第六十話 美咲、アメリカ観光する
1971年、初夏。
沖縄の未来をめぐる長い議論の末、
新作紅型『沖縄返還協定』は、ついに形になった。
日本。
アメリカ。
沖縄。
三つの場所を結んだ、長い一日だった。
――そして翌日。
美咲たちは、ニューヨークにいた。
というわけで今回は――
美咲、アメリカ観光です!
自由の女神。
ニューヨークの街並み。
日本とは違う文化。
そしてなぜか案内している、
元高等弁務官。
……今回は息抜き回です(笑)
ホワイトハウス。
長い会談が終わった後。
部屋には、
まだ先ほどまでの緊張が残っていた。
だが――
美咲は、いつものように笑っていた。
「屋良先生」
「今日はありがとうございました」
屋良は、少し疲れた顔で笑う。
「こちらこそ」
「美咲さん」
「ありがとうございました」
佐藤も頷いた。
「おかげで、東京で正式な文書に署名できる」
「お役に立てて良かったです」
美咲は笑顔で答える。
そして、少し考えてから。
「バックナーさんとランパートさんは」
「頼れるご近所さんですから」
「…………」
佐藤が黙った。
「茶飲み仲間です」
屋良が何の疑問もなく補足した。
その横で。
バックナーは腕を組みながら、苦笑している。
ランパート
「……私は一応、高等弁務官なんですが」
美咲が首を傾げる。
「でも、ご近所さんですよね?」
「…………」
ランパートは答えられなかった。
その時。
少し離れた場所から、
ニクソンが二人を見ていた。
そしてバックナーに英語で話しかける。
「バックナー」
「大統領」
「私は今」
「非常に奇妙な外交を見ている気がするんだが」
バックナーは眉を上げる。
「どの辺が?」
ニクソンは
美咲、屋良、ランパートを順番に指した。
「沖縄の職人と」
「琉球政府の行政主席と」
「USCARの高等弁務官が……」
一拍。
「……ご近所付き合いをしている」
バックナーは平然と答えた。
「沖縄では普通です」
「普通なのか?」
ランパートが横から口を挟む。
「私は普通ではないと思います」
屋良が笑う。
「沖縄では」
「ご近所付き合いが深いから」
ニクソンはしばらく黙った。
そして――
「……理解できん」
バックナーが笑った。
「私も昔は分からなかったです」
ニクソンはため息をつく。
「君は分かるようになったのか?」
バックナーは少しだけ考えて。
「畑仕事へ連行されてから」
「…………」
ニクソンは、ますます分からなくなった。
⸻
その夜。
ワシントンのホテル。
美咲たちの部屋とは別の一室。
テーブルの上には、ビールとおつまみ。
小林、健一、隆司、バックナーが
パジャマ姿で座っていた。
健一は、まだ落ち着かない。
「……今日」
「ホワイトハウスにいましたよね?」
バックナーがビールを飲む。
「いたな」
「大統領と話しましたよね?」
「話したな」
健一は頭を抱えた。
「なんでそんなに普通なんですか……」
小林は淡々と答える。
「慣れだろ」
「慣れませんよ!」
その横で隆司が笑った。
すると小林が、何気なくバックナーを見る。
「そういえば健一」
「はい?」
「バックナーさんの軍歴、詳しく知らないだろ」
健一が顔を上げる。
「え?」
小林は淡々と説明を始めた。
「第10軍」
「沖縄戦」
「そしてUSCAR高等弁務官」
「退任後も日米間の相談役」
「…………」
健一の顔から、
少しずつ血の気が引いていく。
「……ちょっと待ってください」
小林は止まらない。
「ちなみに第10軍時代は――」
「もういいです!」
健一が両手を上げた。
「俺……」
沈黙。
健一の心の声。
(娘さんと結婚させてくださいって言えるかな……)
隆司が静かに健一を見る。
そして。
「健一」
「はい」
