた瞬間だった。
「ガロ、調理器具の使い方を教えてあげなさい。――それから、シェイル」
ミルフィスが静かに告げる。
すると、隅に落ちていた影がゆらりと揺れた。
床を這うように移動した影は、次第に人の形を取り、黒一色だった輪郭に色彩が宿っていく。
気付けばそこには、一人のメイドが恭しく立っていた。
「給仕にはシェイルを置いていくわ。必要なことがあれば彼女にも聞きなさい」
シェイルと呼ばれたメイドは、裾を摘まみ、優雅に一礼する。
ミルフィスはそのまま厨房の出口へ向かったが、扉を開ける寸前で足を止め、肩越しにこちらを振り返った。
「私たちは隣の食堂で待っているわ。……いったいどんな料理が出てくるのか、楽しみね」
そう言い残すと、ミルフィスは優雅な所作で厨房を後にした。
オウカとヨウコ、カナメもミルフィスの後についていき厨房を出る。
残されたのは、俺とガロ、そしてメイドのシェイルの三人だった。
さっそく俺は、厨房に並ぶ調理器具の説明を受ける。
調理器具は東の国とあまり変わらないが、ほとんどが金属製で作られている。
「東の国とそこまで変わらないな……。お、こいつは石窯オーブンじゃないか」
そう言って視線を向けた先にあったのは、石窯のオーブンだった。
前世で見た、本格的なイタリア料理店でピザを焼くような大型の窯によく似ている。見た限り、使い方もそれほど違いはなさそうだ。
「ああ、もし使うんなら俺に言ってくれ。あと専用の皿はそこに重ねてある」
オーブンの横に何枚かの皿が重ねてある。
まさか、あれは耐熱性があるのか。すげえなフル装備だ。
厨房の棚の引き出しを確認すると金属製のカトラリーが揃っていた。
なるほど、この国はこの食器で食事をするのか……。
「他の食材も見せてくれ」
「こっちだ。ついてきな」
ガロの後についていくと、厨房の奥にひとつの扉があった。
ガロがそれを開けた瞬間、ひんやりとした冷気が流れ出してくる。
「おお……ウォークイン冷蔵庫か」
中はかなり広く、大量の食材が整然と並べられていた。
天井には光の妖石があり、薄い光が庫内を照らしている。さらに冷却用の氷の妖石は、オウカの屋敷にあったものより一回り以上大きかった。
俺は興味深そうに食材を見て回る。
「おっ、これ……ボルアッカ、いや、ボアッカの肉か」
ボアッカの肉の塊が、当たり前のように置いてある。
しかもその横には……。
「あ、そいつは塩漬け肉と腸詰っすね。保存食なんで結構塩っ辛いっすけど」
そう、ベーコンとソーセージだ。こいつがあれば料理の幅がかなり広がる。
さらに、その横には鈍い銀色をした金属製の缶が置かれていた。
蓋を開けて中を覗き込むと、白濁した液体が入っている。
「……これが、ギャウルの乳か」
鼻を近づければ、ほんのりと甘い匂いがした。
見た目も香りも、俺の世界でいう牛乳とほとんど変わらない。
さらに視線を移すと、見慣れた香味野菜が目に入った。
「お、ニンニク、この世界だとオウビルだっけ……」
だが、そこでふと疑問が浮かぶ。
見た目は完全に吸血鬼なんだよな。ニンニクとか平気なのだろうか?
もし料理を食べた瞬間に灰になったりしたら洒落にならない。念のため確認しておくか。
「そういえば、ミルフィス…お嬢様って苦手な食べ物とかあるのか? ほら、匂いの強いものとか。オウビルとかオウコンとか」
「オウビル? オウビルってあの疲れた時に飲むやつだろ。まあ、伯爵様が疲れた時に飲むくらいで、お嬢は嫌いなものは特にねえって聞いてますね」
ニンニクに対する反応は特になしか。まあ、さっき普通に日の光も浴びてたしな……。それに、冷蔵庫内に普通に置かれている時点で問題ないのだろう。
っていうか、ニンニクも太陽も効かない吸血鬼って、かなりヤバくないか……?
