第三話 干しアワビ王子、紅型を献上して天然炸裂
明治東京の社交界デビューを果たした
干しアワビ王子・尚典。
次は、隆造作の紅型を
伊藤博文に献上する重要任務が待つ。
しかし、王府時代の威厳と
天然お上りさんの二重生活は、
ここでもギャップを炸裂させる。
手紙報告は姉・尚綾と隆造に
大爆笑をもたらすこと必至である。
「尚典殿」
「紅型はあちらです」
従者が静かに箱を運ぶ。
尚典はそれを受け取り、
ゆっくりと蓋を開けた。
深緋色の布が、
やわらかな光を受けて現れる。
一瞬――
その場の空気が、わずかに変わった。
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これは、ただの布ではない。
王府の記憶であり、
隆造の思想であり、
そして――未来へ渡されるもの。
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「ええと……」
尚典の声が、少しだけ揺れる。
「これを……伊藤殿に……?」
頭の中で、
王府式の作法と、
明治式の作法が、
激しく衝突していた。
(渡すのか……?)
(差し出すのか……?)
(置くのか……?)
(そもそもこれはどの文化圏の動きだ……?)
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伊藤は微笑む。
「尚典殿」
「まずは丁寧に、しかし肩の力を抜いて」
やさしい。
だが抽象的である。
尚典は深く礼をし、
紅型を差し出す。
――が。
手が、震えている。
「……っ」
ほんのわずかに布が揺れる。
王子、緊張のあまり
文化ではなく物理と戦い始める。
「あっ……これは……」
「失礼には……なりませんよね?」
論点はやはりそこだった。
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一歩後ろで、
従者が静かにペンを走らせる。
『紅型献上、実行』
『王子、現在パニック状態』
『作法不明のため、全行動が暫定』
一拍。
『総評:精神的には全力、動作は不確定』
『記録価値:非常に高い』
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伊藤は、差し出された紅型を受け取る。
視線は、布へ。
その一瞬で、
価値を理解した。
「……よろしい」
静かに言う。
「完璧とは言えませんが」
「その真剣さが、何より大事です」
尚典は、はっと息を吐いた。
「……そうか」
助かった。
いや、何が助かったのかは分からないが、
とにかく助かった気がした。
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遠く離れた場所で、
この一件が笑い話になることを、
彼はまだ知らない。
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だが確かに――
この瞬間、
紅型は「守るもの」から
「渡されるもの」へと変わった。
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そして同時に、
干しアワビ王子の天然もまた、
一段階進化した。
静かに。
――いや、確実に。
炸裂し始めている。
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(つづく)




