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リプレイ・ミュージック ―35歳、もう一度だけ夢を見る―  作者: にゅん


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17/43

誰かのために書く歌

 『リンクライト』を公開してから3週間ほどが経った頃、隼人の大学生活はすっかり日常になっていた。朝の混雑する電車にも慣れ、講義ごとの課題量も分かり始めたことで、高校時代とは違う生活の中にも自分なりの時間配分ができている。


 Lentoの活動についても、大学へ入る前に細かな計画を決めなかったのは正解だったと思っていた。


 講義が少ない日に制作することもあれば、友人と食事をして帰る日もある。図書館で課題を終わらせたあと、そのまま大学周辺を歩いてから帰宅することもあり、空いた時間をすべて音楽へ変えるような生活にはしていない。


 それでも、音楽から離れている感覚はなかった。


 最近の隼人は、作る時間より聞く時間が増えていたからだ。


 特に意識しているのは、歌い手やVTuberだった。


 登録者数や再生回数だけでは判断せず、気になった動画を開いて実際に声を聞く。上手いと思ってもすぐ閉じることがあれば、技術的には荒いのに何曲も続けて聞きたくなる相手もいる。


 その違いが面白かった。


「声って、楽器より個体差大きいよな」


 日曜日の午後、隼人は自室でいくつかの歌動画を聞きながら呟いた。


 同じ曲を歌っていても、声が違えば印象は大きく変わる。


 高音が鮮やかな人。


 低音に存在感がある人。


 少し掠れた声が魅力になる人。


 息が多く混ざることで、近くで囁いているように聞こえる人。


 前世でもボーカルを中心にバンドをしていた以上、そんなことは知識として理解していた。


 ただ、今は以前より深く分かる。


 芸能の加護による補助もあるのだろう。


 声を聞いた時、その人がどの音域で最も自然に魅力を出せるのか、どんなテンポや楽器構成なら声が埋もれないのかを以前より直感的に捉えられる。


 それは「売れる声」が自動的に分かるという単純な能力ではない。


 むしろ、その人が既に持っている魅力を見つけやすくする感覚に近かった。


 隼人は1本の動画を止め、ノートへ短く記録した。


【曲に歌手を合わせるのではなく、声に曲を合わせる。】


 高校時代には、ほとんど考えなかった発想だ。


 今は、それを一度試してみたいと思っている。


     ◇ ◇ ◇


 そんな時、Lentoの活動用メールアドレスへ1通の依頼が届いた。


 差出人は、個人ではなくVTuber事務所だった。


「……事務所からか」


 隼人は講義を終えて帰宅した夜、メールの内容をゆっくり確認した。


 所属VTuberの周年記念に合わせ、オリジナル楽曲を制作してほしいという依頼だった。歌う本人の名前も記載されており、活動ページや参考動画への案内も添えられている。


