灯りの外側
『残響線』が公開されてから1か月ほど経った頃、隼人のもとへ星乃ミナから新しい連絡が届いた。
黒瀬レイの3周年企画は無事に終わり、『残響線』も1,000万回を越えている。ミナ自身も参加者として注目されたが、彼女が歌っている時間は決して長くない。それでも短い「聞こえてる」という一言が印象に残ったらしく、以前より低い声や静かな歌い方を聞きたいという反応が増えているようだった。
今回の連絡は、事務所を通した正式な依頼ではなかった。
【Lentoさん、ちょっと相談してもいいですか?】
大学から帰宅した隼人は、夕食までの時間にメッセージを確認した。
【どうぞ。】
【『残響線』を録った時の歌い方で、私の曲を1曲作ることってできますか?】
隼人はすぐには返事をせず、少し考えた。
星乃ミナへ最初に提供した『また明日』は、配信が終わったあと、それぞれが自分の生活へ戻り、翌日にまた会えればいいという曲だった。ピアノを中心にした柔らかな構成で、ミナの明るい声をそのまま活かしている。
対して『残響線』で使った声は、かなり違う。
普段の配信で聞かせる明るさを抑え、誰かへ呼びかけるというより、すぐ近くの相手へ返事をするような歌い方だった。
【できます。ただ、前の曲とはかなり違うものになると思います。】
【それがやりたいです。】
【何か理由あります?】
今度はミナからの返事が少し遅れた。
【『残響線』を録った時、歌ってる感じがあんまりしなかったんです。でも公開されたのを聞いたら、自分でも知らなかった声みたいに聞こえて。それを1曲ちゃんと使ったらどうなるのかなって思いました。】
隼人はその文章を読み、少しだけ口元を緩めた。
自分から作りたい曲を探している。
それなら、断る理由はなかった。
【分かりました。一度ちゃんと話しましょう。】
【やった!】
【まだ作るって確定してませんよ。】
【Lentoさん、その言い方して結局いつも作るじゃないですか。】
「……慣れられてるな」
隼人は苦笑しながら、週末の予定を確認した。
◇ ◇ ◇
土曜日の夜、隼人はミナと音声通話を繋いだ。
今回は事務所側にも事前に相談済みで、曲の方向性が決まれば正式な契約へ進むことになっている。最初から周年やアニメといった明確な用途があるわけではなく、純粋にミナ自身が新しい歌を作りたいというところから始まった依頼だった。
『改めてお願いします!』
「お願いします。それで、どんな曲が欲しいですか?」
『それをLentoさんに聞かれると困るんですよね』
「依頼した人が困らないでください」
『だって私、さっき言った声で1曲歌ってみたいしか決めてないんですよ』
「それだけでも十分ですけどね」
隼人は事前にまとめておいたメモを開いた。
『また明日』の制作時に確認した配信、最近の雑談、歌枠、『残響線』の録音データまで改めて聞き直している。その中で気になったのは、ミナが配信中に見せる声と、配信終了直前に見せる声の差だった。
「ミナさんって、配信切る直前だけちょっと声変わりますよね」
『え?』
「普段より低くなります。特に長時間配信した日」
『疲れてるだけじゃないですか?』
「それもあると思います。でも、俺はそっちの声を使いたいです」
『疲れた声をオリジナル曲にするんですか?』
「言い方が悪いですね」
『Lentoさんが言ったんですよ!』
笑いながらも、隼人は考えていた方向を説明していく。
星乃ミナは配信中、基本的に明るい。
笑い、話し、視聴者へ言葉を返し、何千人という人間へ向かって声を届ける。その姿は作られた嘘ではなく、間違いなく本人の一部なのだろう。
しかし、配信が終われば画面は暗くなる。
視聴者が自分の生活へ戻るように、配信者もまた1人の人間へ戻る。
「『また明日』は、配信が終わって視聴者とミナさんがそれぞれ生活へ戻る曲でしたよね」
『はい』
「今回は、そのあとにしたいです」
『そのあと?』
「配信を切って、部屋が静かになって、誰にも見られてない時間です。ミナさんがVTuberとして誰かに声を届けてない時の歌」
通話の向こうで、ミナが黙った。
隼人は急かさずに待つ。
『……それ、暗くなりません?』
「暗くしてもいいと思います。ただ、病んでる曲にはしたくないです」
『そこ大事です』