俺はそんなことを考えつつも、出す料理の内容を組み立てる。
揃ってはいるが、肝心なものが足りない――。
そんな中、俺は冷蔵庫の奥にあるものを見つけた。黄緑や茶色をした、ピンポン玉ほどの楕円形の実だ。
「ああ、それはオラブの実っすね。髪油が取れるんすけど、一応食べられるんすよ」
オラブの実――名前は違うが、どう考えてもオリーブだ。
しかも今、“髪油が取れる”と言った。つまり、この世界にもオリーブオイルが存在するということだ。
俺は冷蔵庫から離れると、外で待機していたメイドのシェイルへ声をかけた。
「えっと、シェイルだったよな? オラブの実の髪油って持ってるか?」
「え!? お、オラブの実の髪油ですか? ございますが……」
「悪いけど、少し分けてもらえるか? 料理に使いたいんだ」
シェイルは困惑したように目を瞬かせる。
まあ当然だろう。普通、料理に髪油を使うなんて発想はない。
「オラブの実の髪油を料理に!?」
隣で聞いていたガロが、信じられないと言わんばかりに声を上げた。
シェイルはなおも不思議そうな顔をしていたが、やがて「かしこまりました」と一礼する。次の瞬間、その姿は黒い影へと変わり、音もなく厨房を出ていった。
「アンタ、お嬢にいったい何を食わせる気だ!?」
「ん~? 何って、決まってるだろ。トマト料理だ」
俺は調理台の上に置かれていたパンを手に取った。
ずっしりと重く、まるで石みたいに硬い。これをそのまま食うのは、なかなか骨が折れそうだ。
次に視線を調味料へ向ける。
塩、砂糖……そして。
「この匂い、ワインビネガーか」
東の国で使っていた米酢とは違う。
こっちは葡萄酒を原料にした酢――ワインビネガーだ。
残念なこともあり、醤油も味噌も見当たらない。だが、その代わりに俺は“いいもの”を見つけた。
「おお、こいつはコショウか」
調味料棚の隅に置かれていたペッパーミルを手に取る。
中を覗けば、黒々とした粒胡椒がぎっしり詰まっていた。
――よし
作る料理は決まった。
俺は冷蔵庫を開け、中から食材を取り出していく。
ニンニク、ボアッカの肉、玉ねぎ、少量のギャウルの乳、卵、固いパンをひと欠片――そして、本日の主役。
真っ赤に熟れたトマトを、調理台の中央へと置いた。
「こちらでよろしいのでしょうか?」
シェイルが、小瓶に入ったオラブの髪油を差し出してくる。
「ああ、ありがとう。……ガロ、悪いが石窯オーブンに火を入れてくれないか?」
「あ、ああ……分かった」
ガロは石窯オーブンに薪を放り込み、火の妖石で火を点けた。
これで準備は整った。
「よし、やるか」
……さて、それじゃあ、吸血鬼退治と行きますか!
――ご飯でだけどな!
トマトのヘタから1㎝ほど下を切り、蓋は使うため、脇へ避けておく。
続いてヘタを取ったトマトの中身をスプーンで丁寧にくり抜き、内側へ軽く塩を振る。余分な水気を抜くため、バットの上に逆さにして並べておく。
くり抜いた中身と玉ねぎを細かく刻み、それぞれ分けて置いた。
さらに、固くなったパンをおろし金で削り、自家製のパン粉を作る。それをギャウルの乳に浸して馴染ませておく。
平鍋へオラブの髪油を垂らし、刻んだニンニクを入れる。
じゅわり、と香ばしい匂いが立ち始めたところで玉ねぎを投入し、弱火でじっくり炒めた。玉ねぎが透き通ってきたら、刻んでおいたトマトを加える。
水分が飛び、旨味だけが鍋底に残るまで炒め上げると、それもバットへ移して冷ましておく。
次に、ボアッカの肉を包丁で細かく叩き、粗挽きのミンチにする。
そこへギャウル乳を吸ったパン粉、溶き卵、塩、コショウを加え、粘り気が出るまでしっかりと練り上げた。
さらに炒めた玉ねぎとトマトを加え、全体が均一になるまで混ぜ合わせる。
完成した肉だねを、くり抜いておいたトマトの中へ隙間なく詰め込み、石窯オーブンへ。
まずは15分。
こんがりと焼き色が付き始めたところで一度取り出し、最後に最初に切り分けておいた蓋を被せ直してさらに10分焼き上げる。
「――よし、完成だ」
俺の背後で、それまでの一部始終を見ていたガロとシェイルが、そろって口を半開きにしたまま固まっていた。どうやら、何を見せられていたのか理解が追いついていないらしい。
「……あ、給仕お願いしてもいいですか?」
俺が声をかけると、二人はハッと我に返り、慌てて動き出した。
今回作ったのは4人分の料理。オウカ、ヨウコ、カナメ、そしてミルフィスの分だ。
シェイルは完成した皿を慎重に台車へと載せると、そのまま食堂へと運んでいく。俺とガロもそれに続いた。