 活動名は、星乃ミナ。


 登録者は約18万人。


 青と白を基調にした姿で活動している女性VTuberらしく、雑談とゲーム配信を中心にしながら、定期的に歌枠や歌ってみた動画も公開していた。


 依頼文には、Lentoの『リンクライト』を本人と担当者が聞き、その距離感の描き方が活動の周年曲に合うのではないかと考えたことも書かれている。


「18万人か……普通に大きいな」


 数字だけなら、現在のLentoとそれほど離れていない。


 しかし活動形態はまったく違う。


 隼人はすぐ返信せず、まず星乃ミナの活動を調べることにした。


 歌だけではない。


 普段の配信も見る。


 周年曲を書くなら、歌唱力だけ確認しても意味がないと思ったからだ。


     ◇ ◇ ◇


 最初に聞いたのは、比較的新しい歌ってみた動画だった。


 声は明るい。


 高音も無理なく出ている。


 技術的にも十分上手い。


 ただ、隼人が最も気になったのは、派手な高音ではなかった。


「ここだな」


 曲の終盤。


 伴奏が少なくなり、声だけが前へ出る部分。


 それまで明るく歌っていた星乃ミナの声から少し力が抜け、息の混ざった自然な響きになっている。


 そこが一番良かった。


 次に歌配信のアーカイブを見る。


 2時間近い動画を全部見るつもりはなかったが、気づけば1時間ほど聞いていた。


 ミナは歌の合間によく喋る。


 コメントを拾い、冗談を言い、失敗すれば普通に笑う。


 歌手として完成された姿だけを見せるタイプではない。


 視聴者との距離が近かった。


 配信の最後、視聴者が減り始めた頃にミナが小さく言った。


「今日も来てくれてありがとうね。明日仕事の人も学校の人も、ちゃんと寝てください。私も寝ます」


 その声を聞いた瞬間、隼人の中で何かがつながった。


「周年だからって、派手にしなくてもいいか」


 普通なら、周年記念曲には祝祭感を持たせることを考えるかもしれない。


 何年間も活動してきたこと。


 視聴者への感謝。


 これからも一緒に進むこと。


 もちろん、それも間違いではない。


 ただ、隼人が星乃ミナの声から感じた魅力は、もっと静かな場所にあった。


 配信が終わったあと。


 画面が暗くなったあと。


 視聴者も配信者も、それぞれの生活へ戻る時間。


 その距離を歌にしたい。


 隼人は制作ノートを開いた。


【星乃ミナ――周年曲候補。】


【配信が終わったあと。】


【視聴者も配信者も、それぞれの生活へ戻る。】


【また次の日に会えればいい。】


 書き終えたところで、少し笑った。


「これなら書けそうだな」


 ダイスは使わない。


 今回は最初から、そのつもりだった。


 誰かの声を聞き、その人の活動を見たうえで、自分の力だけで曲を書いてみたい。


 〈22〉の『リンクライト』を作ったことで生まれた興味を、今度は本当に試す機会が来た。


     ◇ ◇ ◇


 翌日、隼人は事務所へ返信した。


 依頼に興味があること。


 ただし、正式に受ける前に本人が希望する曲の方向性や、周年企画の内容について確認したいこと。


 さらに、Lento自身は顔や本名、年齢を公表せず活動しているため、打ち合わせについても当面は音声とメールを中心に進めたいことを伝えた。


 数時間後、担当者から返信が届いた。


 条件に問題はないらしい。


 その週末、担当者と星乃ミナ本人を交えた音声通話が設定された。


 隼人にとって、Lentoとして誰かから正式に楽曲制作を依頼される最初の打ち合わせだった。


 土曜日の午後。


 指定された通話へ入る。


『初めまして。星乃ミナです。本当にLentoさんだ……』


「初めまして。Lentoです」


『声、歌と同じだ』


「本人なので」


『そりゃそうですよね』


 開始1分で少し空気が緩んだ。


 担当者が企画の概要を説明したあと、隼人はミナ本人へ尋ねる。


「周年曲って、どんなものを想像してますか?」


『最初は、ありがとうって感じの明るい曲かなって思ってました』


「今は違います?」


『ちょっと迷ってます。記念曲だから盛り上がる方がいいのかなって。でも私、普段そんなに格好いいこと言わないので』


 隼人は少し笑った。


「配信見ました」


『えっ』


「歌だけじゃ分からないので、普通の配信もいくつか」


