残響線
『残響線』の骨格ができてから、隼人は黒瀬レイ本人の声を使った調整へ移った。
最初に送ってもらったのは、普段の歌枠で使っている音域が分かる数曲の録音と、伴奏をほとんど入れずに録った短いボーカルデータだった。配信を見ている段階でも分かっていたが、改めて素材だけを聞くと、レイの声には低音から中音域にかけて少し乾いた響きがある。
歌唱技術そのものは十分に高い。
ただし、高音へ上がるほど力強く歌おうとする癖があり、そこだけを使えば一般的な男性VTuberの記念曲に近づいてしまう。今回欲しいのは3年間を派手に祝う声ではなく、途中で立ち止まったことまで含めて「まだここにいる」と言える声だった。
隼人はサビの最高音を半音下げ、代わりに最後の言葉が残る時間を長くした。
その修正版をレイへ送る。
【サビを少し変えました。高いところで格好良く歌うより、普段の声に近いところで残した方が合うと思います。】
数分後、返事が届いた。
【周年曲なのに格好良く歌わせてもらえないんですか?】
隼人は思わず笑った。
【格好良く聞こえたら採用します。格好良く歌おうとしたら録り直してもらいます。】
【ミナが言ってたやつだ。】
【何を言われてるんですか、俺。】
【Lentoさんは歌手を歌手じゃなくするって言ってました。】
「こよりさんの話まで混ざってるな……」
いつの間にか、自分の制作方法が出演者同士で共有されている。
隼人としては特別なことをしているつもりはなかった。上手く歌うことが必要な曲なら上手く歌ってもらうし、綺麗な声が必要なら綺麗に整えてもらう。ただ、その人にしか歌えない曲を作るなら、技術だけで完成させない方がいい場合もある。
今回の『残響線』も、その1つだった。
◇ ◇ ◇
最初の仮歌が届いたのは、それから4日後だった。
レイは指示通り力を抑えている。
音程も安定しており、リズムにも問題はない。サビへ入ってからも過剰に盛り上げず、低いギターとドラムの上へ声を置くように歌えていた。
それでも、隼人は途中で再生を止めた。
「……まだ違うな」
下手ではない。
むしろ歌としては綺麗だった。
ただ、歌詞を理解して表現しようとしていることが、そのまま声へ出てしまっている。
隼人は該当箇所をもう一度再生した。
活動を休んだ夜や、戻った時に変わらずコメントが流れたことを直接説明する歌詞にはしていない。それでもレイ自身には自分の経験と重なる部分が分かるため、どうしても感情を込めようとしてしまう。
少し考えてから、通話を繋いだ。
『どうでした?』
「上手いです」
『その言い方、絶対このあと何か来るやつじゃないですか』
「もう少し普通に歌ってほしいです」
『普通って何ですか?」
「3周年記念曲を録ってると思わないでください」
『無理じゃないですか?』
「じゃあ、配信終わりの雑談だと思ってください。夜中に2時間くらいゲームやって、そろそろ終わるかって時に視聴者へ話してる感じで」
通話の向こうで、レイが少し黙った。
『それなら、もっと力抜いていいってことですか?』
「かなり抜いていいです。特に最初は歌というより、言葉を音程に乗せるくらいでいいと思います」
『Lentoさんの曲、歌が上手い方が難しくないですか?』
「それ、俺に言われても困ります」
『作ってる本人じゃないですか』
レイが笑った。
その笑った直後の声を聞いて、隼人はすぐに言葉を続けた。
「今の感じです」
『え?』
「今の喋ってる声。そこからあんまり変えないで歌ってください」
『急に録音始まったみたいで怖いんですけど』
「別に今の通話を使ったりしませんよ」
『そこは信じてますけどね』
少なくとも、先ほど届いた仮歌より自然だった。
隼人は細かな修正点を伝え、もう一度録音してもらうことにした。
◇ ◇ ◇
ミナの役割は、レイとはまったく違った。
『また明日』では1曲を通して主役だったが、今回は歌う量そのものが少ない。レイのパートへ薄く重なる場所を含めても、単独で声を出す部分は全体の3割にも満たなかった。
『本当にこれだけでいいんですか?』
「いいです。むしろ増やしたくないです」
『私、一応ちゃんと依頼した側なんですけど』
「だからって歌唱時間が増える契約ではないですよ」
『依頼者特典ないんですか?』
「完成した曲を最初に聞けます」
『普通!』
通話越しにミナが笑う。
隼人も笑いながら、ミナのパートを画面へ表示した。
