第五十六話 村のおじぃ、アメリカへ行く
コザ事件から数か月。
沖縄では、新しい紅型が作られようとしていた。
「表面には沖縄の姿を」
ならば――
裏面には何を描くのか。
その答えを探すため、
バックナーが向かうことになった場所は……
アメリカ。
沖縄の「村のおじぃ」は、
数十年ぶりに祖国へ帰ることになった。
そして待ち受けるのは、ホワイトハウス。
まさかの大統領登場です!
1971年春。
朝。
仲村家の工房。
昨日から広げられている白い反物の前に、
文とバックナーが座っている。
文は筆を持ち、
白布の上に薄く下描きをしている。
海。
空。
村。
人々の暮らし。
そして。
その向こうに広がる沖縄の風景。
バックナーは隣で腕を組んでいる。
しばらく黙って眺める。
⸻
文
「……表面は、だいぶ見えてきましたね」
バックナー
「ああ」
文
「でも」
布の裏側を見る。
文
「裏が、まだ真っ白です」
バックナー
「……そうだな」
文
「だから」
筆を置く。
文
「行ってきてください」
バックナー
「……どこへ?」
文、にっこり。
「アメリカ」
「…………」
数秒の沈黙。
バックナー
「俺には門番という大事な仕事があるんだが」
文
「裏面のモチーフ、探してきてください」
バックナー
「…………」
そこへ――
「バックナーさん」
工房の入口からランパート。
「行きますよ」
バックナー、ゆっくり振り返る。
バックナー
「……俺は何も聞いていないぞ」
ランパート
「聞かなくても分かっているでしょう」
バックナー
「嫌な予感しかしない」
文
「お気をつけて」
バックナー
「……文さん」
文
「はい?」
バックナー
「俺がいない間、工房を頼む」
文
「もちろんです」
少し間。
文
「だから安心して、行ってきてください」
バックナー、ため息。
バックナー
「……仕方ないな」
ランパート
「では」
バックナー
「……本当に行くのか?」
ランパート
「行きます」
バックナー
「…………」
バックナー、立ち上がる。
「……沖縄の村のおじぃを」
「ワシントンまで連れていくのか」
ランパート
「ええ」
バックナー
「世も末だな」
⸻
場面転換――
那覇空港。
バックナーとランパート。
バックナーは荷物を一つだけ持っている。
ランパートは書類鞄。
ランパート
「荷物、それだけですか?」
バックナー
「必要なものは入っている」
ランパート
「何が?」
バックナー
「着替えと、帽子と、ちんすこう」
ランパート
「……ちんすこう?」
バックナー
「土産だ」
ランパート
「誰への?」
バックナー
「分からん」
ランパート
「…………」
⸻
アメリカへ。
飛行機。
バックナーは窓の外を見る。
沖縄の海が遠ざかっていく。
しばらく黙っている。
ランパートが隣を見る。
ランパート
「久しぶりでしょう」
バックナー
「ああ」
ランパート
「何十年ぶりですか?」
バックナー
「……覚えていない」
ランパート
「あなたの故郷でしょう?」
バックナー、少し考える。
「……故郷、か」
窓の外を見る。
「今は、沖縄の方が長いからな」
ランパートは何も言わない。
⸻
アメリカ。
空港。
バックナー、到着。
大勢の人。
巨大な建物。
英語が飛び交う。
車。
広告。
忙しく行き交う人々。
バックナーは立ち止まる。
バックナー
「…………」
ランパート
「どうしました?」
バックナー
「人が多いな」
ランパート
「アメリカですから」
バックナー
「知っている」
歩き出す。
数歩。
バックナー
「……騒がしい」
ランパート
「沖縄より?」
バックナー
「全然違う」
⸻
レストラン。
二人で食事。
テーブルには巨大なステーキ。
バックナー、しばらく見る。
ランパート
「どうしました?」
バックナー
「……大きいな」
ランパート
「アメリカですから」
バックナー
「それしか言えんのか」
ランパート、笑う。
バックナー、一口食べる。
しばらく咀嚼。
バックナー
「……雪塩と島唐辛子がない」
ランパート
「ありません」
バックナー
「シークヮーサーもない」
ランパート
「ありません」
バックナー
「さんぴん茶もない」
ランパート
「ありません」
バックナー、皿を見る。
バックナー
「……帰りたい」
ランパート
「まだ着いたばかりですよ」
⸻
ワシントンD.C.
