サユという存在
ファンタジーすぎて、思考が追いつかない。
私は深く息を吐いた。
「昨日の件……やっぱり、ちゃんと伝わってなかったのね」
アンナは姿勢を正し、静かに頷いた。
「はい。申し訳ございません、お嬢様。
記憶喪失、あるいは別人格……そのどちらかだと解釈しようとしておりました。ですが、食べたことも見たこともない料理をなさっていたので……整理がつかず……」
「じゃあ今は?」
「“別の魂がいらっしゃる”という理解で……正しかったのでしょうか」
「うん。そうだよ」
少しだけ微笑む。
「間違って伝えてしまって、ごめんね」
アンナは静かに私を見つめる。
「お嬢様は……この街の方ではないのですか?」
「まあ、そうね。でも私のいた場所でもフェリシアのことは聞いてた」
アンナの声が、わずかに低くなる。
「……お嬢様は“悪の令嬢”でしたから。他の地域に名が知れていても、不思議ではございません」
その声には、どこか悲しさがあった。
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私はゆっくり首を振る。
「でもね、フェリシアは無くなってないと思うの」
アンナが顔を上げる。
「魂というか……本当のフェリシアは、どこかにいる。
昨日、アンナ言ったでしょ? “いつか戻るかもしれません”って」
「……はい」
「私も、そう思う」
静かに言い切る。
⸻
「お嬢様は……戻りたいのですか?」
その問いに、私は即答した。
「当たり前でしょ?」
思わず身を乗り出し、アンナの手を握る。
「大切な人を置いて死ぬほど、フェリシアは悪じゃない」
推しだから分かる。
あの子は、かっこよくて、優しくて、最高の令嬢だ。
「お嬢様……」
「あっ、ごめん!」
慌てて手を離す。
顔が熱い。
⸻
「改めて、自己紹介するね」
少し照れながら言う。
「私の名前は、幸優。サユって呼んで」
「……サ、ユ、様?」
慣れない響きに、どこか可愛らしい発音。
胸の奥が、少し温かくなる。
「二人きりの時だけでいいよ。その方が、私としては嬉しいし」
フェリシアの名前は大切。
でも――
誰か一人でも、私を“私”として呼んでくれるなら。
それだけで救われる。
⸻
アンナはまだ少し戸惑いながらも、小さく頷いた。
「サユ様……先ほどのお仕事の件ですが」
「あ、そうだった」
完全に忘れてた。
「働ける場所、知ってる?」
アンナの顔色が変わる。
「お嬢様が……働く、のですか?」
「だって働かないとお金は増えないでしょ? ここ、余裕あるわけじゃないし」
「それは旦那様と奥様が……」
「働かざる者食うべからず」
「……なんですか、それは」
「簡単に言うと、働かないとご飯は食べられないって意味」
アンナは真剣に聞いている。
「私のいた場所では普通の考え方。
両親も働いてた。でも裕福じゃなかった。だから私も働いてた」
「……凄いですね」
「自分で稼いだお金で買う方が、気が楽なのよ」
それに――
この家は、いずれ崩れる。
原作の未来を、私は知っている。
⸻
「無理だと思います」
アンナがはっきり言った。
「旦那様も奥様も、決して許可なさらないでしょう」
「そうよね」
でも。
ここで止まるわけにはいかない。
私はにやりと笑った。
「アンナ、私と取引しましょう」
「は、はいぃ!?
今度は取引ですか!? サユ様、私の心臓が持ちません!」




