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Bingata Legacy 〜沖縄戦×米軍基地配置×禁忌の紅型〜  作者: ちま
第五部 バックナー編 ― 平和へ結ぶ縁 ―
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第六十三話 おとうと呼ばれた日

「おとう」


その言葉を、

いつからそう呼ぶようになったのか。


戦争で家族を失った少女と、

彼女を拾った、かつての敵将。


二人の間にあったのは、

戦争でも、国境でもなかった。


長い年月をかけて、

いつの間にか生まれていた――

親子という関係。


今日は、その娘の結婚式。


そしてこの日は、

一人の「父親」にとっても、

忘れられない一日になった。

海は、穏やかだった。


青い空。

白い雲。


そして。

沖縄の海から吹いてくる、

柔らかな風。


その日――

仲村家には、

いつもとは少し違う時間が流れていた。


彩花の結婚式。


かつて戦争で家族を失った少女が、

今日、新しい家族をつくる。


その式を前にして、

会場の外では二人の男が話していた。


ジャックと小林である。


「……ジョンさんは?」


小林が尋ねる。


ジャックは、少しだけ目を伏せた。


「来られない」


「やっぱりか」


「息子さんの手術があったからな」


小林は黙って頷いた。


ジョンの息子――

ジョン・スティーブンス2世。


ベトナム戦争で負傷し、沖縄へ搬送された。


幸い、手術は成功した。


だが、父親であるジョンは、

その看病のために

今日の式へ来ることができなかった。


「……無事だったんだな」


「ああ」


ジャックは小さく息を吐く。


「それなら、よかった」


二人の間に、短い沈黙が流れる。


やがて小林が笑った。


「ただな」


「ん?」


「祝電が届いている」


ジャックが顔を上げる。


「祝電?」


「本人は来られないからな」


「……ジョンさんらしい」


ジャックは、少しだけ笑った。


二人は、会場の中へ視線を向ける。


そこには――


今日、花嫁になる彩花がいた。


「……行こうか」


「ああ」


二人は、ゆっくりと歩き出した。


⸻


やがて、式が始まった。


音楽が流れる。

ざわめきが静かになる。


白い光の中を――

彩花が歩いてくる。


その身を包むのは、あの打掛。


挿絵(By みてみん)


花が咲き、

海が流れ、

幾つもの時代が重なっている。


琉球の記憶。

家族の記憶。


そして――

これから始まる未来。


そのすべてを、一枚の布が包み込んでいた。


待っているのは、健一。

少し緊張した顔。


それでも、まっすぐに彩花を見つめている。


彩花が、その前に立つ。

二人の視線が重なる。


挿絵(By みてみん)