「頑張れ」
「何をですか?」
隆司はビールを一口飲んだ。
「勝とうとするな」
「…………」
健一は真顔になった。
「何の話ですか!?」
その時。
ドアが開いた。
「おとう?」
彩花だった。
バックナーが振り向く。
「どうした?」
「探してたの」
「美咲たちと明日の予定を話そうと思って」
彩花は部屋を見渡す。
そして健一を見る。
「……何してるの?」
健一は姿勢を正した。
「いや、その……」
小林が淡々と言う。
「バックナーさんの軍歴を聞いていた」
「軍歴?」
彩花は少し考えた。
「ああ」
そして笑う。
「でも今は村のおじぃだよ」
バックナーが頷いた。
「そうだ」
健一は固まった。
小林が言う。
「元高等弁務官だ」
「村のおじぃです」
「第10軍だ」
「畑仕事してるぞ」
「…………」
健一は頭を抱えた。
「情報量が多すぎる……」
隆司が笑った。
「だから言っただろ」
「何を!?」
「勝とうとするな」
⸻
翌朝。
一行はニューヨークへ向かった。
美咲、彩花、隆司、健一、小林。
そして――
なぜかバックナー。
自由の女神を前にして。
美咲は目を輝かせていた。
「すごい……!」
彩花も笑う。
「大きいねー!」
健一は首を反らした。
「……本当に大きいな」
隆司は周囲を見回している。
「人が多いな」
その横で。
美咲だけが違った。
「……衣装」
「え?」
彩花が振り返る。
美咲は自由の女神をじっと見つめている。
「布の流れ……」
「ドレープの表現……」
「頭部の冠……」
小林が小さな声で言う。
「始まった」
隆司が頷く。
「いつものやつだ」
美咲は完全に紅型職人の目になっていた。
「これ、紅型にしたら……」
バックナーが横から言う。
「美咲」
「はい?」
「観光だぞ」
「観光ですよ?」
「今、仕事の目をしている」
「してません」
「してる」
美咲は自由の女神から目を離さない。
「……色を三色くらいに整理して……」
「仕事だな」
「観光です!」
⸻
その後。
街を歩く。
車。
人。
建物。
看板。
すべてが日本とは違う。
健一は完全に圧倒されていた。
「……広い」
隆司が笑う。
「東京に住んでただろ」
「東京とは違います!」
「何が?」
「方向性が違います!」
「方向性?」
「全部が大きい!」
彩花が笑う。
「アメリカだからね」
「それは分かってます!」
そして店に入る。
料理が運ばれてくる。
健一は目を丸くした。
「……これ、一人分?」
美咲も見る。
「そうみたい」
「大きくないですか?」
バックナーが笑う。
「普通だ」
「普通じゃないですよ!」
隆司は静かに食べ始める。
「食べればいい」
健一はフォークを持つ。
「……日本に帰りたい」
彩花が笑った。
「まだ観光一日目だよ?」
「だから言ってるんです!」
⸻
午後。
メトロポリタン美術館。
展示室。
美咲は、一枚の布の前で立ち止まった。
「……!」
彩花が振り返る。
「美咲?」
返事がない。
美咲は布を見つめている。
「……面白い」
隆司が近づく。
「何が?」
「同じ模様でも」
「地域が違えば表現が変わるんだ」
美咲は静かに布を見る。
「紅型もそう」
「沖縄だけを描いてるように見えて」
「実は外から来たものも、沖縄の中で変わっていく」
バックナーが後ろから聞いていた。
「……そうだな」
美咲は笑う。
「アメリカに来て」
「紅型のことを考えるとは思わなかった」
バックナーは少し笑った。
「お前らしい」
⸻
その頃。
ランパート、屋良は別行動をしていた。
突然。
屋良がバックナーを見る。
「バックナーさん」
「何だ?」
「文さんから伝言です」
バックナーの顔が固まった。
「……何?」
屋良は真顔で言った。
「『村の仕事を手伝って』」
