ぬらりひょんは羊羹がお好き
ネコタさんが新たな食材を持ってきてくれた次の日の昼過ぎ。
――俺は再び炊事場に立っていた。
目の前に並ぶ食材を眺めながら、昨日作りすぎたあんこの処理方法を思案する。
「さて……どうしたものか」
そんな時、視界に入ったのは俺が“スカイフィッシュ”と呼ぶ寒天もどきの素材だった。
この寒天もどき、水との割合でところてんの柔らかさから寒天の固さまで変えられる。
中々便利な食材だ、この世界にはまだまだ不思議な食材がありそうだな。
そんな感慨を胸に抱きつつ、今回作る菓子の方向性を決める。
そう、羊羹だ。
羊羹なら切り分けられるし、作りすぎたらご近所さんに配ればいい。
スカイフィッシュと水のちょうどいい塩梅も知りたいしな。
今日は前と違いあんこがすでに完成している。
用意するのは、あんこと同量かやや多めの水、砂糖、ほんの少しの塩。そして主役となるスカイフィッシュ。
羊羹のあんこはこしあんが多いが俺は粒あんが好きなので粒あんで羊羹を作ることにする。
まず鍋に水を入れ、火にかける。そこへスカイフィッシュを投入し、完全に溶かし切る。
続いて砂糖と少しの塩を加え、全体が均一になるまで静かに混ぜる。
そこにあんこを少しづつ入れ、よく混ぜたらなべを水ごと付け、人肌まで冷ます。
最後に、水で軽く濡らした寒天容器へと流し込む。
あとは冷蔵庫で冷やし固めるだけ。
(あとは……待つだけか)
***
ヨウコと夕食の買い物を済ませ、炊事場の冷蔵庫へ食材をしまおうとした、そのときだった。
——誰かが、冷蔵庫を開けている。
「……誰だ?」
思わず足を止める。まさか食材泥棒か?
ヨウコと顔を見合わせ、俺たちは警戒しながらゆっくりと近づいた。
そして——。
「おわっ、な、何じゃ。帰っておったのか」
そこにいたのは、見知った顔だった。
「なんだ、オウカかよ……食材泥棒かと思ったぜ」
胸を撫で下ろしたのも束の間、ある異変に気づく。
オウカの口元に、赤茶色の何かが付着している。
小豆餡のような、ねっとりとしたそれ。
嫌な予感がして、俺はすぐさま冷蔵庫の中を確認した。
そこには特注の寒天容器が収められている。底板が外せる構造で、固めた羊羹を綺麗に取り出せる仕様だ。
そして——その羊羹の角が、スプーンで抉ったように欠けていた。
「……オウカ。お前、つまみ食いしたな」
「し、しし、知らんぞ! 妾はそんなおやつなど何も知らん!」
あからさまに目が泳いでいる。
そもそも“おやつ”だと認識している時点でアウトだろうが。
「……で? ちゃんと固まってたか?」
「も、もちろんじゃ! 妾が確認したゆえ、間違いない!」
「やっぱり食ってるじゃねえか!!」
……何だこのやり取りは。まあ、食ってしまったものは仕方ない。
——今日も、いつものおやつ時間だ。
茶の準備を整え、居間へ向かう。
ちゃぶ台を拭こうと縁側に目をやった、そのときだった。
「ん……誰だ?」
そこには、見知らぬ老人が当然のように座り、茶を啜っていた。
髪はなく、皺だらけの顔。後頭部だけ妙に長い。
その姿を見た瞬間、嫌でも理解する。
——ぬらりひょんだ。
ぬらりひょんは一瞥すると、軽く会釈を返し、また何事もなかったかのように茶を啜った。
「おじいさん、誰かに用事でも?」
俺がちゃぶ台を拭きながら声をかけると、ぬらりひょんはゆっくりと体ごとこちらに向き直る。
そして湯呑を静かに置き、もう一度、丁寧に会釈した。
「昨日は、うちの孫が世話になったのう」
「孫……?」
ああ、エンジュのことか。
ということは、この老人はエンジュの祖父というわけか。
「なんでも、最近流行の料理というものを頂いて、大変喜んでおってな。わしもその料理とやらが気になってのう」
「ぬわっ、センジュじじい! お主、なぜここにおる!」
「……あ、村長さんなのです」
え、この妖怪がこの村の村長!?
