第六十一話 返還までの時間
美咲たちは、
賑やかなアメリカ旅行を終えて、
沖縄へ帰ってきた。
そして――
沖縄返還の日は、
少しずつ近づいていた。
期待する人。
不安を抱く人。
返還後の未来を考える人。
「復帰」は、ゴールなのか。
それとも、新しい時代の始まりなのか。
1972年を目前に、
それぞれの「未来」が動き始めます。
1971年。冬。
沖縄。
仲村家の近くにある、小さな商店。
朝から、村の男たちが集まっていた。
「もうすぐだな」
「何が?」
「決まってるだろ」
「復帰だよ」
その言葉に、男たちは頷いた。
1972年。
沖縄が、日本へ戻る。
長いアメリカ統治が終わり、
沖縄は再び日本の一部になる。
「日本になったら、何か変わるかねぇ」
「道路とか、良くなるんじゃないか?」
「給料も本土並みになるんだろ?」
「税金も本土並みになるぞ」
「……それは嫌だな」
「お前なぁ」
笑い声が起きた。
しばらくして。
一人の男が、ぽつりと言った。
「でもよ」
「基地は、どうなるんだ?」
笑い声が止まった。
「……残るんだろ?」
「そう聞いてる」
「じゃあ、復帰したら全部終わるわけじゃないのか」
誰も答えなかった。
遠くから、飛行機の音が聞こえた。
男たちは空を見上げる。
「……まあ」
「俺たちが日本に戻るってことだけでも、大きいさ」
「そうだな」
期待と、不安。
その二つは、
同じ空の下に並んでいた。
⸻
同じ頃。
嘉手納基地。
ジャックは、
若い兵士たちと一緒に車両の整備をしていた。
「復帰したら、俺たちどうなるんですか?」
若い兵士が聞いた。
ジャックは手を止める。
「どうなると思う?」
「基地がなくなる、とか?」
「全部なくなるわけじゃない」
「じゃあ、何が変わるんです?」
ジャックは答えなかった。
沖縄の人々が、
日本への復帰を待っている。
一方で。
米軍兵士たちもまた、
自分たちの未来を考えている。
基地は残る。
だが、
沖縄が日本へ戻ることで、
行政も法律も、
少しずつ変わっていく。
「……俺たちも、変わるんだろうな」
ジャックが呟いた。
その時。
若い兵士が聞いた。
「ジャックさん」
「何だ?」
「ベトナムに行った人たちは……」
ジャックは顔を上げた。
若い兵士は言葉を選びながら、続ける。
「ちゃんと、帰ってこられるんですかね」
ジャックは、しばらく黙っていた。
そして。
「……帰ってきてほしいな」
それだけ言った。
⸻
東京。
首相官邸。
佐藤栄作は、
机の上に並べられた書類を眺めていた。
その向かいには、
外務大臣・愛知揆一。
「準備は?」
愛知が答える。
「行政移管、法制度、外交手続き、基地問題……」
「まだまだ課題はあります」
佐藤は頷いた。
「沖縄の人たちは、復帰を待っている」
「はい」
「だが」
佐藤は書類を閉じた。
「復帰した瞬間に」
「すべての問題が消えるわけではない」
愛知も頷く。
「基地問題は残ります」
「生活もそうです」
「経済も、行政も」
「そして――」
佐藤は少し考えてから言った。
「沖縄の人たちが、どんな未来を望むのか」
愛知は黙って聞いていた。
その時。
佐藤がふと思い出したように言った。
「そういえば、愛知君」
「はい?」
「沖縄に、仲村工房という外交サロンがある」
「…………」
愛知が瞬きをする。
「外交サロン?」
「社長は、仲村美咲さんだ」
「……紅型職人ですよね?」
「そうだ」
「外交官では?」
「違う」
「ですが、首相官邸に呼ばれたり」
「USCARの高等弁務官と話したり」
「アメリカ大統領と会談まで――」
「だから外交サロンなんだ」
愛知は頭を抱えた。
「総理」
「何だ?」
「政経塾で育ててから」
「外務省にスカウトしませんか?」
佐藤は苦笑した。
「誘ってみた」
「え?」
「そうしたら」
一拍。
「『すみません、家業があるので』と断られた」
「…………」
愛知の顔が固まった。
「……外務省より紅型を選んだんですか」
「そういうことになるな」
「すごい人ですね……」
愛知はため息をついた。
そして、何かを思い出したように言う。
「そういえば」
「外務省の噂では」
「はい」
「仲村工房に」
「あのキッシンジャーも来たという話があります」
佐藤が頷く。
「私も聞いた」
「……本当なんですか?」
「知らん」
「知らないんですか!?」
「ただ」
佐藤は真顔で言った。
「美咲さんは断ったらしい」
愛知は天を仰いだ。
「……外交人材が……」
「紅型職人に……」
二人は沈黙した。
そして。
佐藤がぽつり。
「沖縄らしいじゃないか」
「そういう問題でしょうか……」
⸻
嘉手納。
ジョンの雑貨店。
ジャックが店内に入る。
「いらっしゃい」
ジョンが笑った。
