酒とわさびとドドの治部煮
「すみません、エイタさんは居られますか?」
昼食を終え、洗い物と掃除を片付けようとしていたその時、聞き覚えのある声が玄関先から響いた。
戸口へ向かうと、そこには——。
牛のような角を生やし、もし現代でスーツを着せれば妙に様になるであろう男。クダンさんが、背筋をこれでもかというほど正し、そこに立っていた。
「あ、クダンさん、お久しぶりです、今日はどのような……」
「遅れてしまい、誠に申し訳ありません。このクダン、一生の不覚」
俺が言い終えるよりも早く、クダンさんは勢いよく頭を下げた。というか、このままだと床にめり込みそうな勢いである。
「ど、どど、どうしたんですか、いきなり。頭を上げてください」
このままでは本当に土下座コース一直線だと思い、慌てて居間へと招き入れる。
ちょうど気付いたヨウコが、すぐさまお茶を用意してくれた。
「まずはこちらを」
そう言ってちゃぶ台の上に置かれた冊子。
ヨウコのレシピ本の原本だ。
さらにもう一冊、ちゃぶ台に置く。
「こちらが我々の方で印刷させていただいた冊子でございます。原本のご返却が遅れてしまい、誠に申し訳ございません。それと、今回はこの料理本のことでご相談がございまして」
料理本の相談?
まさか、上の許可が降りなかったとか。それとも、これを世に出すのにお金がかかるとか。
ヤバい、俺、金無いぞ、むしろ借金抱えてんだ。
「こちらの料理本の販売価格のご相談に伺いまして」
「え、販売価格ですか?」
思わず素っ頓狂な声が出る。
あ、逆だった、世に出して買ってもらってお金もらう方だったか。
「とりあえず、お預かりした冊子の内容を広報に載せ、さらには村のご家庭分、印刷までいたしました。しかし、こちらも印刷代や人件費等の関係もありまして、これ以上は厳しいと上からご達しが……」
なるほどな、と内心で頷く。
そりゃそうだ。あれだけの内容をタダでばらまくのは、普通に考えて無茶がある。
「ええ、ここから先は販売をするための印刷にしたいってことですよね」
「え、ええ、その通りです。まさか、何かお考えがあっての」
俺が考えた販売戦略は簡単、DLC商法と同じだ。
「まず、広報や料理本に乗せてもらった内容、あれって料理の基礎中の基礎なんです。衛生管理だとか、火の扱いだとか、揚げ物の注意点だとか」
基礎中の基礎、ゲームで言うところのチュートリアルだ。
「で、料理に慣れてくるとですね。違うことに挑戦したくなるもんなんですよ。あの食材の使い方はとか、この食材はとか。そこに、新たな料理の本が出てきたら、どうすると思います?」
「そ、それは、買いたくなりますよね。新しい料理が載っているんですから」
そう、それだ。
チュートリアルを終え、ストーリーを一通り遊び尽くした後に待っているのが、裏ボス、素材集め、最強装備の厳選……そういった“やり込み要素”だ。
そして人はそこに、DLCや課金コンテンツという名の“追加コンテンツ”を求めるようになる。
「俺としては、最初の基礎の本なんて、正直タダでも構わないと思ってるんですよ。問題はその先です。基礎をやり尽くした後に見えてくる“次の世界”――そこに価値がある」
「なるほど……つまり最初は安く、あるいは無料でばらまいて、続きで回収する、と」
「そういうことです」
相手は納得したように頷く。
「いやはや、そこまでお考えとは。それで、販売価格はお幾らにいたしましょうか?」
さて、ここが重要だ。
高すぎれば人は離れる。安すぎれば価値が下がる。そして何より、“世の中にちょうど良く流通する価格帯”でなければならない。
つまりは――“手が届きそうで、少し背伸びをすれば届く値段”。
「クダンさん、この世界の本の相場って1冊いくらくらいですか?」
