私はフェリシアで、フェリシアじゃない
食事を食べ終える頃には、
さっきまで頭を占めていた悩みは、すっかり空っぽになっていた。
満腹って、すごい。
ふと視線を感じて顔を上げると、アンナがじっとこちらを見ていた。
「ねぇ、アンナ。そんなに見つめて……口に何かついてる?」
「付いておりません」
即答だった。
「じゃあ、どうしてさっきから見てるの?」
アンナは少し迷うように視線を落とし、それから静かに尋ねた。
「……料理は、お好きですか?」
「好きなほうかしら」
「以前から料理をされていたのですか?」
「……はい?」
思わず間の抜けた声が出る。
「まるで、知っているかのように料理をされていたので」
――ああ。
分かる。
これは、確実に怪しまれている。
「えっと……それは……」
言葉に詰まった瞬間、アンナは小さく首を振った。
「私の誤解です。申し訳ありません。お皿を片付けてまいりますね」
気づかないふりをするように、食器をワゴンへ乗せ始める。
……逃げた。
いや、逃がしたのは私だ。
「アンナ」
手が止まる。
「疑問に思ったの、料理だけ?」
「……え?」
隠せていないのは、自分でも分かっている。
「そんな悲しそうな顔されると気まずいのよ。いいから言いなさい」
「ですが……」
「料理を手伝ってくれたお礼。聞くわ」
アンナは少し迷ったあと、ワゴンを脇に寄せ、ソファへ腰を下ろした。
そして、真剣な顔で口を開く。
「……本当のお嬢様なのか、分からなくて不安なのです」
胸が静かに痛んだ。
「今日のお嬢様は、料理をされて……とても楽しそうでした。でも、記憶喪失になる前のお嬢様は、そのようなことはなさらなかった」
言葉が震えている。
「どう接すればよいのか分からなくて……一つ疑問に思うと、他のことまで気になってしまって……」
アンナの目から、雫がこぼれ落ちた。
「お嬢様なのに……疑ってしまって、申し訳ございません」
「……謝らないで」
私は小さく息を吐いた。
「謝るのは、私のほう」
「お嬢様?」
「アンナ。私が変わったって思う?」
「……はい。前のお嬢様とは違います」
はっきりと言われて、胸が少しだけ痛んだ。
けれど――逃げるのは違う。
「正解」
「……え?」
私は苦笑した。
もう、隠し続けるのは無理だ。
「私はフェリシア。でも、同じじゃない」
言葉を探しながら続ける。
「どう説明したらいいか分からないけど……別の人格、というか……別の魂がここにいるの」
アンナは息を呑んだまま動かない。
「本当のお嬢様の魂がどこにあるのかも分からない。どうして私がここにいるのかも分からない。……おとぎ話みたいでしょう?」
静寂が落ちた。
やがてアンナが、震える声で聞く。
「……前のお嬢様は、もういないのですか?」
答えられない。
私はずっと考えないようにしていた。
戻りたくなるから。
この世界は、本当は――フェリシアのものだから。
「……いない、かもしれない」
喉が少し苦しくなる。
「私が、奪ってしまったのかもしれない。……ごめん」
「謝らないでください」
アンナはすぐに首を振った。
「いつか戻るかもしれません」
「……アンナは、戻ってほしい?」
その瞬間、彼女の表情が揺れた。
「あっ、ごめん。責めたいわけじゃなくて――」
「お気遣いなく」
アンナは静かに言った。
「私の前にいるのが、私のお嬢様ですから」
胸が、少しだけ温かくなる。
「……そっか」
笑おうとしたけれど、うまく笑えなかった。
さっきまで美味しかったハンバーグが、少しだけ重く感じる。
アンナは静かに食器を片付け、いつも通り丁寧に一礼した。
「おやすみなさいませ、お嬢様」
そう言って、部屋を出ていく。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
「……悲しませてしまったかな」
ベッドに腰を下ろし、小さく呟く。
「明日……どう接したらいいんだろう」
その日の夜は、どうしても気持ちよく眠れなかった。