「1人になることと、寂しいことは同じじゃないので」
配信を終えたあとに静かな部屋で水を飲み、機材を片づける。
通知を確認することもあれば、そのまま風呂へ入る日もある。何千人もの視聴者と話していた数分後に、1人で洗濯物を畳むことだってあるだろう。
その時間を否定する必要はない。
表に見せる明るさが本物なら、画面を閉じたあとの静けさもまた本物だった。
『私、配信終わったあと普通にコンビニのおにぎり食べてる日ありますよ』
「いいじゃないですか」
『オリジナル曲におにぎり入ります?』
「入れません」
『即答された』
「そこまで生活感を具体的にしたらミナさんしか歌えなくなります」
『私の曲ですよね?』
「聞く人が自分の夜も重ねられるくらいには余白を残します」
ミナが笑ったあと、少し静かな声で言った。
『でも、そういう曲なら歌ってみたいです』
「じゃあ、それで作ります」
『今、確定しました?』
「しました」
『ほら、やっぱり作るじゃないですか』
「依頼されたので」
隼人も笑いながら、制作ノートへ新しいページを作った。
◇ ◇ ◇
今回は【運命のダイス】を開かなかった。
『残響線』と同じく、作りたいものは既に見えている。
ピアノを中心にした『また明日』とも、ギターを軸にした『残響線』とも違う。低く乾いた電子音と柔らかなベースを使い、ドラムは極端に前へ出さない。夜の部屋で小さなスピーカーから流しても成立する程度の音量感を意識して、伴奏を組み立てていった。
旋律も高音をほとんど使わない。
ミナの歌唱力なら、もっと華やかな曲を作ることもできる。それでも今回は、普段なら隠れてしまう低い声を中心にしたかった。
歌詞についても、配信者という言葉を直接入れない。
誰かの前で笑ったあと、1人になった時まで笑っている必要はない。静かになったからといって、さっきまでの楽しさが嘘になるわけでもない。
人に見せる自分と、誰にも見せない自分。
どちらかだけが本物なのではなく、両方を持ったまま生活していく。
その感覚を言葉へ変えていく。
数日後、仮歌まで入れた最初のデモが完成した。
隼人は何度か聞き直したあと、タイトルを決めた。
【『灯りの外側』】
配信画面の中には灯りがある。
カメラもコメントも、誰かの声も届く。
しかし、その灯りから一歩外へ出た場所にも、その人の生活は続いている。
隼人はミナへデモを送った。
返事が来たのは約20分後だった。
【これ、私が歌うんですよね?】
【その予定です。】
【今までで一番低くないですか?】
【かなり低いです。】
【私の歌枠を見て作りました?】
【歌枠より配信終わる前の5分をいっぱい見ました。】
【怖いです。】
「また言われた」
隼人は笑いながらスマートフォンを置いた。
その数分後、もう一度通知が鳴る。
【でも好きです。やりたいです。】
それだけで十分だった。
◇ ◇ ◇
最初の録音では、予想していた問題がそのまま出た。
ミナは低い音域でも安定して歌える。
しかし、1曲を通して歌うとなると、どうしても普段の歌唱へ戻ってしまう。低い声のままでも発音を綺麗に整え、音を伸ばす場所ではしっかり響かせようとするため、『残響線』で聞かせた距離の近さが消えていた。
「もっと歌わなくていいです」
『またそれ!?』
「今回は最初から最後までそれです」
『私、何しに来たんですか?』
「歌を録りに」
『矛盾してません?』
「してないです」
隼人はミナの録音データを再生し、特に違いが大きい部分を指定した。
「ここ、綺麗に伸ばしてますよね」
『はい』
「伸ばさなくていいです。少し息が足りなくなっても、そのまま切ってください」
『失敗みたいになりません?』
「今回は、その方が近いです」
『これ公開されたあと、歌下手になったって言われたらLentoさんのせいですからね』
「責任取って制作ノートに書いておきます」
『公開してくださいよ、それ』
「それは嫌です」
何度か録り直すうちに、少しずつ歌から力が抜けていった。
特に良かったのは、長時間の録音でミナ自身が少し疲れてきた頃だった。声がわずかに掠れ、綺麗に聞かせようとする余裕が薄くなったことで、曲の距離感が一気に近くなる。
隼人はそのテイクを聞き、すぐに止めた。
「今の残します」
『えっ、ちょっと待って。最後掠れましたよ?』
「そこがいいです」
