吸血鬼と人狼
しばらくして、馬車は巨大な街の門前へとたどり着いた。
目の前にそびえるのは、分厚い石壁にぐるりと囲まれた城塞都市。その圧倒的な威容は、この街がいかに堅牢であるかを嫌でも物語っている。
重々しい音を立てて門が開き、俺たちを乗せた馬車はゆっくりとその内側へと吸い込まれていった。
街の中には、多くの魔物が行き交っており、異様なほど活気に満ちていた。俺たちが暮らしていた村とは比べ物にならないほどの規模だ。
やがて馬車は、ひときわ大きな屋敷の前で静かに停まった。
それは東の国では見たこともないような石造りの建築で、まるで城と見紛うほどの大きさを誇っていた。
これ、ファンタジーの世界だと執事とかメイドとか出てくるやつだよな……。
思わずそんな考えが頭をよぎる。
――いや、もうファンタジーの世界か、ここ。
「な、なあオウカ……大丈夫なのか?」
「む? 何がじゃ?」
ディケムさんは馬車を降りると、「少々お待ちください」とだけ告げ、屋敷の門に立つ兵士へと話しかけていた。
「こういう貴族っぽい人に会うときって、事前に連絡とかしておかないとマズいんじゃないのか!?」
「別に問題ないのじゃ。あやつはその程度のことは気にせん」
……いや、それ、気にしないのはオウカの方なんじゃないか?
俺は内心でそうツッコミを入れつつ、嫌な汗をぬぐう。
しばらくすると、ディケムさんが戻ってくるのと同時に、屋敷の門がゆっくりと開いた。
門番の兵士が中の兵士に何かを伝えると、受け取った兵士は慌ただしく屋敷の奥へと駆けていく。
敷地は綺麗に整えられており、手入れされた庭園はまるで絵画のように美しい。だが、その静謐さが逆に、ここがただの貴族屋敷ではないことを強く主張しているようにも思えた。
馬車はやがて屋敷の正面へと到着し、俺たちは降車してそのまま玄関へと案内される。
「それでは、どうぞこちらへ」
ディケムさんが扉を開くと、その先には左右に整然と並ぶメイドや執事たちがいた。
全員が一斉に、寸分の乱れもない優雅な所作で頭を垂れる。
――いやいやいやいや、待て待て待て。
これ、絶対アニメとか漫画の“貴族登場シーン”でしか見ないやつだろ。現実でやる光景じゃない。
思わず心の中で全力ツッコミを入れるが、当然それが外に漏れることはない。俺はただ固まったまま、その“完成されすぎた歓迎の通路”を見つめていた。
「何をしておるのじゃ。さっさと行くぞ」
「こ、ここを普通に通れっていうのかよ……」
オウカがまるで日常の一部であるかのように堂々と歩き出している。それに対して俺は、完全に場違いな侵入者のような挙動不審っぷりだ。
もちろんだが、並ぶ使用人たちは人間ではなかった。尖った耳を持つ者、額に角を持つ者、背に薄く透ける羽を持つ者、そして悪魔のような尾を揺らす者までいる。
俺たちはそのまま客間へと案内され、ディケムさんが扉の前で軽くノックした。
「失礼いたします、お嬢様。オウカ様と、そのお連れ様をご案内いたしました」
「――入りなさい」
返事はすぐに返ってきた。
静かで、それでいてどこか耳に残る、澄んだ声だった。
ディケムさんに促され、俺たちは客間へと足を踏み入れる。
部屋の奥――そこには、まさに“お嬢様”という言葉が相応しい少女が、静かに腰掛けていた。
フリルのあしらわれた黒と灰色を基調としたドレス。その重厚で気品ある装いとは対照的に、背中まで流れるように伸びた純白のウェーブヘアが目を引く。まるでビスクドールのように整った顔立ちに、その耳は人ならざる尖りを帯び、小さな蝙蝠のような翼が背に添えられていた。
そして何より目を奪われたのは、その瞳だ。
血を思わせる深紅の輝き――。
まるで闇夜に紛れ、人の生き血を啜る吸血鬼のような、そんな危うい美しさを宿していた。
俺は隣に立つオウカへと視線を向けた。
(この二人……まるで対照的だな)
そんなことを思いながら、再び“お嬢様”へ視線を戻した瞬間——不意に、彼女と目が合ってしまった。
「あら、オウカ。そちらの男性はどなたですの?」
「うむ。こやつは妾が新しく雇った従者、エイタじゃ」
「あ、は、葉山栄太です。えっと、家名がハヤマで、名前がエイタでして……」
慌てて自己紹介を付け足す俺の様子を見て、少女は小さく喉を鳴らすように笑った。
そして、優雅に椅子から立ち上がると、流れるような所作でスカートの裾をつまみ上げる。
「初めまして。わたくし、アルバート・ファン・ブラッドベイン伯爵が長女——ミルフィス・ファン・ブラッドベインと申しますわ。以後お見知りおきを」
その一礼は、まさに絵画の中の貴族そのものだった。
(……すげぇ。本物だ。あれが、カーテシーってやつか?)