「今回、ミナさんが目立ちすぎると意味が変わるんですよ。レイさんの3年間へ途中から入ってきて、一緒に主人公になる曲じゃないので」
『うん。それは分かります』
「だからレイさんが声を出したあとに、ちゃんと聞いてる人がいるって分かれば十分です。短い方がいい」
『じゃあ、なるべく存在感消した方がいい?』
「消す必要はないです。返事はちゃんと届いてほしいので」
難しい注文だとは自分でも思う。
目立たないが、聞こえなければならない。
主役ではないが、いなければ曲の意味が変わる。
ミナは何度か仮歌を聞いたあと、自分のパートを小さく口ずさんだ。
『……聞こえてる』
「今の近いです」
『歌ってないけど?』
「今回はそれでいいんです」
『また被害者の会で報告すること増えたなあ』
「まだ活動してたんですか、あの会」
『こよりちゃんが会長です』
「本人の知らないところで役職まで作らないでください」
冗談を交わしながらも、方向性は固まった。
ミナには誰かを導く声ではなく、隣の部屋から返事をするような距離で歌ってもらう。それだけで、レイの声が独り言ではなくなる。
◇ ◇ ◇
制作開始から3週間ほど経った頃、『残響線』は完成形にかなり近づいていた。
イントロでは低いギターが一定の間隔で鳴り、その後ろへ控えめな電子音とドラムが入る。音数を増やしすぎず、レイの声が中央に残るように組み、サビへ入ったところで初めて空間を広げた。
歌詞も、3年間の出来事を順番に説明する形にはしていない。
誰もいないと思った夜に画面を閉じたこと、少し時間を置いて戻ってみれば以前と同じ言葉が流れてきたこと、何度立ち止まっても今日まで続いていることを、特定の活動者だけに限定しない言葉へ置き換えている。
その中でも、隼人が最後まで残した一節があった。
【声が途切れた夜の向こうで、消えずに残った灯りがあった】
最初の案では、もっと直接的に「待っている人がいた」と書いていた。
しかし、それでは視聴者へ役割を背負わせすぎる。
配信者が休んでいる間、誰かが必ず待っていなければならないわけではない。別の配信を見てもいいし、生活が変わって離れていく人がいてもいい。それでも戻った時に灯りが1つ残っていたなら、それだけで十分だった。
隼人はその考えをレイにも伝えた。
『俺も、その方が好きです』
「視聴者に待ってろって言う曲にはしたくなかったので」
『そうなんですよ。俺が休むなら、見てる側も好きなことしてればいいんですよね。それでたまたま戻った時にまた会えたら、それが一番いい』
「じゃあ、ここはこれで行きましょう」
『お願いします』
答えは早かった。
その日のうちに歌詞を確定させ、最後の本録音へ進むことになった。
◇ ◇ ◇
本番のボーカルデータが届いた時、隼人は最初から最後まで一度も止めずに聞いた。
レイの歌い方は、最初の仮歌から大きく変わっていた。
技術を捨てたわけではない。
必要な音程とリズムは守りながら、感情を大きく見せることだけをやめている。特に1番では普段の話し声に近い低さが残り、サビへ入って初めて少しだけ歌声が広がった。
そして終盤。
伴奏が一度薄くなる。
レイの声だけが残る。
【まだここにいる】
そのあとへ、ミナの声が入った。
【聞こえてる】
わずかに間を空けてから、ギターとドラムが戻る。
「……いいな」
隼人は最初からもう一度再生した。
今度は制作上の粗を探すために聞く。
呼吸音やタイミング、声の重なり、伴奏との音量差を確認し、必要な場所だけ細かく修正していく。それでも歌そのものについては、大きく録り直す必要を感じなかった。
黒瀬レイの曲になっている。
それが一番重要だった。
隼人は完成版を事務所へ送り、返事を待った。
最初に届いたのはミナからだった。
【好きです。私ほとんど歌ってないのに、ちゃんと参加した感じがあります。】
続いてレイからも届く。
【最初に想像してた周年曲と全然違いました。でも、こっちの方が今の俺には合ってると思います。ありがとうございます。】
最後に担当者から正式な確認が入り、音源は完成となった。
隼人は制作ノートへ記録を残した。
【『残響線』】
【Vocal:黒瀬レイ feat. 星乃ミナ】
【作詞・作曲:Lento】
【運命のダイス――未使用。】
【主役を増やすための共演ではなく、主役の声へ返事を届けるための共演。提供曲でも、自分が目立つ必要はない。むしろ目立たない方がいい時がある。】