「そうですね、今や、製紙や製本技術が確立しておりますので、昔に比べると大分お安くなりました。1冊、銀2が相場かと」
「うん、それじゃあ銀2で」
「えっ!?」 「えっ!?」
ヨウコとクダンさんが同時に驚いた。何を驚いているんだ2人は……。
「エイタさん、さすがにそれは安すぎではないでしょうか、料理本ですよ!?」
「そうなのです、その料理で飲食店でも始めれば普通に財を築けるのですよ」
「言っただろ。俺は、この世界に料理を広めたいんだ。 もし料理本が“大金を積まなければ手に入らないもの”だったら……ヨウコは買おうと思うか?」
「そ、それは……少し、考えてしまうのです」
大金を積まないと料理本は手に入らない。そんな世界なら料理は広まらないだろう。だったら、誰もが気軽に料理ができる世界の方がいい。
だからこそ――値段は「広がるための価格」でいい。
「ヨウコもクダンさんも、最近、この村の方々、とても活気に満ち溢れていると思いませんか?」
「い、言われてみれば……みんな、なんだか生き生きしているのです」
「というか……経済が回っている、というのでしょうか」
「これは俺の理論だけどさ、美味いものを食えば、仕事が頑張れる。仕事を頑張れば経済が回る。頑張って働いた後の飯は美味い。ご飯が美味いから、また仕事を頑張れる。いいんだよ、こんな単純な考えでさ。だから俺は、料理本を高価にすることは、経済や文明の進化の停滞と同じだと思っているんだ」
クダンさんは俺の話をじっと聞いて俯き、無言でうんうんと頷いている。
「エイタさんの思い、しかと受け止めました。販売価格の件、私が必ずや上に通して見せます」
そう言うと、勢いよく立ち上がり、一礼してから足早に去っていった。
……ほんと、忙しそうな妖怪だな。
「ちなみにさ、ヨウコはあの本、いくらくらいだと思ってたんだ?」
「え、えっと……金20くらいかと……」
「ぶふっ」
思わず吹き出しかけた。金20ってマジか。
たしかに、この世界の貨幣価値はまだよく分からないが……それでも高すぎるだろ。
せいぜい三食五日分くらいの、ただの料理レシピ本だぞ? 誰でも作れるやつだぞ?
「ほんと、この世界の価格基準って、どうなってんだ……」
***
「オウカ、また酒貰っていくぞ」
「うむ、良いぞ、持って行くがよい」
端から聞けば、ただの呑んべえ同士のやり取りにしか聞こえないが、そこは心配いらない。ちゃんと料理用だ。屋敷の棚に並ぶ瓶から、漏斗を使ってヒョウタンへと慎重に移し替えていく。
この酒、オウカが日常的に飲んでいる“常飲酒”らしいのだが──問題はそのランクだ。
1番酒。いわゆる一級品。値段も洒落にならない代物である。
……いやいや、料理に使うには正直もったいなさすぎるだろ。
というわけで、代わりに用意してもらっているのが3番酒。いわば普段使い用の安いやつだ。
「そういえば俺、この世界に来てからオウカの酒、飲んだことないんだよな」
じっと1番の入った瓶を見つめる。
ゴクリ。
……いかんいかん。手を出したら最後、どれだけ請求されるか分かったもんじゃない。最悪、借金追加コースだ。
実を言うと、俺はかなりの酒好きだ。親父譲りってやつだろう。
特に日本酒。あの米の旨味と香りの奥深さがたまらない。
冷やでキリッと、熱燗でふわっと。温度ひとつで表情が変わるあの感じ……あぁ、飲みてぇ。
「おっと、いかんな、早くみりんを作らなければ」
欲望を無理やり押し込めて、俺は炊事場へと足を向ける。
今日は夕食前にヨウコへ“みりん”の作り方を教える予定だ。
とはいえ、本格的なみりんではない。現実世界では自作は色々と面倒なアレなので、もちろん市販品を使っていた。
今回作るのは、いわゆる代用品──みりん風調味料だ。
作り方は簡単。
酒と砂糖を3:1で混ぜる。
以上。
「早いのです」
酒と砂糖で調整すればいいって?