「…………」
ランパートも嫌な予感がした。
「私にも何かありますか?」
屋良が振り返る。
「あります」
「何でしょう」
「『ランパートさんも手伝って』」
「…………」
ランパートは天を仰いだ。
「私は高等弁務官なんですが」
屋良は淡々と答える。
「文さんには関係ありません」
バックナーが吹き出した。
「ははは!」
「笑っている場合ですか!」
ランパートが抗議する。
バックナーは肩をすくめた。
「文さんには逆らえん」
屋良も頷く。
「私もそう思います」
二人は諦めた。
「……帰るか」
「帰りましょう」
こうして。
ホワイトハウスまで同行した三人の男は――
文からの一言によって、
先に沖縄へ帰ることになった。
⸻
美咲たちは、
もう少しだけニューヨークを歩いた。
夜の街。
高い建物。
明るい灯り。
人々の声。
美咲は立ち止まった。
「……不思議」
彩花が聞く。
「何が?」
「アメリカって、ずっと遠い国だと思ってた」
「うん」
「でも……」
美咲は街を見渡した。
「実際に来てみると、普通に人が暮らしてる」
隆司が頷く。
「当たり前だ」
「うん」
美咲は笑った。
「沖縄も同じなんだろうね」
健一が振り返る。
「何が?」
「基地とか、政治とか、国とか」
少し考えて。
「そういう大きな話の中にも」
「普通に人が暮らしてる」
隆司は何も言わなかった。
ただ、静かに頷いた。
⸻
数日後。
美咲たちは沖縄へ戻った。
飛行機を降りる。
湿った空気。
強い日差し。
聞き慣れた言葉。
美咲は深く息を吸った。
「……沖縄だ」
彩花が笑う。
「帰ってきたね」
港へ向かう。
潮の香りが、
風に乗って運ばれてくる。
港に船が着く。
そこには――
一人の女性が立っていた。
文。
美咲は足を止めた。
「……お母さん」
文は、何も言わない。
ただ、ゆっくりと歩み寄る。
一歩。
また一歩。
そして――
抱きしめた。
「……おかえり」
その一言で。
美咲の表情が崩れた。
「……ただいま」
涙が止まらない。
彩花も少し離れたところで笑っていた。
隆司は何も言わない。
ただ、静かに目を細める。
健一と小林も黙ってその光景を見ていた。
遠いアメリカ。
ホワイトハウス。
ニューヨーク。
自由の女神。
そして――
最後に帰ってきた場所。
沖縄。
⸻
その日の夕方。
仲村工房。
戸を開ける。
懐かしい匂いが広がった。
染料の香り。
木の匂い。
布の手触り。
すべてが、ここにある。
職人たちが振り向く。
一瞬の静寂。
そして――
「おかえりなさい!」
声が重なった。
美咲は少し驚いた顔をして。
そして、笑った。
「……ただいまです」
その横で。
彩花が大きく手を振る。
「おとうーー!」
工房の奥。
バックナーが顔を上げた。
一瞬だけ目を見開く。
そして――
穏やかに笑った。
「おかえり」
「元気そうで何よりだ」
彩花は笑う。
「みんなのおかげ!」
バックナーは頷いた。
そして、美咲たちへ向き直る。
「……よく帰ってきた」
隆司は静かに一礼する。
「ただいま」
健一も頭を下げた。
「ただいま帰りました」
工房の空気が、少しだけ温かくなる。
文は、そんな皆を見ながら笑っていた。
⸻
その夜。
工房には、新しい紅型が掛けられていた。
『沖縄返還協定』
表面には――
沖縄の海。
空。
村。
人々。
そして、未来。
美咲は、その前に立った。
「……次は、何を描こうかな」
文が笑う。
「ゆっくり考えればいいよ」
美咲も笑った。
「うん」
遠いアメリカから帰ってきた。
けれど。
旅の終わりは、いつも同じだった。
帰る場所がある。
その場所で。
また、新しい色が生まれていく。
そして――
紅型の物語は、次の時代へ続いていく。
⸻
(つづく)