『どれ見ました?』


「この前の歌枠と、ゲーム配信を少し」


『変なこと言ってませんでした?』


「結構言ってました」


『最悪だ』


 担当者の笑い声も聞こえる。


 隼人は少し間を置いてから、本題へ戻った。


「俺は、配信が終わったあとの曲にしたいと思ってます」


『終わったあと?』


「はい。周年そのものを祝うというより、配信が終わって画面を閉じたあと、視聴者もミナさんも普通の生活へ戻るじゃないですか」


『戻りますね』


「毎日ずっと一緒にいるわけじゃない。でも、また次の配信で会える。そのくらいの距離の曲が合う気がしました」


 通話の向こうが少し静かになる。


 やがてミナが答えた。


『……それ、好きです』


 声の調子が先ほどまでより落ち着いていた。


『私、配信の最後に「また明日」ってよく言うんですよ。毎日配信してるわけじゃないのに』


「いいですね」


『次の日配信ないのに、また明日って言って終わることもあります』


「じゃあ、それ使えそうですね」


『本当に?』


「そのまま歌詞へ入れるかは作ってみないと分からないですけど、曲の中心にはできると思います」


 その時点で、隼人の中には既に小さな旋律が生まれ始めていた。


     ◇ ◇ ◇


 正式に依頼を受けてから、隼人は星乃ミナのための曲を作り始めた。


 タイトルは比較的早く決まった。


【『また明日』】


 そのままだ。


 けれど、この曲にはそれ以上に適した言葉が思いつかなかった。


 構成はピアノを中心にする。


 ただし『余白の先へ』ほど静かにはしない。


 ミナの明るい声が自然に乗る程度の軽さを残しながら、終盤だけ少し楽器を減らし、配信の最後に聞いた力の抜けた声が生きる場所を作る。


 隼人は自分で歌うための仮歌を入れたあと、すぐ違和感に気づいた。


「俺が歌うと違うな」


 曲が悪いわけではない。


 ただ、自分の声を基準にすると低い。


 ミナが自然に歌える音域へ合わせて作った結果、隼人が歌えば妙に落ち着きすぎて聞こえる。


 それが面白かった。


 今まで作った曲は、すべて最終的に自分が歌うことを前提にしていた。


 今回は違う。


 自分が気持ちよく歌えるかどうかは重要ではない。


 星乃ミナが歌った時に成立すればいい。


 仮歌も完成品ではなく、旋律とニュアンスを伝えるための資料に過ぎなかった。


「こういう感覚か」


 隼人は少し嬉しくなる。


 誰かのために曲を書く。


 言葉では簡単だが、実際にやってみると考えることが大きく違う。


 自分なら使わない音域も使える。


 自分の声では似合わない言葉も選べる。


 逆に、自分なら簡単に歌える場所でも、相手の声に合わなければ変更する必要がある。


 制約が増えた。


 なのに、自由も増えている。


     ◇ ◇ ◇


 制作開始から2週間ほど経った頃、最初のデモが完成した。


 隼人は事務所へ送り、本人にも確認してもらう。


 翌日の夜、再び短い打ち合わせが行われた。


『……私の曲だ』


 デモを聞いたミナが、最初に言ったのはそれだった。


「そうなるように作ったので」


『いや、そうなんですけど。なんか、本当に私が普段言ってることが曲になってる』


「活動見て作りましたからね」


『怖いくらい見られてる』


「仕事なので」


『Lentoさん、思ったより真面目だ』


「どういう人だと思ってたんですか」


『もっと無口な人かと思ってました。曲が静かだから』


「普通に喋りますよ」


 ミナが笑う。


 そのあと、歌詞について細かな確認を進めた。


 隼人が特に大切にしたのは、視聴者を人生の中心に置きすぎないことだった。


 配信者が視聴者のすべてではない。


 視聴者も配信者のすべてではない。


 それぞれに生活がある。


 仕事や学校へ行き、家族や友人と過ごし、配信を見ない日だってある。


 それでも、たまに同じ画面の前へ集まる。


 そのくらいがいい。


「ずっと一緒、みたいな歌詞にはしたくないんです」


『分かります。私もそれはちょっと違うかも』


「配信見ない日があってもいいし、いつか見なくなる人もいる。それでも、その時一緒に楽しかったことまでなくなるわけじゃないので」


『……それ、入れたいです』


「直接そう書くと重くなるので、もう少し柔らかくします」


