第三話 1990年|彩花とイワンのその後
『Bingata Legacy』本編では、
仲村家の五世代を描いてきました。
しかし――。
すべての家族の物語が、
本編で描かれたわけではありません。
今回はその中から、
彩花と健一、そして二人の子どもたちの
「その後」を少しだけ。
舞台は1990年代のヨーロッパ。
紅型を広めるため
ベルリンへ渡った彩花の娘が、
一人の青年と恋に落ちます。
ここまでは、普通の国際恋愛です。
……ただし。
この物語は『Bingata Legacy』です。
普通の国際恋愛で終わるはずがありません(笑)
1989年。
ベルリン。
街には、
長い間東西を隔てていた壁があった。
その壁の前を、
一人の日本人女性が歩いていた。
彩花と健一の娘――
紅型を海外に広めるため、
ヨーロッパで活動していた。
大きな荷物。
その中には、紅型の作品が入っている。
娘
「……すごい街」
「ここでも紅型を知ってもらえるかな」
その時だった。
向こうから、一人の青年が歩いてきた。
青年は、彼女が持っていた布に目を留める。
青年
「それは……日本のもの?」
娘
「紅型っていう沖縄の染物」
青年
「沖縄……」
興味深そうに布を見る。
青年
「きれいだね」
娘
「ありがとう」
二人は少し話した。
文化。
歴史。
家族。
そして――
それぞれが歩いてきた人生。
やがて二人は、何度も会うようになった。
⸻
数か月後。
娘が工房に戻ってきた。
健一
「おかえり」
彩花
「おかえりなさい」
娘
「ただいま」
健一
「ベルリンはどうだった?」
娘
「楽しかった」
彩花
「紅型は?」
娘
「少しずつ広がってる」
健一
「それはよかった」
少し間。
娘
「……あと」
健一
「ん?」
娘
「好きな人ができた」
健一
「……」
彩花
「まあ!」
健一
「どこの人?」
娘
「ベルリン」
健一
「ドイツか」
娘
「うん」
健一
「いいじゃないか」
娘
「……東側」
健一
「…………」
彩花
「…………」
健一
「東側?」
娘
「うん」
健一
「……」
彩花
「……健一?」
健一
「いや」
「ちょっと待ってくれ」
⸻
その日の夜。
健一は彩花に小声で話す。
健一
「……東側って」
彩花
「ええ」
健一
「大丈夫なのか?」
彩花
「好きになったものは仕方ないでしょう」
健一
「それはそうだけど……」
彩花
「健一」
健一
「ん?」
彩花
「私とおとうだって」
「昔は周りから色々言われたじゃない」
健一
「……」
彩花
「紅型も、人も」
「国境だけで決めるものじゃないわよ」
健一
「……そうだな」
⸻
1989年11月9日。
ベルリン。
街が騒がしくなっていた。
人々が壁へ向かっている。
青年も、その中にいた。
娘
「何が起きてるの?」
青年
「……壁が」
「開くかもしれない」
二人は人波の中で手を握る。
そして、壁が開かれる。
歓声。
涙。
抱き合う人々。
青年
「……本当に開いた」
娘
「うん」
青年
「これで……」
少し笑う。
「君に会いに行ける」
娘
「……うん」
⸻
1990年。仲村家。
そして――
ついに両家顔合わせの日。
健一。
彩花。
そして娘。
向かい側には、青年とその父親。
健一が青年の父親を見る。
健一
「あれ?」
「あなた……」
青年の父親
「?」
健一
「昔、祝電をくれた……」
彩花の顔色が変わる。
彩花
「…………」
青年の父親
「ああ」
健一
「そうだ!」
「イワンさん!」
イワン
「久しぶりです」
健一
「やっぱり!」
彩花
「…………」
健一
「彩花、どうした?」
彩花は固まっている。
彩花
「……KGB」
イワン
「!」
