魔力ゼロの宣告
私はアンナについていく。
食後の食器は、返却口のような場所へ運ぶだけだった。日本でいう飲食店の「返却カウンター」みたいなやつ。置いたら終わり。早い。
(すご……この屋敷、すごい……)
驚いている暇もない。アンナは足を止めずに、てきぱきと廊下を進む。
外へ向かう途中、角を曲がった先に見知らぬ男が立っていた。屋敷の使用人らしい服装で、周囲を気にしながらこちらをうかがっている。
その瞬間、アンナの足がぴたりと止まった。
「サユ様」
私にだけ聞こえる、小さな声で名前を呼ぶ。
「ここで、少しお待ちください」
アンナはそう言うと、男の元へ向かった。私には聞こえない声で、手短に話している。
(なんの話だろ)
気にはなるけど……こういう「主人に聞かせない用事」があるのは、前世でも何となく見たことがある。聞かない方がいいやつだ。
話が終わると、アンナは何事もなかったように戻ってきた。
「用事が済みました。参りましょう」
「……うん」
私はあえて聞かない。聞いても、答えてくれないだろうし。
少し歩くと、庭が視界に入った。
手入れの行き届いた芝、花壇、噴水――思わず声が漏れる。
「すごい……!」
「お嬢様」
「……あっ」
そうだった。ここは二人きりじゃない。通りがかる使用人もいる。
「久しぶりに庭を見たから、嬉しくなっただけよ。えっと、何しに来たんだっけ?」
誤魔化すと、アンナは淡々と答えた。
「お嬢様の魔力についてでございます」
「……魔力」
アンナは庭の中心ではなく、人目の少ない方へ歩き出す。私も慌ててついていく。
(庭にテンション上がりすぎて忘れてた……!)
草むらに近い、ひっそりした場所へ辿り着く。屋敷の敷地内だけど、周囲からは見えにくい。
アンナは立ち止まって、私に向き直った。
「お嬢様。……お始めください」
「そうだった。で、何をすればいいの?」
私が首をかしげた瞬間、アンナが目を見開く。
「……まさか。魔力について、知識が無いのですか!?」
「大きな声出さないで! 周りが怪しむでしょ!」
私は周囲を見回す。幸い、人影はない。
アンナは口元を押さえ、少し気まずそうに視線を落とした。
「……失礼いたしました。やはり、そうでしたか」
「やはり……って何よ」
アンナは小さく息を吐き、言いにくそうに告げる。
「私では説明不足かと存じます。……適任の方をお呼びしております」
「適任? アンナが教えてくれるんじゃないの?」
「恐れながら。私は魔力を持っておりません」
「えっ」
意外すぎて固まる私に、アンナは少しだけ胸を張る。
「ですが、家事の才はございます」
「……家事でしょ?」
つい口から出た。思い出してしまった。
アンナがぱっと顔を明るくする。
「お嬢様、覚えていらしたのですか!」
「全部忘れてるわけじゃないって。……それより、私の魔力――」
そのとき。
聞き覚えのある声が、上から降ってきた。
「待たせたかな、フェリシア」
振り返ると、そこにいたのは――
透き通るような青い髪の青年。第一王子であり王太子、ベネディクト様。
その後ろには、護衛騎士が一人。さらに、身なりの整った使用人が二人、控えている。明らかに“王太子のお出かけセット”だ。
「ベネディクト様……」
「なんだ。嬉しくないのか?」
その言い方、ずるい。
私は反射でアンナを見る。
「アンナ……さっきの男の人って、もしかして」
アンナは小さく頷いた。
「王太子殿下へ、至急のご連絡を。……お嬢様の魔力の件でございます」
「サプライズ……心臓に悪い……」
「嫌でしたか?」
「嫌じゃないけど……驚くよ!」
そこへベネディクト様が口を挟む。
「二人で盛り上がってないで、私を無視するな」
「おはようございます、ベネディクト様。驚きのあまり失礼な態度を……」
「よろしい」
軽く手を振って流される。
護衛騎士が周囲を確認し、使用人たちが少し距離を取る。
ベネディクト様はアンナへ視線を向けた。
「侍女が判断して私を呼んだのか。悪くない」
アンナは一歩前に出て、深く頭を下げる。
「王太子殿下。恐れ入ります。お嬢様の魔力の件につきましては、殿下にお力添えをお願いするのが最も適切かと存じました」
ベネディクト様は小さく頷いた。
「分かっている。だから来た」
私はそのやり取りを見て、ようやく理解する。
(そういうことか……アンナ、最初から殿下を呼ぶつもりだったんだ……!)
私は慌てて割って入った。
「ちょっと待ってください!どうして殿下が最適なんですか?」
ベネディクト様が肩をすくめる。
「そこも記憶が曖昧か?」
「はい。教えてください」
「分かった。説明しよう」
彼は指を折るように淡々と言った。
「第一に、私は王太子だ。婚約者の魔力について口を出せる立場にいる。
第二に、私は魔力が得意で――好きだ。
だから、私が見た方が早い」
「……好き、なんだ」
魔道具とか魔力とかになると、目がキラキラするタイプだったな、この人。
ふと気づく。
「……あれ? ベネディクト様、転移してきたんですか?」
「なぜ分かった」
「アンナが連絡してから、来るまで早すぎます。馬車だったら間に合わないでしょ」
「正解だ」
ベネディクト様は平然と肯定する。
「処刑は延期されている。聖女の件も片付いていない。お前の状態も含め、魔力は今すぐ調べる必要がある。急いだ」
「……そうですか」
私が納得する間もなく、ベネディクト様は手を前に出した。
「まずはお手本だ。見ていろ」
護衛騎士と使用人たちが、さっと距離を取る。私もつられて一歩下がる。
(生の魔法……見れる……やばい……!)