『お願いします』


 その考え方は、隼人自身の経験から来ていた。


 前世のバンド仲間とも、ずっと同じ道を歩けなかった。


 だからといって、一緒に音楽をしていた時間が嘘になるわけではない。


 離れることを失敗にしない。


 今一緒にいることを永遠の約束にも変えない。


 その距離感は、配信者と視聴者にも使えると思った。


     ◇ ◇ ◇


 録音は事務所側の設備で行われた。


 隼人は現地へ行かず、録音担当者とオンラインでやり取りしながらデータを受け取る形を選んだ。


 最初のテイクが届いた夜、隼人はヘッドホンを着けて最初から最後まで聞いた。


「上手いな」


 想定していた通りの声だった。


 明るい部分は素直に明るい。


 しかし終盤で伴奏が減ると、少し息の混ざった柔らかい声が前へ出る。


 そこが、この曲の中心だった。


 ただし1か所だけ気になる。


 最後の「また明日」に、少し力が入りすぎていた。


 隼人は録音担当者を通じて、修正の希望を伝える。


【最後の「また明日」は、視聴者全員へ届ける感じではなく、配信を切る直前にいつも言っているくらいの温度でお願いします。綺麗に歌い切らなくても大丈夫です。】


 翌日、修正版が届いた。


 最後の声が少し小さくなっている。


 息も残っている。


 隼人は聞き終えて頷いた。


「これだな」


 上手く歌うことより、その人らしく歌う。


 『余白の先へ』で自分自身に求めたことを、今度は別の歌手へ求めていた。


     ◇ ◇ ◇


 『また明日』は、星乃ミナの周年記念日に公開された。


 Lentoのチャンネルではない。


 星乃ミナ本人のチャンネルから公開され、タイトルには作詞作曲者としてLentoの名前が記載された。


 隼人はその日も普通に大学へ行っていた。


 講義を受け、昼食を食べ、夕方に帰宅する。


 公開は20時。


 夕食後、自室から動画を開いた。


【星乃ミナ Original Song『また明日』】


【作詞・作曲 Lento】


 自分の名前がある。


 しかし、歌っているのは自分ではない。


 その光景は、思っていた以上に新鮮だった。


 20時になる。


 動画が公開される。


 最初のピアノが流れ、ミナの声が入った。


 隼人は制作データとして何度も聞いている。


 それでも、完成した動画として本人のチャンネルから流れると別の曲のように感じられた。


 コメント欄が動く。


【ミナちゃん周年おめでとう!】


【この歌詞めちゃくちゃミナっぽい。】


【最後の「また明日」がいつもの配信と同じで泣いた。】


【Lento!? リンクライトの人じゃん。】


【派手な周年曲じゃないの逆に好き。配信終わったあとまで曲にしてるのいいな。】


 隼人は、自分の曲を公開した時とは違う感覚でコメントを読んでいた。


 自分が褒められることより、ミナの曲として受け入れられていることの方が嬉しい。


 それは少し意外だった。


 作ったのは自分だ。


 歌詞も曲も、自分が考えた。


 しかし完成した瞬間から、『また明日』は星乃ミナの曲になっている。


「……これ、いいな」


 自分のものではなくなる感覚。


 それが嫌ではなかった。


     ◇ ◇ ◇


 公開から24時間。


 事務所から共有された数字を、隼人は翌日の夜に確認した。


【星乃ミナ Original Song『また明日』】


【公開24時間】


【再生回数 312,684回】


 星乃ミナの登録者規模を考えても、かなり良い初動らしい。


 それ以上に、通常の配信へ曲の話題を持ち込む視聴者が増えているという。


 ミナ本人からもメッセージが届いた。


【昨日の配信、最後にみんなが「また明日」ってコメントしてくれました。】


 隼人は少し笑った。


【曲がちゃんとミナさんのところに帰ったならよかったです。】


【最初から私の曲です!】


【作ってる時は俺のパソコンにあったので。】


【そういう意味じゃないです!】


 すぐに返信が来る。


 隼人は笑いながらスマートフォンを置いた。


 誰かのために書いた最初の曲。


 運命のダイスは使っていない。


 Lento自身も歌っていない。


 それでも、これまでとは違う種類の手応えがあった。


     ◇ ◇ ◇


