初めての手料理
アンナに案内してもらい、料理室へと向かった。
扉を開けると――そこには誰の姿もなかった。
「アンナ、誰もいないの?」
「申し訳ありません、お嬢様。料理人たちは先ほど勤務を終えました」
アンナは少し言いづらそうに続ける。
「国王陛下が定めた『貴族雇用法』により、定刻外の調理は禁止されております。追加で働いていただく場合は……特別時間外手当が必要でして……」
言葉を濁す。
「……現在の公爵家の財政では、難しいかと」
なるほど。
「私の給料から引かれるとかではありませんよね……?」
小さく不安そうに付け足すアンナ。
「しないわよ。安心しなさい」
即答すると、アンナはほっと胸を撫で下ろした。
「お嬢様には、シェフが作り置いたパンとスープがございます。温め直しましょうか?」
私は少し考えてから首を振る。
「……それじゃ、心が満たされないのよね」
「え?」
「厨房、借りてもいい?」
「えっ!? お、お嬢様が料理を!? 危険ですわ!」
制止を聞かず、私は腕まくりをした。
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厨房に残っていたのは、半端な食材ばかりだった。
・固くなった黒パン
・干し肉の端切れ
・しおれた野菜
・そして古びたコンロ
「お嬢様、それは故障品で――」
「叩けば直らない?」
軽く叩く。
カチ、と音がして火が入った。
「……動いた」
「な、なぜ……?」
「家電ってそんなものよ」
「かでん?」
「……なんでもない」
危ない。口が滑る。
お腹が空きすぎて思考が緩んでいる。
⸻
「アンナ、お肉ある?」
「どのようなお肉でしょう?」
「えっと……柔らかそうなやつ」
アンナがくすっと笑う。
「このオーク肉でしたら使えます」
「助かるわ。それとパン、卵、玉ねぎお願い」
「何をお作りになるのですか?」
「……分からない。けど作れる気がするの」
「不安です」
「私も不安よ」
異世界の食材。だけど――体が覚えている気がした。
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「まず玉ねぎを切ってもらえる?」
「かしこまりました」
慣れた手つきで刻むアンナ。
「上手ね」
「作らないと食べられませんから」
その言葉に胸が少し痛んだ。
(私は……)
前世では、
夕飯はいつも自分で用意していた。
贅沢なんてできない家で、
冷蔵庫の残り物を考えながら作るのが日課だった。
出来上がった料理を運んでも、
向かいの席は、ずっと空いたまま。
(だから――)
今度くらいは。
誰かと一緒に、食べたい。
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玉ねぎを炒めると甘い香りが立ち上る。
「いい匂いでしょう?」
「野菜を焼くなんて初めて見ました……」
炒め終えた玉ねぎを皿へ移す。
「冷まします」
「えっ!? なぜですか?」
「熱いまま混ぜると、お肉の脂が溶けちゃうの」
アンナが目を丸くする。
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私はボウルに肉を入れた。
そこへ――
砕いた黒パン。
卵。
冷ました玉ねぎ。
「それ全部混ぜるのですか!?」
「うん。これは“つなぎ”。柔らかくする秘密」
手でこねる。
粘りが出て、まとまっていく。
「空気を抜くのが大事なの」
手のひらで軽く打ち付ける。
ぺしん、ぺしん。
「お肉を叩く理由があるのですね……」
「多分ね」
自信はない。でも体が覚えている。
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形を整え、中央を少しくぼませる。
「割れないようにね」
熱した鉄板へ置いた。
ジュワァァァッ!!
「ひゃあっ!」
「慌てない。まず強火で焼き目」
香ばしい匂いが広がる。
裏返すと、綺麗なきつね色。
「……綺麗」
「ここからが本番」
少量の水を入れる。
「なっ!?」
すぐ蓋をする。
「蒸し焼き。中まで火を通すの」
湯気が立ち上る。
厨房は幸福な匂いに包まれた。
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蒸し焼きの湯気が静かに収まり、私は蓋を開けた。
ふわり、と肉の香りが広がる。
「……できた」
「本当に完成してしまいました……」
アンナが信じられないものを見るように呟く。
「そうね。じゃあ次、スープ温めてくれる?」
「かしこまりました」
アンナは厨房の隅から、小型の調理器具を取り出した。
鉄板の下が淡く光る、見慣れない装置だ。
(……IHっぽいのあるじゃん)
火は見えないが、じわじわと鍋が温まっていく。
(電子レンジないの、地味にきついな……)
前世の便利さを思い出し、少しだけ遠い目になる。
温まったスープを見て、私はふと思いついた。
「アンナ、それ二つに分けてくれる?」
「……二つ、ですか?」
不思議そうな顔。
「うん。私の部屋に運びたいの」
「承知いたしました」
アンナは丁寧に器へスープを注ぎ分ける。
湯気が立ち上り、厨房に優しい香りが満ちた。
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しばらくして。
私たちは料理をワゴンに乗せ、部屋へ戻った。
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部屋のテーブルには、
スープが二つ。
そして焼きたての料理が二皿。
アンナが戸惑ったように立ち尽くしている。
「アンナ、一緒に食べましょ」
「えっ!? 私がですか!?」
「……余るし。食べないなら捨てるしかないもの」
「食べます!!」
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「いただきます」
恐る恐る一口食べたアンナの目が見開かれる。
「……温かい……。美味しいです!」
私は笑った。
「お腹いっぱいになると、悩み半分消えるでしょ?」
前世では一人だった食事。
でも今は違う。
目の前に、同じ料理を食べる誰かがいる。
それだけで――十分だった。
(今度は甘いもの作りたいな)
ベネディクト様に材料を聞いてみよう。
そう思いながら、私はもう一口頬張った。




