王子とクッキーと嫌な予感
目を覚ますと、朝だった。
窓から差し込む光がまぶしくて、思わず目を細める。
(……今日、退院の日だ)
処刑寸前から始まったとは思えないほど、数日間は静かに過ぎていた。
私は身支度を整え、部屋のドアを開ける。
すると、見覚えのある女性が立っていた。
「あ」
「おはようございます、フェリシア様」
茶色の短い髪に、小柄な体格。落ち着いた雰囲気の女性だ。
(……誰だっけ)
一瞬戸惑うが、遅れて記憶がつながる。
――私付きの侍女、アンナ。
「フェリシア様、どうかされましたか?」
「い、いえ……なんでもないわ」
危ない。「はじめまして」と言いかけた。
私はフェリシア。ちゃんと振る舞わないと。
「お召し物をお持ちしましたので、こちらにお着替えください」
「ありがとう」
差し出されたドレスを受け取り、思わず目を見張る。
(ザ・貴族令嬢……!)
「お手伝いいたしますので、お部屋へ」
「分かったわ」
部屋へ戻った瞬間――
私は完全に着せ替え人形になった。
アンナに手際よく服を替えさせられ、髪を整えられ、化粧まで施される。
(侍女って有能すぎない!?)
気づけば完璧な令嬢が完成していた。
身支度を終え、私は建物の外へ出る。
――その瞬間。
「……げ」
思わず声が漏れた。
門の近くに、見覚えのある青年が立っていた。
透き通るような青い髪。
整いすぎた横顔。
近寄りがたい空気をまとった――
第一王子、ベネディクト様。
(なんでいるんですか!?)
嫌な予感しかしない。
ちらりとアンナを見るが、驚いた様子はない。
……来ることを知っていたのね?
私はそっと方向転換した。
見なかったことにしよう。うん、それがいい。
推しだけど、現実のベネディクト様は私を処刑しかけた人なのだから。
静かに、自然に、気配を消して――。
「あぁ〜……あのクッキー、買うの大変だったんだよなぁ」
背後から、わざとらしい独り言。
ぴたり、と足が止まる。
「王太子である私が呑気に菓子を買いに行けるわけもなく、時間を作るのに苦労してな」
(やめてくださいその話題!!)
「ようやく手に入れたのに、彼女は礼の一つも言わ――」
私は全力で引き返した。
「しーーーっ!!」
勢いのまま、ベネディクト様の口を手で塞ぐ。
周囲の騎士たちがぎょっとした顔をした。
(しまった!!!!)
数秒後、我に返る。
私は今、王太子の口を塞いでいる。
終わった。人生終わった。
ゆっくり手を離す。
「あ、あの! 先日はクッキーありがとうございました!! とても美味しかったです!!」
一気に言い切り、深く頭を下げた。
沈黙。
恐る恐る顔を上げると、ベネディクト様がこちらを見下ろしていた。
――少しだけ、楽しそうに。
「最初からそう言えばいい」
「わざと誘導しましたよね!?」
「さてな」
(氷の王子とは……? 心、腹黒では?)
原作設定が音を立てて崩れていく。
「それより、帰るのだろう」
「は、はい。本日から自宅へ戻る予定です」
「そうか。……姿を見る限り、いつものフェリシアだな」
「当たり前です。フェリシアですから」
(多分フェリシアよ。信じるしかないけど)
しかし、彼はその場を離れない。
「……何か御用でしょうか?」
恐る恐る尋ねると、ベネディクト様はわずかに視線を逸らした。
「……送る」
「はい?」
「護衛としてだ。勘違いするな」
(絶対勘違いする言い方なんですが!?)
周囲の騎士たちも微妙な顔をしている。
たぶん私と同じ気持ちだ。
拒否できる立場ではない。
「……よろしくお願いいたします」
歩き出しながら、私は思う。
(物語、やっぱり変わってる)
本来なら、私はもう処刑されていた。
聖女は守られ、
王子は冷酷なまま、
すべてが決められた結末へ進んでいたはずなのに。
でも今は違う。
隣を歩く王子は、ほんの少しだけ柔らかい。
(……まだ間に合う)
聖女のことも。
この世界の未来も。
私は小さく拳を握った。
(絶対に、誰も不幸にしない)