『絶対録り直した方が綺麗ですよ』
「綺麗にしたくないです」
『頑固!』
ミナが笑う。
それでも最終的には、そのテイクが採用された。
歌唱技術を見せる曲ではない。
誰にも見られていない夜に、自分へ聞かせるような声であればいい。
◇ ◇ ◇
制作開始から約2か月。
『灯りの外側』は完成した。
ミナの事務所も最終音源を確認し、これまでの彼女とは違う方向性ながら、本人の希望が強いこともあってそのまま公開が決まった。
告知が出ると、当然ながら『また明日』以来となるLento制作のミナ単独曲として注目された。
【星乃ミナ New Original Song】
【『灯りの外側』】
【Music / Lyrics:Lento】
告知を見た視聴者の多くは、『また明日』に近い曲を予想していた。
しかし、公開された音源はまったく違った。
イントロから音数が少ない。
ミナの声も低い。
普段の配信で聞かせる明るさも、『また明日』で見せた柔らかな歌声も前面には出てこない。
夜の部屋で1人になった人間が、自分のためだけに小さく声を出している。
そんな曲だった。
公開直後から爆発的に伸びたわけではない。
それでもコメント欄には、これまでのミナの曲とは少し違う反応が並んでいた。
【イヤホンで聞いたら距離近すぎてびっくりした】
【最初ミナだって分からなかった】
【上手く歌おうとしてない感じが逆に好き】
【配信終わったあとに聞きたい】
【『また明日』のさらにあとって感じする】
【夜中に1人で聞く曲だなこれ】
公開から24時間。
【『灯りの外側』】
【公開24時間 再生回数 410,286回】
『残響線』ほどの勢いはない。
Lento自身の『夜を連れて』と比べれば、さらに差がある。
それでも隼人は数字を見て、特に不満を感じなかった。
この曲は最初から、大勢で盛り上がるために作っていない。
◇ ◇ ◇
公開7日後。
【『灯りの外側』】
【公開7日 再生回数 1,184,627回】
100万回を越えた。
そして1か月後。
【『灯りの外側』】
【公開30日 再生回数 3,084,617回】
数字だけを見れば、Lentoが最近関わった曲の中では大きなヒットではない。
しかし、公開から時間が経ってもコメントが途切れなかった。
【仕事終わって帰ってきた時に毎日聞いてる】
【3回目より30回目の方が好きになってる】
【ミナの曲で一番好きかもしれない】
【数字伸びてほしい気持ちと、自分だけの曲みたいに聞いていたい気持ちが両方ある】
【眠れない時に音量小さくして流すとちょうどいい】
ミナ自身も、配信でこの曲について話していた。
『『灯りの外側』、最初は私も「これ地味じゃない?」ってちょっと思ったんですよ』
【本人が言うな】
【地味は草】
【好きだぞ】
『でも最近、寝る前に聞いてますって言ってくれる人がすごく多くて。毎日聞いてるって人もいるんですよね。それ見てたら、こういう曲もいいなって思いました』
大きく跳ねる曲ではない。
その代わり、一度好きになった人が何度も戻ってくる。
隼人はその反応を見ながら、制作ノートを開いた。
【星乃ミナ『灯りの外側』。運命のダイスは使用していない。公開30日で再生回数3,084,617回。配信中ではなく、配信終了後の声を中心に制作した。】
その下へ、少し考えてから書き加える。
【ヒットしなかったのではない。広くではなく、深く届いた。】
数字は便利だった。
どれだけ多くの人へ届いたかを知ることができる。
けれど、1回聞いた100万人と、何度も戻ってくる100万人が同じ意味を持つわけではない。再生回数だけでは分からない届き方が、音楽には確かに存在している。
隼人はノートを閉じた。
『夜明けの途中』を投稿した頃は、自分の曲が何回再生されるかばかり気にしていた。
今は少し違う。
何人へ届いたのかだけではなく、どんなふうに残ったのかも気になる。
そして、その違いを知るたびに、まだ作ったことのない曲が増えていく。
自分で歌う曲もあれば、誰かへ渡す曲もある。何千万人へ届く曲もあれば、眠る前の1人へ何度も聞かれる曲もある。
どちらかを正解にする必要はなかった。
隼人にとって大切なのは、数字に合わせて曲を作ることではなく、その曲に必要な届き方を選ぶことだった。