「仕事帰りか?」
「はい」
ジャックは椅子に座った。
「ランパートは?」
ジョンが聞く。
「まだ書類地獄です」
「相変わらずだな」
「最近は机が見えないらしいです」
「書類の神なのにな」
二人は笑った。
だが、少しして。
ジャックの表情が変わった。
「……ジョンさん」
「ん?」
「復帰したら」
「俺たちはどうなるんですか?」
ジョンは黙った。
「基地は残る」
「でも、沖縄は日本に戻る」
「俺たちの立場も変わるかもしれない」
「……そうだな」
ジャックは、
店の奥にある写真を見る。
そこには、
ベトナムへ向かった兵士たちが写っていた。
「息子さんから、手紙は?」
ジョンは少しだけ笑った。
「来てる」
「元気か?」
「そう書いてある」
「……そうですか」
ジョンは手紙を握る。
「でもな」
「本当に元気なのかは、帰ってくるまで分からん」
ジャックは何も言わなかった。
二人とも、同じ方向を見ていた。
戦場へ行った息子。
基地に残る兵士。
日本へ戻ろうとする沖縄。
誰もが、
それぞれの未来を待っていた。
⸻
夕方。
屋良は仲村工房を訪れていた。
工房の外。
バックナーが、黙々と畑を耕している。
「バックナーさん」
屋良が声をかける。
「おう」
バックナーは鍬を止めた。
「復帰が近づいてきましたね」
「ああ」
二人は、しばらく畑を見つめた。
「……屋良さん」
「はい」
「嬉しいんだろ?」
屋良は少し笑った。
「もちろんです」
「長い間、望んできたことですから」
そして。
その笑顔が、少しだけ曇る。
「ですが」
「復帰は……」
屋良は言葉を探した。
「ゴールではありません」
バックナーは、静かに頷いた。
「……そうだな」
「復帰した後も、基地は残ります」
「生活もあります」
「経済も」
「県民の気持ちも」
「日本政府との関係も」
「アメリカとの関係も」
屋良は、空を見上げた。
「私は」
「その先の沖縄を考えなければならない」
バックナーは鍬を地面に立てた。
「怖いか?」
屋良は少し驚いた。
そして。
「……はい」
正直に答えた。
「復帰を実現することより」
「復帰した後のほうが、難しいのかもしれません」
バックナーは笑わなかった。
ただ、屋良の隣に立った。
「俺も怖いよ」
「……え?」
「沖縄に来た頃は」
「こんな未来が来るとは思わなかった」
「だが」
バックナーは、遠くを見た。
「未来ってのは、来てから考えるものじゃない」
「来る前から、少しずつ作っていくものだ」
屋良は、静かに頷いた。
「……そうですね」
二人の間を、沖縄の風が通り抜けた。
⸻
仲村家。
夕食を終えた後。
彩花は、
バックナーの隣に座っていた。
「おとう」
「ん?」
「話がある」
バックナーが振り向く。
「どうした?」
彩花は少し照れながら、言った。
「私ね」
「健一と付き合ってる」
「…………」
バックナーが固まった。
数秒。
本当に数秒。
動かなかった。
「……いつの間に?」
彩花が笑う。
「最近」
「最近って……」
バックナーは、
少し困ったような顔をした。
「俺、何も聞いてないぞ」
「言ってなかったからね」
「そうか……」
バックナーは、腕を組んだ。
そして。
「健一か……」
少し考える。
「……まあ」
「悪いやつじゃないな」
彩花は笑った。
「うん」
そして。
少しだけ真面目な顔になる。
「おとう」
「ん?」
「健一はね」
「私とおとうの過去」
「聞かないでくれたの」
バックナーの表情が変わった。
彩花は、ゆっくりと言葉を続ける。
「聞けば」
「知りたいことはいっぱいあったと思う」
「でも」
「無理に聞かなかった」
「私が話したい時に、話せばいいって」
バックナーは黙っていた。
彩花は笑う。
「それが嬉しかった」
「……そうか」
バックナーは、小さく息を吐いた。
そして。
「いい男だな」
彩花が笑った。
「でしょ?」
「……ああ」
バックナーも笑った。
「なら」
「大丈夫だ」
彩花は、少しだけ目を潤ませた。
「おとう」
「ん?」
「ありがとう」
バックナーは、彩花の頭に手を置いた。
「こちらこそ」
⸻
その夜。
バックナーは、一人で外へ出た。
空には、星が出ていた。
遠くには、基地の灯り。
もうすぐ、沖縄は日本へ戻る。
だが。
それで終わりではない。
基地も。
暮らしも。
家族も。
これから先の未来も。
すべては、まだ続いていく。
バックナーは、静かに空を見上げた。
「……もうすぐだな」
一拍。
「……長かったな」
その声に、誰も答えなかった。
ただ。
沖縄の夜風だけが、静かに吹いていた。
そして――
それぞれの人々が、
それぞれの未来を胸に抱えながら。
1972年を、待っていた。
返還の、その先へ。
⸻
(つづく)