それだけで――

十分だった。


⸻


司会が微笑む。


「それでは、ここで祝電をご紹介いたします」


会場が少しだけざわめいた。


司会が一枚目の紙を開く。


「まずは――」


「沖縄県知事、屋良朝苗様より」


「……」


会場が止まった。


美咲も目を丸くした。


「屋良先生?」


小林が、ゆっくり顔を上げる。


「……なんで知事から?」


隆司は、隣で腕を組む。


「さあな」


文は、何でもないことのように笑った。


「美咲と彩花ちゃん、昔の教え子ですから」


そして祝電が読み上げられる。


|彩花さん。

|ご結婚、誠におめでとうございます。

|

|私がまだ教師だった頃から、

|あなたの成長を見てきました。

|

|今日、こうして人生の新しい道を歩まれることを、

|心より嬉しく思います。

|

|これからも、お二人で支え合い、

|笑顔の多い家庭を築いてください。

|

|沖縄県知事として、

|そして一人の沖縄県民として、

|心からお祝い申し上げます。


読み終わる。


拍手。


彩花が小さく頭を下げる。


「……ありがとうございます」


小林が小声で呟いた。


「……外交サロン仲村家」


「知事まで来たよ」


隆司が答える。


「今さらだろ」


⸻


司会が、次の紙を開いた。


「続きまして――」


「元USCAR高等弁務官」


「ジェームズ・B・ランパート様より」


小林が、また顔を上げる。


「……高等弁務官」


ジャックが笑う。


「バックナーさんの元部下だな」


「いや、肩書きが強すぎるだろ」


読み上げられる。


|彩花さん、健一さん。

|この度は、誠におめでとうございます。

|

|長年、沖縄に関わってきた者として、

|今日という日を迎えられたことを、

|心より嬉しく思います。

|

|どうかお二人で、

|これからの人生を歩んでください。

|

|そして――

|バックナーさん。

|

|娘さんのご結婚、

|本当におめでとうございます。


バックナーが、少しだけ目を伏せる。


「……あいつ」


文が笑った。


「嬉しいんでしょうね」


「ああ」


バックナーは、それだけ答えた。


⸻


司会が、もう一枚の紙を手に取る。


「続きまして――」


「イワン・ペトロフ様より」


「…………」


会場が静まる。


小林が眉をひそめた。


「……誰?」


隆司が答える。


「ソ連」


「分かるか!」


美咲が笑いをこらえる。


「イワンさん、来られなかったんですね」


隆司が小さくため息をつく。


「観光客だからな」


「今回は出張じゃないの?」


「知らん」


祝電が読み上げられる。


|アヤカ、ケンイチ。

|オメデトウ。

|

|沖縄ノ海、平和。

|家族モ、平和。

|

|二人、仲良ク。

|

|――イワン。


読み終わる。


会場から、小さな笑いが起こった。


バックナーは額に手を当てた。


「……あいつは最後まであいつだな」


文が笑う。


「いいじゃないですか」


「……まあな」


挿絵(By みてみん)


⸻


そして――


式は、静かに進んでいった。


誓いの言葉。

指輪の交換。

拍手。


すべてが穏やかに流れていく。


やがて司会が言った。


「続きまして――」


「新婦、彩花さんから、お父様への手紙です」


バックナーの表情が変わった。


「……俺に?」


彩花が立ち上がる。


手には、一枚の手紙。


少し震えていた。


⸻


「おとうへ」


その一言だけで――


バックナーの胸が詰まった。


彩花は、ゆっくりと読み始める。


「今日まで、育ててくれてありがとう」


バックナーは、黙って彩花を見る。


「私は、あの日――」


「全てを失いました」


会場が静かになる。


「家も」


「家族も」


「何もかもなくなりました」


バックナーは、目を閉じる。


脳裏に浮かぶ。


戦争。

焼けた土地。

泣いている少女。


そして――

あの日の彩花。


「ボロボロだった私を拾ってくれたのは――」


「敵将でした」


バックナーの手が、わずかに震えた。


「私は、最初は怖かったです」


「でも――」


「ご飯を食べさせてくれました」


「怒ってくれました」


「笑ってくれました」


「家をくれました」


「そして――」


「私のことを、家族として育ててくれました」


彩花が、一度だけ涙を拭う。


「気がついたら」


「私はあなたを『おとう』と呼んでいました」


バックナーの目から――

一筋の涙が落ちた。


美咲が息を呑む。

文も、静かに微笑んでいる。


彩花は続けた。


「サイモン・ボリバー・バックナー・ジュニア」


「あなたは私の――」


少しだけ、声が震える。


「たった一人の父です」


挿絵(By みてみん)


バックナーは、俯いた。


もう、涙を隠すことはできなかった。


⸻


――おとう。


その言葉を、何度聞いただろう。


だが。

あの時、自分が父親になるとは、思わなかった。


戦争で、死にかけた。

多くのものを失った。

自分が守れなかったものもある。


だから――

あの日。

あの少女を見つけたとき。


ただ、生きろ。

そう思って、抱きしめた。

それだけだった。


最初は、

「飯を食え」だった。


次は、

「風邪を引くな」だった。


そしていつの間にか――


「早く寝ろ」


「宿題はやったのか」


「畑を手伝え」


そんなことばかり言うようになった。


気がつけば。


少女は大きくなっていた。

笑うようになった。

怒るようになった。


そして――


自分を、

「おとう」と呼ぶようになった。


俺は。

いつから父親になったのだろう。

分からない。


ただ――

この子が笑っていると、

それだけで嬉しかった。


それだけは、

ずっと変わらなかった。


⸻


彩花の手紙が続く。


「今日から、私は新しい家族を作ります」


「これからは、健一さんと一緒に」


「新しい人生を歩んでいきます」


「でも――」


彩花は、バックナーを見る。


「これからもずっと」


「私のおとうは、おとうです」


「今までありがとう」


「そして――」


「これからも、よろしくお願いします」


読み終わった。

静寂。


そして――

拍手が起こった。


一人。

また一人。


やがて会場全体から、大きな拍手が響いた。


バックナーは、ゆっくり立ち上がった。

彩花のところまで歩く。


そして――


何も言わずに、娘を抱きしめた。


「……おとう」


「……ああ」


挿絵(By みてみん)