ベネディクト様が左手を前に出し、静かに詠唱する。
「低き力に向かい、穏やかなる助けをもたらせ」
草がさわり、と揺れた。
そよ風が吹く。
(うわ……本当に……! 生詠唱……最高……)
「低レベルの魔法だ。やってみろ」
ベネディクト様が私に促す。
私は横に立ち、同じように手を出した。
(実は作品見てから、真似だけはしてたんだよね……)
胸が高鳴る。これが、転生の醍醐味……!
「低き力に向かい、穏やかなる助けをもたらせ」
……何も起きない。
「……低き力に向かい、穏やかなる助けをもたらせ」
沈黙。
ベネディクト様が少しだけ眉を寄せる。
「体内の魔力を感じろ。流れを意識するんだ」
「体内の魔力……魔力……」
私は目を閉じて集中する。
その瞬間。
ぐぅ〜……
お腹が鳴った。
「……えっ」
死にたい。
しかも王太子の前で。しかも静寂の中で。完璧に響いた。
「ち、違うんです!」
ベネディクト様が――
「……はは」
笑った。口元を押さえてるけど、笑ってるの分かる。聞こえてる。
「聞こえてますからね!?」
「すまない。……だが、面白い」
「しょうがないでしょ! 体内の魔力って言われたら、体が反応したの!」
「言い訳が斬新だな」
ベネディクト様は咳払いをして、真面目な顔に戻る。
「とりあえず、魔力は出なさそうだ。道具で測ることもできるが……数値が反応しない可能性がある。効率の良い方法でいこう」
そう言って、彼は手袋を外した。
そして、素手を差し出してくる。
「手を重ねる。魔力の流れを直接見る」
(きた……原作で見たやつ……!)
ロマンチックすぎるイベントを、現実でやるな。
「手袋越しでは難しい。お前は特殊だ。許せ」
「……わかりました」
私は、差し出された手にそっと手を置く。
握り返される。
私も反射で握り返す。
(やば……手、熱い……これ魔力? 私の動悸? どっち!?)
「……終わった」
「え?」
「手を離せ」
「……っ、ごめんなさい!!」
慌てて離して、頭を下げる。心臓がもたない。握手会どころじゃない。
ベネディクト様は少し考え込むように、手袋を戻しながら言った。
「……魔力は感じ取れなかった」
「はい?」
「記憶が曖昧になって、魔力も出せなくなったのだろう」
「え……」
転生の楽しみ、魔力。
それが――無い?
一気にテンションが落ちる。
「だが気になる」
ベネディクト様の視線が鋭くなる。
「魔力が使えた者が使えなくなる例はある。だが、**魔力が“全く無い”**のは珍しい」
「どうしたら使えるようになりますか……?」
「さすがの私でも、そこまでは分からない」
「ですよね……」
ベネディクト様は少しだけ柔らかい声で続けた。
「だが可能性はある。魔力は不思議だ。……また会いに来てもいいか?」
「なんでですか?」
「魔力があるはずなのに無い。調べるには、私が来た方が早い」
……理由が、完全に研究者。
「たまになら、いいですよ」
「たまになのか?」
「他にもやることがあるので」
ベネディクト様がちょっと落ち込む。
「……どうしても知りたい。駄目か?」
そんな目で見ないでほしい。魔力のことになると、この人は遠慮がない。
「分かりました。来られる時に来ていいです」
「本当か」
「その代わり、勝手に転移しないでください。ちゃんと連絡して、日程決めて……馬車で来てください!」
「なぜ転移が駄目なんだ」
「女の子は準備する時間が欲しいのです!」
「……そうなのか。すまない」
「だから馬車です」
「分かった。そうしよう」
そのとき、護衛騎士と使用人二人が近づいてきた。
申し訳なさそうに、護衛騎士が言う。
「王太子殿下。お時間でございます」
「……そうか」
ベネディクト様は私を見る。
「すまないフェリシア。仕事がある。今日はこれで失礼する。また会うのを楽しみにしている」
そう言い残して、彼は去っていった。
短い時間だったのに、情報量が多すぎる。
でも――ベネディクト様が楽しそうだったから、まあ、いいか。
ベネディクト様の姿が消えたあと、アンナが戻ってきた。
「アンナ、次からベネディクト様呼ぶ時は教えてよね」
「かしこまりました、サユ様」
“サユ”と呼ばれた瞬間、肩の力が抜けた。
気楽だ。
私は思い出したように聞く。
「……ベネディクト様は魔力がないって言ってたけど。仕事、見つかりそう?」
アンナが申し訳なさそうに首を振る。
「恐れ入りますが……ご紹介できるお仕事はございません」
「……え?」
魔力もない。
仕事もない。
希望が、一気に遠くなった気がした。
(幸せにするって言ったのに……どうすればいいの)
私は、唇を噛んだ。