実際そうなんだけど、あると便利ってだけさ。
「今日はこれを使って、ドド肉の治部煮を作ろうと思う。こいつはわさびって言う調味料を使うんだ、こういう葉っぱでさ」
「あ、その葉っぱは!」
お、さすがヨウコ。知っていたか。
そう、これは葉わさび。渓流沿いに生える山菜で、本来は山奥の清流近くにしかないはずの代物だ。
それがなんと、この水車小屋の近くに自生していたのだから驚きだ。
昔ばあちゃんが採ってきていた記憶もある。だから扱いは慣れたものだ。
もちろん、根の方も確保済みである。
すりおろせば、あのツンと鼻に抜ける辛味──本物のわさびになるやつだ。
「それも食べられる野草なのです。よく茹でてお醤油をかけて食べるのですね」
「こいつは軽く茹でて、塩で揉み込み、しばらく置くと風味の強い調味料になる」
「え?」
「え?」
おや、お互いに食べ方が違うようだな。
だが今回は辛味成分を最大に発揮して食べてもらうぜ。なぜなら、こいつを見つけたからな。
「今回は見つけたこいつを使う」
俺が見つけたものは透明の瓶。
しかもそこそこの大きさでコルクの蓋が付いている。
この村の容器は陶器が多いので、ガラス製品は珍しい。せいぜい油屋の高級な髪油くらいでしか見かけない代物だ。
「まず、この葉わさびをよく洗って根元を落とし3㎝くらいの幅に切る。お湯を沸かして、そこに水を少し入れ冷ましたら、この葉わさびをさっと茹でる、そしたら塩でよく揉む」
沸騰したお湯ではなく、だいたい80度位。
それでも熱いがこの作業が辛味を最大限に引き出す方法だ。
しばらくすると……。
「きたきた、この鼻を抜ける香り」
「お、お鼻がツンとするのです」
そしたら、水気を絞り、瓶に入れて密閉する。
これで蒸らし効果を得て、香りを閉じ込めるのだ。
30分から1時間ほど常温で置くと辛みと香りが安定する。
さて、今日の夕食はこれを使った葉わさびの醤油漬けだな。
小鍋に醤油、さっき作った“みりんもどき”、酒、砂糖を投入。
中火で加熱し、ぐつぐつと沸騰したら弱火へ。アルコールを飛ばしきったら火を止める。
あとは粗熱を取るだけ。
「よし、これで漬けダレは完成だな」
葉わさびと合わせて密閉、冷蔵庫へ。
夕食の頃には、ちょうどいい塩梅に仕上がっているはずだ。
さてと、夕食の買い出しに行きますか。
治部煮に必要なドド肉を買った後、醤油屋に寄っていく。
今日のみそ汁は豆腐の予定だからな。
相変わらず、醤油屋は繁盛している。
「いらっしゃい、お、エイタの旦那じゃねえですかい」
小豆洗い子分が俺に気づいて近づいてくる。
「相変わらず、繁盛していますね」
「いやあ、これも旦那のおかげですよ、ほら、あの料理本あれのおかげでさあ」
なんでも、最初のうちは豆腐が売れていたのだが、次第に落ち着いてきてしまい、売れ残るという事態になってしまった。
そこに登場したのが料理本。それを見た小豆洗い女将が即座に油揚げを作った。
さらに……。
「こいつが俺たちの新作、揚げ豆腐でさぁ」
目の前に出されたのは、こんがり茶色の豆腐。
つまり――厚揚げだ。
なるほどな……日持ちしない豆腐の欠点を補い、かつ客にとっても目新しい。
丁度いい、こいつも治部煮の材料にしよう。
「豆腐と、あと、その厚揚げ豆腐をください」
「あいよ、毎度あり!」
やるじゃないか醤油屋。いや、この世界の妖怪たちは思った以上に柔軟だ。
――俺が少し知識を出しただけで、ここまで進化するとはな。
料理ってのは、こういう“化学反応”みたいな広がりが面白いんだよ。
屋敷に戻った俺たちは、早速夕食作りに取り掛かる。
まず、にんじんは5㎜位の輪切りに、下処理したたけのこは短冊切りにしておこう。椎茸も入れるので、乾燥したものを水で戻しておく。
小さな鍋でお湯を沸かし、にんじんは下茹でしておき、この時に厚揚げ豆腐も入れ、軽く油抜きしておこう。
鍋にだし汁と醤油、酒、砂糖、そして今日作ったみりんもどきを入れる。
そこに野菜を先に入れ、3分ほど煮る。
切った厚揚げ豆腐を入れさらに3分煮る。
「いつもと順番が逆なのです」
「お、気が付いたか、普通、肉とかを先に火を通すだろ」
一口大に切ったドド肉に片栗粉をまぶして鍋に入れていく。
この時、必要以上に鍋をかき混ぜない。肉についた衣がはがれてしまうからだ。
