第二十一話 少年は、自分の足で立ち始める
少年は、
もう子どもではなかった。
だが、
まだ大人でもなかった。
選択肢だけが、
先に大人の形をして差し出される。
その重さを測る秤を、
尚造は、すでに持ってしまっていた。
教室・午後
教室には、
午後の光が斜めに差し込んでいた。
授業が終わり、
生徒たちが帰り支度をする中――
担任教師が、尚造を呼び止める。
「仲村。少し、いいか」
尚造は、静かに頷いた。
教師は机の引き出しから、
一通の書類を取り出す。
「……君、東京に親戚がいるだろ?」
「はい。叔父が、東京におります」
教師は頷く。
「なら話は早い」
一拍。
「君には――
“陸軍幼年学校”への推薦が出せる」
静かな教室に、その言葉だけが残る。
「東京だ。才能のある者にとっては、
珍しい進路ではない」
淡々と続ける。
「地図、計算、文章。
君の成績は、この学校に収まるものじゃない」
尚造は、机の木目を見つめる。
「……ありがとうございます」
声は、落ち着いていた。
教師は、その反応を見逃さない。
「どうした。嬉しくないのか?」
尚造は、少し考え――顔を上げる。
「嬉しいです」
一拍。
「ですが――行けません」
教師の眉が、わずかに動く。
「理由は?」
「家業があります」
「紅型工房です」
静かに、だが迷いなく続ける。
「父と母が守ってきた仕事です。
僕は、その続きを学びたい」
沈黙。
やがて教師は、書類をゆっくり畳む。
「……そうか」
それ以上は、何も言わない。
「君は、自分で選べる年齢だ」
その一言だけが、残る。
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工房・夕方
家に戻ると、
工房はいつも通りの匂いだった。
染料。布。木型。
尚造は、袖をまくる。
「父さん」
隆造が手を止める。
「僕、工房で働くよ」
「……急だな」
「旅に出たいんだ」
隆造の目が、わずかに細くなる。
「離島も、本島も」
「布のために、ちゃんと見ておきたい」
少しの沈黙。
やがて隆造は、軽く笑う。
「なら、稼がなきゃな」
「はい」
その日から――
尚造の時間は変わった。
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工房・夜
灯りの下。
帳面。染料。静かな音。
尚造は、数字を書き込む手を止める。
――東京には行かなかった。
――だが、世界から目を逸らしたわけじゃない。
その時。
「……尚造」
低い声。
振り返る。
入口に立っていたのは――
「……秀伍さん」
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秀伍は、少し痩せていた。
だが、目だけが変わっていない。
「帰ってきた」
短い言葉。
尚造は、少し迷ってから聞く。
「戦は……どうでしたか」
沈黙。
秀伍は、すぐには答えない。
やがて、ぽつりと。
「海はな」
「静かだった」
意外な言葉。
だが――
「陸は違う」
空気が変わる。
「穴を掘る」
「進む」
「また掘る」
「それでも、前に出る」
淡々と。
「人が――減る」
それだけ。
尚造は、言葉を失う。
秀伍は続ける。
「命令は、正しい」
一拍。
「だが」
「正しいまま、人は死ぬ」
沈黙。
風の音だけが、わずかに響く。
「……お前」
秀伍は、尚造を見る。
「どこへ行くつもりだ」
尚造は、答えない。
答えられない。
秀伍は、少しだけ目を細める。
「選べ」
短く。
「だが――」
一拍。
「知らずに選ぶな」
その言葉だけを残し、背を向ける。
歩き出す。
「俺は――」
言葉が、一瞬だけ途切れる。
「見てきた」
去っていく。
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工房・夜(余韻)
尚造は、その場に立ち尽くす。
帳面の上の数字が、ぼやける。
――選ぶ。
――知らずに選ぶな。
静かな工房。
染料の匂い。
遠くで、波の音。
尚造は、ゆっくりと息を吐く。
「……僕は」
まだ、答えは出ない。
だが――
目は、逸らしていなかった。
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布の上で、世界を学ぶ。
自分の足で、距離を測る。
だがその先に、
どんな現実が待つのか――
この時の尚造は、
まだ知らなかった。
“知った上で選ぶ”ということの重さを。
⸻
(つづく)