こんな所作を実物で見るのは初めてだ。
「さあ、どうぞ、お掛けになって」
俺たちは促されるまま、椅子へと腰を下ろした。
「ディケム、下がっていいわよ」
「かしこまりました、お嬢様。それでは、失礼いたします」
ディケムは恭しく一礼すると、静かに客間を後にする。
「ガロ、あなたはお客様にお茶をお出しして」
「うっす、お嬢」
……ん?
今の、妙にフランクな返事は何だ。
ミルフィスの斜め後ろには、ディケムと同じ燕尾服を纏った青年が立っていた。
銀色の髪。頭には犬のような耳。背後には狼を思わせる尻尾が揺れている。まるでファンタジー世界に出てくる人狼のようだ。
釣り上がった鋭い目つきは、まるで不良じみた威圧感を漂わせていたが、燕尾服は妙にきっちりと着こなされている。
それだけに、その粗野な口調との落差がやけに目立つ。
そして、俺の隣に座っているヨウコが、にこにこと機嫌よさそうに小さく手を振っていた。
その視線の先にいるのは、ミルフィスではない。あのガロと呼ばれていた青年だ。
なるほど、馬車の中でヨウコがぼんやりしていた理由もこれで合点がいく。
どうやら彼がヨウコの幼馴染らしい。
それにしても、この2人も随分と対照的だった。
全体的に金色に近い髪を持ち、几帳面でいかにも委員長タイプといった雰囲気のヨウコ。
一方のガロは、銀髪にどこか荒んだ空気をまとった、いかにも不良じみた青年だ。
オウカとミルフィス、そしてヨウコとガロ。
それぞれがまるで鏡合わせのように対照的な主従関係を形作っていた。
「エイタはな、ヨウコと同じ料理番なんじゃ。そりゃもう凄い料理ばっかり作るのじゃぞ」
「あら、やっぱり彼が手紙に書いてあった料理番なのね」
ミルフィスはその言葉を聞くと、口元に楽しげな笑みを浮かべた。同時にオウカは、まるで当然のように持参した酒瓶をテーブルへと置く。
「そういう訳じゃ。久方ぶりにやるかのう。妾は“裏の3番”を持ってきたぞ」
「ふふ、そうね……なら、こちらも」
ミルフィスは優雅に指を鳴らした。
「ガロ、紅茶はいったん中止よ」
「へい、お嬢」
「アバラチア・ブラッド3等級を持ってきなさい」
「分かりやした」
ガロと呼ばれた執事は一礼すると、静かに客間を退出した。
しばらくして戻ってきたその手には、異様なまでに装飾の施されたワインボトルが握られていた。
――なんだこれは。何が始まるんだ?
まさか、酒の試飲会でも始めるつもりなのか?
「何をぼさっとしておるのじゃ、エイタ。早う準備せい」
「準備……って、何をだよ」
話が勝手に進んでいる。完全に置いていかれている気がする。
「決まっておろう。料理対決じゃ」
「料理対決……?」
「そうじゃ。いつも妾たちは酒を賭けて料理勝負をしておるのじゃ」
オウカは当然のように言い放つ。
「ええとですね。オウカ様とミルフィス様はいつもお会いするたびに、こうして料理番同士で料理対決をさせるのです」
「そういうことですわ。いつもはヨウコが。でも今日は――ヨウコの代わりに、あなたに出てもらいたいの」
ミルフィスは妖しく微笑み、すっと俺を指さした。
なるほど。あの酒は“賭け”の景品というわけか。
……で、俺の対戦相手は誰だ?
そう思った瞬間、先ほどの執事――ガロが一歩前へと踏み出した。
「あなたの相手はわたくしの専属執事兼料理番のガロがお相手するわ」
ガロは俺の前まで歩み寄ると鋭い目で睨みつけてくる。
ん? なんか俺敵対心持たれてない?
「お前が新しい料理番だな。俺の名前はガロディアル・シルヴァレットだ。ヨウコからの手紙で色々知っているぜ。俺と料理対決で勝負だ!」
察した、色々と察したわ。察したけどどうしようか。
俺はオウカの方へ見て苦笑いを浮かべる。オウカはそれに対して頷くと……。
「エイタ! 全力でやってしまうのじゃ」
「了解、主様」
うん、分かった。
オウカから全力でやってしまえの許可をもらったので全力でやるわ。