治部煮はかたくり粉や小麦粉を肉にまぶして煮込む料理。
その衣がはがれないように最後に入れるのである。
完成した治部煮を器に盛って、俺は最後の仕上げに入る。
「治部煮に欠かせないのは、やはりこいつだよな」
俺はそういうと、すりおろしで今日採って来たわさびを擦り始める。
一応、苦手かもしれないので別皿には取るが……。
「よし、完成だ」
本日の夕食
ご飯、豆腐の味噌汁、ドド肉の治部煮、葉わさびの醤油漬け、きゅうりとナスの漬物
「「「「いただきます」」」」
「む、なんじゃ、この緑色の物は」
最初に反応したのはオウカだった。視線の先には、小皿に盛られたわさび。
「こいつはわさびって言う調味料でな。この治部煮を食うときに少量つけて食うといいぞ。まあ、刺激が強いから、苦手ならつけなくても……っておい」
オウカは俺が説明する前にがっつりとわさびを乗せて、治部煮を口に運ぶ。
口に入れた瞬間……。
「むううううううう!?」
すぐさま、腰に下げていたひょうたんの酒で流し込んだ。
「何じゃこれ、鼻がツンってするぞ、毒か!?」
「いや、刺激が強いからって言っただろう」
「……これ好き、美味い、ご飯が進む」
一方カナメは器用に少量取ると、治部煮につけ食べている。葉わさびも難なく食べている。
「ツンとするけど、これが癖になるのです。……はっ、もしかしたらこのわさび、お稲荷さんとも合うかもしれないのです」
ヨウコも問題なく食べている。むしろ新たなお稲荷さんのレシピを思いついたようだ。
一方のオウカは、先ほどの大量わさびが効いたのか警戒気味になり、今度は葉わさびに挑戦していた。
「ぬわ、こっちもツンとする……が、そこまでではないのう」
葉わさびは気に入ったのか、ご飯、葉わさびのループでバクバク食べている。
「このわさびとやら、こいつは酒が欲しくなるのう」
オウカはひょうたんを卓に置き、どこからか盃を取り出した。
あ、分かる。日本酒とわさびって妙に合うよな、刺身とかさ。
俺はオウカの酒を飲んでいる姿をじっと見つめていた。
「何じゃエイタ、飲みたいのか?」
「ん、あ、ああ、だけどさ」
さすがに借金している身で飲むわけにいかんでしょ。
と、思っていたら、オウカがもう一つの盃を持ってきて俺の前に置き、酒を注いでくれた。
「構わん、飲め。カナメは飲めんし、ヨウコは酒が弱いしのう、共に飲むやつがおらんのじゃ」
「……お酒嫌い」
「はわわ、ごめんなさいなのです」
正直、借金の身で酒を飲むのはどうかとも思ったが――盃を前にしては、抗えなかった。
「……それじゃ、いただきます」
一口含む。
瞬間、舌を焼くような強い酒精。しかしその奥に、濃厚な米の香りと甘みが広がっていく。喉を通ったあとも、芳醇な余韻が残り続けた。
現実世界では味わったことのない酒の味に思わず俺は。
「うめえ」
素直な感想を漏らした。それだけにこの酒は美味かった。
俺は盃に残った残りの酒も一気に飲み干す。確かにこれはわさびと合うなぁ。
「そうじゃろそうじゃろ、この1番の酒は妾の秘伝の酒でのう、自信作なんじゃ」
そういえば、1番酒を常飲しているんだったな
「まあ、まだ1番じゃ、裏以降の酒はそう簡単に飲ませてはやれんがのう」
「ん、裏の酒?」
「裏の酒というのはですね。限られたお客さんにしか出さないお酒です。以前に買いに来た方がいたのですが、それはもう目が飛び出るくらい高いお酒なのです」
「マジかよ……」
今飲んでいるこれ以上の酒があるというのか。
異世界の酒、恐るべし――。
美味しい夕食と、久しぶりの酒にとても満足した夕食だった。
「「「「ごちそうさまでした」」」」
鶏肉の治部煮レシピ(2〜3人分)
材料
鶏もも肉 200〜250g
にんじん 1/2本(約5mmの輪切り)
たけのこ(水煮) 80g(短冊切り)
干し椎茸 2〜3枚(水で戻す)
厚揚げ豆腐 1/2枚(一口大に切る)
だし汁 200ml
醤油 大さじ2
酒 大さじ1
砂糖 小さじ2
みりん 大さじ1
片栗粉 適量(鶏肉にまぶす用)
わさび 適量(お好みで)
葉わさびの醤油漬けレシピ
材料
葉わさび:100g
醤油:50ml
みりん:大さじ1
酒:大さじ1
砂糖:小さじ1(お好みで)
※作中では80℃くらいで茹でていたが沸騰したお湯をかけるだけでも良い。




