第五十四話 コザの夜
前回――
嘉手納基地では、
米兵たちがエイサーを踊っていた。
CIAも、公安も、そしてKGBまで。
誰もが呆れ、それでも笑っていた。
あれから、数か月。
1970年12月。
沖縄で、誰も笑えない夜が始まる。
1970年12月19日。
東京。
健一の家。
こたつの上には、湯気の立つ湯呑み。
美咲、彩花、隆司、健一。
そして――
屋良が座っていた。
ハワイから東京へ来たばかりだった。
美咲がほうじ茶を差し出す。
「屋良先生、どうぞ」
屋良が頭を下げる。
「ありがとうございます」
一口飲む。
「……東京のお茶も、悪くないですね」
健一が笑う。
「沖縄のお茶とは違いますか?」
「少し違いますね」
「沖縄ではさんぴん茶です」
彩花が湯呑みを持ちながら言う。
彩花
「ところで、屋良先生」
屋良
「はい?」
彩花
「東京って意外と暖かいですね」
健一
「だから言ったでしょう」
屋良
「沖縄よりは寒いですよ」
彩花
「おとうのコート、置いてきてよかった」
健一
「バックナーさんの基準がおかしいだけです」
隆司
「……アッツからハワイ経由で沖縄へ来たからな」
健一
「体力もおかしいです」
屋良が苦笑する。
「ハワイから東京へ来るのも大変ですよ」
「しかし、これからが本番ですから」
美咲が頷く。
「紅型も、あと少しです」
風呂敷の中には、
これまで集めてきた紅型。
まだ足りない。
まだ完成していない。
彩花が覗き込む。
「最後の部品」
「どこにあるんでしょうね?」
隆司
「それを探してるんだ」
健一
「見つかるといいですね」
その時――
電話が鳴った。
ジリリリリ――。
全員が振り返る。
屋良の秘書が受話器を取る。
「はい。屋良事務所です」
「……」
秘書の顔が変わった。
「……はい」
「……コザで?」
屋良が立ち上がる。
「どうしました?」
秘書は受話器を手で覆う。
「……コザで、大きな騒ぎが起きています」
空気が変わる。
「……何が?」
「米軍関係者の交通事故が発端だそうです」
「住民が集まり――」
「米軍憲兵と衝突している、と」
沈黙。
屋良は時計を見る。
1970年12月20日。
まだ夜明け前だった。
屋良は、ゆっくりと立ち上がった。
「……私は沖縄へ帰ります」
美咲が驚く。
「今からですか?」
「はい」
屋良は四人を見る。
「皆さんは――」
一瞬、言葉を選ぶ。
「紅型探しを続けてください」
美咲
「分かりました」
屋良
「必ず、最後の一枚を見つけてください」
隆司
「はい」
屋良は上着を取る。
そして玄関へ向かう。
彩花が声をかける。
「屋良先生」
屋良が振り返る。
「気をつけて」
屋良は微笑んだ。
「ありがとうございます」
そして――
屋良は沖縄へ向かった。
⸻
1970年12月20日未明。
沖縄。
コザ市。
道路。
一台の車。
その周囲に、人が集まり始めていた。
「事故だ!」
「また米兵か!」
「誰か救急車を!」
人が増えていく。
米軍憲兵が駆けつける。
「Stret back!」
(下がれ!)
「We will deal with the accident!」
(事故の処理をする!)
しかし――
群衆は動かない。
「また米軍か!」
「どうせ軍の裁判で終わるんだろ!」
「この前だってそうだった!」
怒号が飛ぶ。
その背景には、
長年積み重なった不満があった。
交通事故。
米軍人による犯罪。
軍事裁判。
基地の存在。
毒ガス問題。
そして――
返還を目前にしても変わらない基地負担。
誰かが叫ぶ。
「いつまで我慢すればいいんだ!」
別の声。
「沖縄は俺たちの島だ!」
群衆が膨れ上がる。
⸻
米軍憲兵が後退する。
「Stret back!」
(下がれ!)
「Don't get any closer!」
(これ以上近づくな!)
しかし、人の波は止まらない。
誰かが車を叩いた。
ガンッ!
また一台。
ガンッ!
さらに石が飛ぶ。
ガシャーン!
フロントガラスが割れる。
怒号。
悲鳴。
サイレン。
そして――
乾いた銃声。
パンッ!