まあ、とりあえず無下には扱えんな。それに料理に興味があるって言っていたし。
「今からお茶にするんで、よかったら一緒にいかがですか?」
「ほっほっほ、それではありがたくごちそうになるとするかのう」
センジュと呼ばれたぬらりひょんは、どこか楽しげに目を細めた。
俺は羊羹を切り分け、皿に並べて居間へ運ぶ。ちょうどタイミングよく、ヨウコがお茶を淹れてくれていた。
ぬらりひょんは自前で湯呑を持っていたのでそれを使ってもらおう。
「な、なあ、エイタ、何で妾の羊羹は欠けておるのじゃ」
「はっはっは、何を言っているんだオウカ、さっき食べたではないか」
「ぐぬぬ……」
うん、完全に自業自得だな。
「ほっほっほ、昨日、孫から聞いておるぞ。飯を食うときにこう手を合わせるんじゃな」
「ええ、それでは……」
せっかくなので、全員で手を合わせる。
「「「「「いただきます」」」」」
「これは、こうやって切ってから、さして食べるんです」
俺は木で出来たフォークのようなもので食べ方を教えてあげた。
「ふむ、昨日孫から聞いたものとは違うようじゃのう」
センジュは興味深そうに一口、羊羹を口に運んだ。
次の瞬間──
「ほおおお……これは美味じゃのう……!」
目を細めて、素直に感動している。
その反応は、なんというか……年相応の老人みたいで、さっきまでの“妖怪の村長”感が一気に薄れる。
「ふむ。おぬし、エイタと言ったかのう。その湯飲み、竹か?」
「ああ、これですか? 炊事場に転がってたやつで。誰も使ってなさそうだったんで」
落としても割れなさそうだし、ちょうどいいと思っただけなんだが。
センジュはその湯飲みをじっと見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「ふむふむ……そうかのう」
そして、どこか思案するように目を細める。
「孫に良くしてくれた礼に、わしが湯呑をくれてやろう。お主、この後、時間はあるかのう」
「ええ、少しなら大丈夫ですが」
「そうかそうか、それじゃあ、こいつを食べ終わったら向かうとしようかの」
多少強引で図々しい爺さんだが、悪い妖怪じゃなさそうだな。俺は羊羹を食べ終わると、センジュ爺さんについていった。
すまん、ヨウコ、後片付けは任せたぞ。
「おお……でかいな。さすが村長の家ってだけある」
センジュの屋敷は、オウカの屋敷のざっと倍はあろうかという規模だった。重厚な木造建築が堂々と構え、周囲には手入れの行き届いた庭が広がっている。
そんな屋敷の前で、俺たちを迎えたのは従者らしき妖怪だった。
「……センジュじじは陶芸家、でも、今はその息子が継いでいる」
俺の隣でカナメが説明してくれる。昨日のろくろの調子を見に来たようだ。
さすがカナメ、アフターケアもばっちりじゃねえか。
「こっちじゃ、付いてまいれ」
センジュに促されるまま、俺たちは屋敷の奥へと進んだ。
案内された先は、工房のような広い空間だった。中では数人の職人たちが黙々と作業に励み、ろくろを回して器を形作っている。
「すげえ……これがろくろか。実物は初めて見たかも」
足元のペダルを踏むと、一定時間だけ台が回転する仕組みらしい。踏み続けなければ止まってしまうため、職人たちはリズムよく足を動かしながら、回転の勢いを利用して器の形を整えていく。
単純に見えて、かなり繊細な作業だ。
「あ、父さん、お客さんかい?」
ろくろを回していた男の一人が作業の手を止め、こちらへ歩いてきた。
年の頃は三十前後といったところか。もっとも妖怪に年齢の概念がどこまで通じるのかは分からないが、すらりとした体つきに、さっぱりとした短髪。だがその後頭部はセンジュと同じく、どこか長く伸びている。
やはり、ぬらりひょんの一族なのだろう。
「僕の名はロクジュ、一応、ここの跡継ぎってことかな、まだまだ未熟だけどね」
ロクジュと名乗った男はさわやかな笑顔を見せる。うん、清々しいほどの笑顔だ。
「ロクジュ、こちらはエイタさん、昨日、孫がお世話になってのう。今日はそのお礼をと思って連れてきたんじゃ」
いえいえ、そんな大層なことしてませんって、俺は照れながら軽く頭を下げる。
「なるほど、あなたが例の料理番ですね。噂はかねがね伺っております」
ロクジュは柔らかく目を細めると、穏やかな声で続けた。
「僕の作品はまだまだ未熟ですが、よろしければご覧になっていってください」
どうやらここは、いわゆる食器屋のような場所らしい。周囲の棚には、職人たちが丹精込めて焼き上げた皿や器が整然と並んでいる。
こういうのは一つ何十万もする、なんて話を聞いたことがあるが――
(触れない方がいいやつだな、これ……)
そう思い慎重に眺めていると、意外にも値札は現実的だった。
どうやら駆け出しの職人の器は、それ相応の値段で売られているらしい。修行を積み、腕を認められて初めて“作品”としての価値が付くのだという。
「ほれ、こっちじゃ、来んしゃい」
センジュ爺さんに促され、工房の奥へと進む。そこには多くの陶器が並べられた静かな部屋があった。