 その後、『また明日』は星乃ミナの視聴者を中心にゆっくり広がっていった。


 Lentoの曲ほど大きな数字にはならないかもしれない。


 それでも、隼人は気にならなかった。


 この曲の目的は、Lentoの再生記録を更新することではない。


 星乃ミナという活動者の周年に、その人らしい1曲を残すことだった。


 それができたなら十分だ。


 ただし、1つだけ大きな変化が起きた。


 Lentoの活動用メールへ、楽曲提供の問い合わせが急に増えたのだ。


 VTuber事務所。


 個人の歌い手。


 小規模なゲーム制作会社。


 動画投稿者。


 内容も規模もばらばらだった。


「……これは全部受けるの無理だな」


 数日分のメールを確認しただけで分かる。


 大学生活を続けながら、来た依頼をすべて受ければ確実に生活が音楽だけになる。


 しかも、今の隼人は誰かへ曲を書くこと自体を面白いと感じ始めている。


 だからこそ危険だった。


 楽しい仕事なら、断る理由を見失いやすい。


 前世で音楽へすべてを注ぎ込んだ時も、誰かに強制されたわけではない。


 自分がやりたくてやった。


 だから止まれなかった。


「ここで全部受けたら同じだな」


 隼人は依頼メールを整理し、受ける基準を決めた。


 大学生活を崩さない。


 自分が曲を書きたいと思える相手だけにする。


 金額だけで選ばない。


 依頼されたからといって、必ず受ける必要はない。


 そして何より、Lento自身の曲を作る時間まで全部売らない。


 制作ノートへ、その考えをまとめて書き残した。


【提供曲は数を増やさない。】


【声や活動を見て、自分が書きたいと思えた相手だけ。】


【大学生活を削ってまで受けない。】


 そこまで書いてから、隼人はペンを止めた。


 依頼を受けるだけが、誰かへ曲を書く方法ではない。


 自分から声を掛けてもいい。


 むしろ最近聞いている歌い手の中には、依頼されていないのに「この声ならこんな曲が合う」と考えてしまう相手が何人かいた。


 登録者数は関係ない。


 数万人いる人もいれば、数千人しかいない人もいる。


 隼人はパソコンを開き、最近保存していた動画の一覧を眺めた。


 その中に、登録者数がまだ7万人にも届いていない、顔を出さずに活動している歌い手がいる。


 活動名はNagi。


 低音から中音域にかけて少し掠れた声を持ち、息の抜け方に独特の癖がある。技術的に完璧ではない部分もあるが、その不完全さを消してしまえば魅力まで薄くなりそうな声だった。


 隼人は以前から何本か動画を聞いていた。


 そして聞くたびに、同じことを考えている。


「この人、雨の曲が合いそうなんだよな」


 依頼は来ていない。


 知り合いでもない。


 相手からすれば、突然Lentoを名乗る人間から連絡が来ることになる。


 少し怪しい。


 それでも、一度やってみたいと思った。


 売れている人から仕事を受けるだけではなく、自分が面白いと思った声へ、自分から曲を持っていく。


 その方が、今の隼人には楽しそうだった。


 ただし、その日はまだ連絡しなかった。


 先に声をもっと聞く。


 相手がどんな活動をしているのかも調べる。


 星乃ミナの時と同じように、数字ではなく本人を見てから決めたい。


 隼人はNagiの少し古い歌動画を再生した。


 派手な高音はない。


 完璧に整った声でもない。


 それでも、少し掠れた低い歌声がイヤホンの奥へ残る。


 画面に表示されている再生回数は、Lentoの曲と比べればずっと小さい。けれど隼人にとって、その数字は曲を書きたいかどうかを決める理由にはならなかった。


 誰かのために曲を書く面白さを知ったばかりだからこそ、次は依頼されるのを待つのではなく、自分で声を選んでみたい。


 隼人は動画を最後まで聞き終えてから、Nagiの名前を制作ノートへ書き留めた。


 その横には、まだ曲名ではない短い言葉を添える。


【雨が上がったあとに残る匂い。】


 そこからどんな曲が生まれるのかは、まだ分からない。


 ただ、Lentoの音楽が自分の歌だけではなく、少しずつ誰かの声へ向かい始めていることを、隼人自身が一番楽しんでいた。

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