最後の一文を書いてから、隼人はペンを置いた。
自分は歌っていない。
映像にも出ない。
曲が公開されても、視聴者が見るのはレイとミナだ。
それでいい。
◇ ◇ ◇
黒瀬レイの3周年当日、『残響線』は記念配信の最後に初公開された。
隼人も自室で配信を見ていた。
3周年を振り返る企画が終わり、レイが視聴者へ感謝を伝えたあと、画面が暗くなる。数秒の静けさを挟み、低いギターの音が流れ始めた。
【黒瀬レイ 3rd Anniversary Original Song】
【『残響線』】
【Vocal:黒瀬レイ feat. 星乃ミナ】
【Music / Lyrics:Lento】
コメント欄の速度が一気に上がった。
【Lento!?】
【ミナもいる!】
【この組み合わせ予想してなかった】
【周年曲でこの入り方なの好き】
【派手じゃないのレイっぽい】
曲が進むにつれて、コメントは少しずつ内容へ向けられていった。
活動を休んでいた時期を知る古参の視聴者もいる。
最近レイを知ったばかりの人もいる。
それぞれが同じ3年間を共有しているわけではない。それでも、曲の中に自分が知っている黒瀬レイを見つけた人たちが、次々と言葉を残していた。
そして終盤。
伴奏が薄くなる。
レイの声が残った。
【まだここにいる】
ほんの短い間。
ミナが返す。
【聞こえてる】
コメント欄が一気に流れた。
【ここ好き】
【それだけでいいんだよ】
【泣く予定なかったのに】
【休止前から見てたから刺さる】
【続けろじゃなくて聞こえてるなの好き】
【ミナが前に出ないのめちゃくちゃいい】
隼人はコメントを追いながら、静かに息を吐いた。
狙った場所は、きちんと届いている。
曲が終わると、記念配信へ画面が戻った。
レイは数秒黙っていた。
『……はい。ということで、3周年記念曲『残響線』でした』
いつもの声より少しだけ低い。
『なんか、3周年だからこれからも絶対頑張りますって言うのも違うなと思ってたんですよ。もちろん続けたいとは思ってます。でも、何年やるとか、どこまで行くとか、今ここで約束しても分かんないじゃん』
コメント欄へ、無理しないで、好きなだけ続けて、という言葉が流れていく。
『だから、今言えることだけ言います』
レイが少し笑った。
『今日もまだここにいます。3年間ありがとうございました』
それだけだった。
大きな宣言はない。
4年目の目標も語らない。
それでもコメント欄には、十分すぎるほどの返事が流れていた。
◇ ◇ ◇
公開から24時間後。
隼人は大学から帰宅してから、『残響線』の数字を確認した。
【『残響線』】
【公開24時間 再生回数 1,126,847回】
黒瀬レイのチャンネルで公開された楽曲としては、これまでで最も速い伸びだった。
Lentoの名前を見て聞きに来た人も多いだろう。
ミナの視聴者もいる。
3周年という機会そのものが再生数を押し上げた部分もある。
それでも隼人が気になったのは、数字よりコメントだった。
【1回聞いた時より3回目の方が好き】
【レイの3年間知らないのに自分の仕事のこと思い出した】
【頑張れって言われない曲だから聞ける】
【ミナの「聞こえてる」が短いのに一番残る】
【休んでも戻ってきてもいいって思える】
黒瀬レイだけの曲として作ったはずなのに、別の人生を生きている人間が自分の経験を重ねている。
それは『余白の先へ』や『帰らない季節』でも経験したことだった。
特定の誰かへ深く合わせた曲ほど、かえって別の誰かにも届くことがある。
隼人はノートへ24時間の数字を書き足した。
それから30日後。
【『残響線』】
【公開30日 再生回数 10,027,416回】
1,000万回を越えた。
しかし、その頃には隼人が毎日数字を確認することもなくなっていた。
曲は既に自分の手を離れている。
黒瀬レイの3周年を知る人にとっては記念の曲になり、ミナの視聴者には彼女の新しい歌い方を聞ける曲になり、それ以外の人には別の意味を持つ歌になっている。
隼人は制作ノートの最後へ、一文だけ付け加えた。
【提供曲でも、自分が目立つ必要はない。むしろ目立たない方がいい時がある。】
曲を作った人間が中央に立たなくても、音楽は成立する。
誰かの声を一番よく聞かせるためなら、自分は画面の外にいていい。
それもまた、Lentoとして曲を作り続ける中で見つけた、自分なりの音楽との付き合い方だった。