車窓。
ホワイトハウスが見えてくる。
バックナーの表情が変わる。
さっきまでの「村のおじぃ」の顔ではない。
かつての軍人。
かつての高等弁務官。
そして――
沖縄で長い年月を過ごした男の顔。
ランパート
「緊張していますか?」
バックナー
「いや」
ランパート
「そうですか」
バックナー
「……ただ」
ランパート
「?」
バックナー
「久しぶりすぎて」
「どんな顔をすればいいのか分からんな」
⸻
ホワイトハウス。
会議室。
ランパートとバックナー。
そこへスタッフが入る。
スタッフ
「Mr. President is ready for you.」
バックナー、立ち上がる。
扉が開く。
ニクソンが入ってくる。
バックナーは姿勢を正す。
ニクソン
「ランパート高等弁務官」
ランパート
「大統領」
握手。
ニクソン
「久しぶりですね」
ランパート
「ええ」
ニクソン、少し笑う。
ニクソン
「バックナーさんも」
「沖縄についてよくご存じだそうですね」
バックナー
「……ただの村のおじぃですよ」
ニクソン、一瞬止まる。
ランパートが苦笑。
ランパート
「本人は本気です」
⸻
ニクソンが席につく。
ランパートも座る。
バックナーは少し離れた席。
ニクソン
「沖縄返還について、話を聞きたい」
バックナー
「……返還、ですか」
ニクソン
「ええ」
ニクソンは机上の資料を見る。
ニクソン
「日本政府は、1972年の返還を望んでいる」
ランパート
「同時に、極東の安全保障についても」
「維持する必要があります」
バックナーは黙って聞いている。
ニクソン
「沖縄の人々は」
「何を望んでいると思いますか?」
バックナー、少し考える。
バックナー
「……一言では言えません」
ニクソン
「なぜ?」
バックナー
「返してほしい」
ニクソン
「それだけでは?」
バックナー
「ありません」
バックナー、ゆっくり顔を上げる。
バックナー
「自分たちの土地を」
「自分たちのものとして生きたい」
ニクソン
「……」
バックナー
「でも」
ニクソン
「?」
バックナー
「基地を全部なくせば」
「それですべて解決するとも思っていない」
ランパートを見る。
バックナー
「米軍が恐れていることも」
「沖縄の人たちは分かっています」
ランパート
「……」
バックナー
「だからこそ、難しいんです」
ニクソンは黙っている。
⸻
ニクソン
「あなたは、沖縄で何を見てきた?」
バックナー
「暮らしです」
ニクソン
「暮らし?」
バックナー
「朝になれば畑に出る」
「子供が学校へ行く」
「家族が飯を食う」
「祭りがあれば踊る」
少し間。
「……そして、基地がある」
ニクソンは黙って聞く。
バックナー
「事故があれば、暮らしが壊れる」
「戦争になれば、もっと壊れる」
「だから皆、自分たちの暮らしを守りたいんです」
⸻
ニクソン
「……アメリカは何を守るべきだと思いますか?」
長い沈黙。
バックナー
「……それを、私が決めていいんですか?」
ニクソンを見る。
バックナー
「沖縄の人たちの未来を」
「アメリカ人が勝手に決めることはできません」
ランパートが静かに息を吐く。
⸻
バックナー
「でも」
ニクソン
「?」
バックナー
「アメリカが守らなければならないものがあるのも」
「分かっています」
ニクソン
「何だと思います?」
バックナー
「安全保障」
ニクソン
「そうです」
バックナー
「……ただ」
ニクソン
「?」
バックナー
「安全保障のために」
「沖縄の人たちの暮らしを壊し続ければ」
バックナーは一度言葉を止める。
「守るためのものが、守れなくなる」
沈黙。
ニクソンはバックナーを見つめる。
⸻
ニクソン
「……返還すれば、終わると思いますか?」
バックナー
「いいえ」
即答。
「返すだけでは、終わらないでしょう」
ランパートも黙っている。
バックナー
「土地も」
「基地も」
「安全保障も」
「沖縄の人たちの暮らしも」
「全部、返還の日の翌日まで続きます」
ニクソン
「……その“翌日”を考えろ、と?」
バックナー
「はい」
⸻
夜。
ホワイトハウスの廊下。
会談を終えたバックナーとランパート。
歩きながら。
ランパート
「随分、変わりましたね」
バックナー
「何が?」
ランパート
「あなたです」
バックナー
「……そうか?」
ランパート
「昔のあなたなら、もっと軍事の話をしたでしょう」
バックナー
「昔は、それしか知らなかったからな」
少し間。
バックナー
「今は畑を知っている」
ランパート
「畑?」
バックナー
「野菜はな」
ランパート
「はい」
バックナー
「引っ張っても育たん」
ランパート、笑う。
「……沖縄で随分、教えられましたね」
「ああ」
⸻
同じ夜。
沖縄。
仲村家。
文が一人、工房にいる。
白い布。
表面には少しずつ沖縄の風景が描かれている。
しかし裏面は、まだ真っ白。
文は布をめくる。
文
「……まだですね」
筆を置く。
⸻
ワシントン。
ホテル。
バックナーが部屋に戻る。
机の上に、文から預かった小さな紙。
そこには、
「裏面のモチーフを見つけてきてください」
とだけ書かれている。
バックナー
「……簡単に言ってくれるな」
苦笑。
その時――
電話が鳴る。
ランパートの部屋からだ。
バックナーが受話器を取る。
バックナー
「はい」
ランパートの声。
「バックナーさん。こちらへ来てください」
「何だ?」
「東京からです」
バックナーの表情が変わる。
「……東京?」
⸻
東京。
首相官邸。
電話の向こう。
日本政府関係者。
「ワシントンの皆さんに」
「確認したいことがあります」
⸻
沖縄。
白い布が、夜風でわずかに揺れる。
表面には――
海。
空。
村。
人々。
そして裏面には――
まだ何もない。
⸻
返還まで、あと一年。
沖縄をめぐる問いは、
もはや沖縄だけのものではなかった。
ワシントン。
東京。
そして――沖縄。
三つの場所で、
それぞれの答えが動き始めていた。
⸻
(つづく)