青年
「父さん?」
彩花
「KGB」
健一
「おい」
彩花
「KGBよ」
健一
「落ち着け」
イワン
「昔の話ですよ」
彩花
「そういう問題じゃないでしょう!」
⸻
青年が頭を下げる。
青年
「僕は彼女と結婚したい」
健一
「……」
彩花
「……」
青年
「国も違います」
「育った環境も違います」
「でも」
娘の手を握る。
「これから一緒に生きていきたい」
沈黙。
健一が彩花を見る。
彩花も健一を見る。
健一
「……彩花」
彩花
「何?」
健一
「俺たちが反対する理由、あるか?」
彩花
「……ないわね」
健一
「じゃあ」
青年を見る。
健一
「よろしく頼む」
青年
「ありがとうございます」
彩花
「ただし」
青年
「はい」
彩花
「紅型は大切にしてね」
青年
「もちろんです」
彩花
「なら、いいわ」
⸻
その瞬間。
背後から声。
「……東側の人間と結婚するのか」
全員
「?」
振り返る。
そこには――
バックナーの幽霊。
健一
「…………」
彩花
「…………」
イワン
「…………」
青年
「…………?」
娘
「……誰?」
バックナー
「俺か?」
健一
「いや……」
「なんでここにいるんですか?」
バックナー
「面白そうだったから」
健一
「幽霊ですよね?」
バックナー
「そうだ」
彩花
「……」
バックナー
「それに」
二人を見る。
「壁がなくなったのなら、祝うべきだろう」
静かに笑う。
「俺の時代には、そんな日は来なかった」
一瞬だけ、空気が変わる。
青年が頭を下げる。
青年
「ありがとうございます」
バックナー
「……幸せになれ」
⸻
ところが。
イワンが青年を見る。
イワン
「そういえば」
青年
「何?」
イワン
「君たちは、どこで知り合った?」
青年
「紅型の展示会」
イワン
「紅型?」
彩花
「そうよ」
イワン
「……なるほど」
健一
「何だ?」
イワン
「私たちも紅型がきっかけでしたね」
健一
「ああ」
彩花
「そうだったわね」
バックナー
「……」
バックナーが遠い目をする。
バックナー
「また紅型か」
健一
「?」
バックナー
「いや」
「仲村家の紅型は」
「国境を越えるのが好きらしい」
⸻
その後。
二人は結婚。
やがて、健太と彩乃が生まれる。
工房では、二人の祖父母が孫を可愛がる。
一方、両親はヨーロッパ各地で紅型を広めていく。
健一
「……あの二人」
「本当にヨーロッパに行っちゃったな」
彩花
「いいじゃない」
健一
「孫を置いて?」
彩花
「私たちも似たようなことをしてきたでしょう?」
健一
「……そうだった」
彩花
「紅型は、人を旅に出すものなのよ」
⸻
そして――
縁側。
バックナーが二人を眺めている。
バックナー
「……不思議な家族だ」
健一
「何がです?」
バックナー
「王国」
「戦争」
「冷戦」
「そして国境を越えた結婚」
健一
「全部、紅型が絡んでますね」
バックナー
「そうだな」
彩花
「だから面白いんでしょう?」
バックナー
「……違いない」
⸻
2025年。
仲村工房。
健太が古い家系図を眺めていた。
健太
「……俺たちの両親、国際結婚だよな?」
彩乃
「そうね」
「東のロミオと西のジュリエット」
継
「?」
健太
「母方の曽祖父が米軍で」
彩乃
「父方の祖父がKGB」
継
「……待て」
「それ」
「恋愛ドラマじゃなくて冷戦の両陣営じゃん」
健太
「しかも二人の出会いが紅型」
彩乃
「仲村家」
「外交サロンどころか国際情勢そのものよ」
継
「……うちの紅型、何を繋いでるんだよ」
健太
「国境」
彩乃
「家族」
継
「あと米軍とKGB」
全員、爆笑。
⸻
(つづく)