それだけだった。


けれど。


それで十分だった。


⸻


バックナーは、彩花の肩越しに海を見る。


青い海。

穏やかな風。


遠い昔――

自分は、この島を戦場として見ていた。


だが今。

目の前にいるのは、

自分の娘だった。


そして――

その娘が、新しい人生を歩き始めようとしている。


バックナーは、涙を拭った。


「……この日を迎えられるとは」


少しだけ、声が震えた。


「思っていなかった」


隣で、隆司が静かに頷く。


「……ああ」


二人とも、それ以上は言わなかった。


戦争を知る者同士。

失ったものを知る者同士。


その沈黙だけで、十分だった。


⸻


式が終わる。


参列者たちが、少しずつ会場の外へ出ていく。


そのとき――


「遅くなった!」


聞き慣れた声が響いた。


全員が振り返る。


「……ジョン!?」


そこには、息を切らしたジョンが立っていた。


ジャックが驚く。


「ジョンさん、来たんですか!」


「息子がな」


ジョンは笑った。


「『式に行ってこい』ってさ」


「……息子さんに送り出されたのか」


「そういうことだ」


ジョンは肩をすくめる。


「父親として、行かないわけにはいかんだろ」


彩花が駆け寄る。


「ジョンさん!」


「おめでとう、彩花」


「ありがとうございます!」


ジョンは嬉しそうに笑った。


そして――

カメラを取り出す。


「ほら。全員並べ」


小林が苦笑する。


「今からか?」


「今からだ」


ジャックが笑う。


「ジョンさん、相変わらず写真好きですね〜」


全員が並ぶ。


彩花と健一。

その後ろにバックナー。

バックナーの妻と息子夫婦。

健一の家族。


文。

美咲。

隆司。


ジャック。

小林。

離島の友人たち。


そして、少し遅れてやってきたジョン。


ジョンがカメラを構える。


「いくぞー!」


「はい!」


「チーズ!」


カシャッ。


挿絵(By みてみん)


一枚の写真が残った。


⸻


夕方。


人が少なくなった会場で――


文とバックナーは、海を眺めていた。


「……良かったですね」


文が言う。


「ああ」


「彩花ちゃん、幸せそうでした」


「ああ」


少しの沈黙。


波の音だけが聞こえる。


文が、静かに言った。


「……尚造さんも、喜んでいるでしょうね」


バックナーは、海を見つめた。


「ああ」


そして、小さく笑った。


「きっと、あいつなら――」


「酒でも飲んでるだろうな」


文が笑う。


「そうですね」


二人の間に、穏やかな時間が流れた。


挿絵(By みてみん)


そのとき。


「バックナーさん」


振り返る。


美咲と隆司が立っていた。


「どうした?」


美咲は、少しだけ緊張した顔をしている。


隆司も黙っている。


やがて、美咲が言った。


「私たちも――」


「お父さんに、報告したいことがあります」


バックナーは、二人を見る。


そして、すぐに分かった。


「……そうか」


文が微笑む。


「それなら――」


バックナーが言った。


「墓参りに行くか」


美咲が頷く。


「……はい」


隆司も静かに頷いた。


「お願いします」


バックナーは海を見る。


夕焼けが、海の向こうへ沈んでいく。


今日。


一人の娘が、

父のもとから旅立った。


そして――


別の二人が、

新しい家族を始めようとしていた。


受け継がれていくものは、

紅型だけではない。


家族も。

記憶も。


そして――

人と人との繋がりも。


海は、今日も穏やかだった。


その先に――

尚造の眠る場所がある。


⸻


(つづく)

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