「ほれ、この中から好きなの一つ選んでいいぞ」
指差された先には、ずらりと並ぶ湯呑みの数々。
(……いや、絶対いいやつだろこれ)
思わず息を呑む。だがセンジュはあっけらかんと笑った。
「ほっほっほ、安心せい、これはわしが現場を退いた後、暇つぶしに焼いたものじゃ、誰も買おうとはせんからのう」
「え、そうなんですか?」
思わず素っ頓狂な声が出る。
てっきり俺は巨匠〇〇の作品だとか、これは人間国宝〇〇の作品だとかと思ったよ。
しかし、どれを選んだらよいものか
「どうしたんじゃ?」
「あ、いや……こういうのって、結構悩む方なんですよ」
「ふむふむ、そうじゃのう、どれ、ちょっと手の平を見せてみろ、利き手の方じゃ」
言われるがまま右手を差し出すと、センジュはじっとその掌を見つめる。まるで何かを読み取るかのような鋭い眼差しだった。
やがて視線を棚へと移し、指先をゆっくりと動かしながら器を選び始める。
そして――
「……これじゃな」
ピタリと、一つの湯呑みに指が止まった。
「迷ったときはのう、自分の手に合うもんを使うとええ」
差し出されたそれは、黒と黄土色が渋く溶け合うような色合いの湯呑みだった。やや大ぶりで無骨にも見えるが、不思議と手に取った瞬間、しっくりと収まる。
まるで最初から俺の手のために焼かれていたかのような、妙な馴染み方だった。
「確かにこいつ、手に馴染む感じがするな」
「ほっほっほ、そうじゃろ。現役を退いても衰えちゃおらんわ」
俺はセンジュが選んでくれた湯呑を、ありがたく使わせてもらうことにした。
※※※
その日の夕方
仕事を終えたロクジュは、工房の一角にある棚を静かに見つめていた。そこに並んでいるのは、自分が焼いた陶器だけだ。
――まだ、ここか。
見るたびに、胸の奥が重くなる。
その作品群は、いまだに「奥の部屋」へと置かれることを許されていない。
理由はただ一つ。父の領域に届いていないからだ。
奥の部屋には、父の作品が安置されている。
陶器一つで西の国の強欲な貴族を没落させ、棚一つで一国の経済すら揺るがすとまで言われた器。
手にした者の運命を変えてしまうことから、多くの者は畏怖と敬意を込めてこう呼ぶ。
――『運命を変える器』。
(あれに比べれば、俺の器なんてまだ“ただの焼き物”だ)
ロクジュは自嘲気味に息を吐き、足を奥の部屋へと向けた。
そこには、静かに父の作品が並んでいる。
現役を退いた今でも、気まぐれに焼かれた器が増えるのが、この工房の恐ろしいところだった。
目標にするべき、父の作品が置いてある棚を眺めていると……。
「あれ?」
一つ無い。黒と黄土色の湯呑みだ。
あれは……。
「父さん、あの棚にあった黒と黄土色の湯呑み、いつ売ったんだ?」
すると父は、のんびりとした声で答えた。
「んにゃ、売ってはおらんぞい。今日来た若いのに、くれてやっただけじゃ」
「く、くれてやった!? あれ、華の国の商人ウォンさんが金貨三千で買いたいって言ってたやつだよね!?」
かつて華の国から来た商人は、その湯呑みに強い執着を見せていた。
黒と黄土色の絶妙な彩りは、芸術品としても超一級。
だが父は、どれだけ金を積まれても頑として売らなかったはずだ。
「た、確か金3000出すと言っても売らなかったのに、な、何で……?」
「あんな金持ちの若造に売ったところで、まともに茶を飲むと思うか? どうせ使いもせんで飾るか、転売でも考えるじゃろ」
「それは……まぁ、否定できないけど」
父の器は、もはや“陶器”という概念を超えている。
持つだけで運命が歪むとも噂される代物だ。
故に父は現役を退き、私に後を継がせたのだ。
ただ、たまに暇つぶしと言って陶器を焼くこともあるのだが、その片手間で呪物並みの陶器を作るのだ。まったく困ったもんだ。
「巨匠だ、国宝だ、運命を変える器だ、鬱陶しいんじゃ。わしはただ、好きなものを好きなように焼きたいだけなんじゃがのう。」
「はは……普通はそれ、最高の称号なんだけどね」
ロクジュは苦笑した。
しかし、あの湯呑みを渡してしまって本当に大丈夫なのか。
あの青年――エイタといったか。
彼もまた、器に運命を狂わされる可能性があるのではないか。
そんなロクジュの不安を見透かしたように、父は静かに目を細めた。
「安心せい。わしの焼いた器で運命が変わったものは皆、その器を”使わなかった”だけじゃ。あの青年なら、喜んで茶でも入れてくれるだろう」
「……使わなかった?」
父はどこか楽しげに笑った。
「きっと、普通に茶でも淹れて飲むじゃろうよ」
「ぶえっくしゅん!」
「なんじゃ、風邪か、妾に風邪を移すんじゃないぞ」
「分かってるって、ったく、季節の変わり目で体調でも崩さなきゃいいんだけどな。まあ、お茶でも飲んで体を温めるか」
俺は早速もらった湯吞でお茶を飲むことにした。
しかし、この湯呑、本当に手に馴染むよな。
羊羹レシピ
材料(作りやすい量)
こしあん:500g
水:200ml
粉寒天:4g
砂糖:30〜80g(あんの甘さで調整)
必要器具
寒天容器