食堂に入ると、すでに食事の準備は整っており、カトラリーも美しく並べられていた。
「あら、出来上がったのね。待ちくたびれたわ」
「まったくじゃ、遅かったのう」
まったく対照的な2人なのに反応は同じで、思わず苦笑する。
皿は4つ。ならば、ここは俺も手伝うべきだろう。元々レストランで働いていた身だ、給仕の所作には慣れている。
「お待たせいたしました、お嬢様。こちら、トマトファルシでございます」
「……え?」
ミルフィスの表情が固まった。
目の前に置かれた料理を見つめたまま、言葉を失っている。
「「「いただきます」」」
その隣でオウカ達は手を合わせている。ははは、こんな西の国でもいただきますを言ってくれているのか。
トマトファルシ。南フランスの郷土料理で、“ファルシ”とは詰め物を意味する。すなわち、トマトの肉詰め料理だ。
レストランでは前菜として提供されることもある一皿で、見た目の鮮やかさと、トマトの酸味、そして肉の旨味が絶妙に調和する逸品でもある。
「エイタ、これはどうやって食うのじゃ?」
オウカは普段使わないナイフとフォークでトマトファルシを突いている。
「そのトマトの蓋を外してそのナイフで食べやすい大きさに切って食ってみてくれ」
俺がそう指示すると、オウカは素直に頷いた。言われた通りにトマトの上部を外し、丁寧にナイフを入れていく。
そして一口大に切り分けると、フォークで刺して口へ運んだ。
「おお……! 美味いぞ、これ! 中に肉が入っておるのか!?」
「……美味い」
「トマトとお肉の味が合わさって、とても美味しいのです」
オウカたちの反応を見て、ミルフィスは改めて目の前の料理へ視線を落とした。
そして、胸に右の手のひらをあてゆっくり目を閉じる。
これが、西の国のいただきますの作法。
やがて目を開けたミルフィスは、慣れた手つきでナイフとフォークを取った。
優雅な所作でトマトファルシを切り分け、そのまま口へ運ぶ。
口に入れた瞬間、彼女の瞳が大きく揺れた。
「……っ、驚いたわ。まさかトマトを器にして、その中身ごといただく料理があるなんて」
続く言葉は、自然と熱を帯びている。
「しかも……ただの奇抜な発想ではないのね。酸味と甘味、そしてこれはオラブの香りが絶妙に調和していて……こんなに完成された味わい、初めていただいたわ」
彼女はもう一口、確かめるようにゆっくりと味わいながら、小さく息を漏らした。
「……ガロ」
「へ、へい、お嬢」
ミルフィスは優雅にナプキンで口元を拭うと、静かに、しかし有無を言わせぬ声で告げた。
「あなたの負けね」
ミルフィスに白タオルを投げられたガロはその場に崩れ落ちた。
おいおい、容赦ねえなこのお嬢様。
オウカはテーブルの上にあるワインの入ったボトルを嬉しそうに抱きかかえた。
こうして、料理対決は——俺の勝利という形で、あっけなく幕を閉じる――はずだった。
「おねがいしやす!! エイタさん!!」
その瞬間――ガロが勢いよく床を滑り、俺の前で見事なスライディング土下座を決めた。
「俺、もっと料理のことを知りたいっす!! だから、お願いしやす!! 俺を弟子にしてください!!」
……ええと。
突然すぎる展開に、俺は思わずオウカとミルフィスへ視線を向ける。
「よいではないか。妾は構わぬぞ?」
「ふふっ、わたくしからもお願いしたいですわ。必要でしたら、相応の報酬も用意いたしますし」
ミルフィスまでもが後押ししてきた。
いや、さすがに毎日付きっきりってわけにはいかないんだけど……。でも、ここまで真っ直ぐ頭を下げられて、断れるほど俺も薄情じゃない。
しかも、自分が惚れている子の目の前で土下座して頼み込むなんて、相当の覚悟がなくてはできないしな。
俺は深く頭を下げたままのガロの前に立つ。
「ガロ」
「は、はいっ!!」
「お前の熱意、ちゃんと伝わったよ」
そう言って、俺は小さく笑った。
「だったら一緒に、この世界に料理を広めていこう」
「エ、エイタさん!! いや、今日から兄貴って呼ばせてくだせぇ!!」
……いや、兄貴はやめてくれ、恥ずかしい
こうして、料理対決は——俺の勝利と新たな弟子の獲得で幕を閉じた。
トマトファルシ
材料(4人分目安)
大きめトマト:4個
玉ねぎ:1個(中サイズ)
ニンニク:1片
パン粉:50g
牛乳:50ml
挽き肉(牛・豚・またはお好みの肉):300〜400g
卵:1個
塩:小さじ1/2(味を見ながら調整)
黒コショウ:少々
オリーブオイル:大さじ1〜2