空へ弾が飛んだ。
一瞬、静寂。
次の瞬間。
「撃ったぞ!」
「米軍が撃った!」
群衆が一気に動いた。
車両がひっくり返される。
火が上がる。
一台。
また一台。
夜のコザが、赤く染まっていく。
⸻
嘉手納基地。
警報。
兵士たちが走る。
「火災発生!」
「ゲート周辺に群衆!」
「車両が燃えています!」
ランパートが執務室から飛び出す。
「負傷者は?」
「確認中です!」
「基地施設への侵入は?」
「現在、阻止しています!」
ランパートは窓の外を見る。
遠くに赤い炎。
黒煙。
ランパート
「……コザか」
副官が頷く。
「はい」
ランパートはしばらく黙っていた。
そして。
「軍人を不用意に前へ出すな」
「しかし――」
「分かっている」
ランパートが遮る。
「基地を守れ」
「だが――」
一拍。
「沖縄の人間を敵だと思うな」
兵士が敬礼する。
「Yes, Sir!」
⸻
その頃。
コザ市内。
火の粉が舞っている。
人々が走る。
米軍関係車両が燃えている。
誰かが叫ぶ。
「もう止められない!」
別の場所では。
「やめろ!」
「これ以上やったら死人が出る!」
怒りと恐怖が入り混じる。
誰もが、自分の声を聞いてほしかった。
しかし――
夜は、あまりにも大きかった。
⸻
その頃。
少し離れた場所。
暗い路地。
イワンと部下が立っていた。
二人とも、炎を見ている。
部下
「……大変なことになっています」
イワンは黙っている。
「米軍と住民が衝突しています」
イワン
「……これは」
少し考える。
「大きな政治問題になりますね」
部下
「はい」
イワンが周囲を見る。
「日本政府とアメリカ政府」
「沖縄の行政」
「すべてが揺れます」
部下
「では――」
イワンが小さく頷く。
「情報を集めましょう」
「この混乱を利用できるかもしれません」
その時――
背後から声。
「まあ」
二人が固まる。
「イワンさん」
「…………」
ゆっくり振り返る。
そこに――
文が立っていた。
いつもの笑顔。
ただし――
目が笑っていない。
文
「こんな夜中に、何をしているんですか?」
イワン
「……観光です」
文
「そうですか」
にっこり。
「こんなところで?」
「はい」
文
「火事ですよ?」
「……はい」
文
「人が困っていますよ?」
「……」
文は笑顔のまま。
「それを利用するんですか?」
イワンは黙る。
部下も黙る。
文
「……イワンさん」
「はい」
「沖縄では」
「困っている人がいたら、助けるものですよ」
イワン
「……」
文
「違いますか?」
イワン
「……その通りです」
文
「では」
「お手伝いしましょうか」
イワン
「…………」
部下
「……帰りましょう」
イワン
「……そうですね」
二人は静かに立ち去る。
少し歩いたところで、部下が小声で言う。
「……怖かったです」
「私もです」
⸻
夜明け前。
沖縄。
火は少しずつ消えていく。
しかし――
焼けた車。
割れたガラス。
黒く焦げた道路。
そこに残されたのは、
怒りと疲労だった。
⸻
東京。
まだ暗い朝。
健一の家。
美咲たちはテレビの前に集まっていた。
ニュース。
「昨夜、コザ市で――」
「米軍関係者の交通事故を発端として――」
「多数の住民が集まり――」
彩花が口を押さえる。
「……こんなことが」
健一
「屋良先生……」
隆司は黙っている。
美咲は、風呂敷を見る。
そこには紅型。
まだ足りない。
隆司が呟く。
「……沖縄で起きていることも」
「俺たちが探している紅型も」
「全部、繋がってるのかもしれない」
美咲は答えない。
ただ、風呂敷を強く握る。
⸻
沖縄。
朝。
仲村工房。
文が一人、縁側に座っている。
湯呑みから湯気が上がる。
その隣に――
バックナー。
二人とも、何も言わない。
遠くから、まだサイレンの音が聞こえている。
文が静かに口を開く。
「……大きな夜でしたね」
「ああ」
「これから、どうなるのでしょう」
バックナーは答えない。
ただ、遠くを見る。
そして――
文が立ち上がる。
工房の中へ向かう。
「バックナーさん」
「何だ?」
文は振り返る。
「少し、手伝ってほしいことがあります」
バックナーが文を見る。
「……何だ?」
「朝になったら、お話しましょう」
そして――
二人の視線が、工房の中にある白い布へ向く。
まだ何も描かれていない。
真っ白な布。
⸻
その頃。
沖縄へ向かう飛行機の中。
屋良は窓の外を見る。
雲の向こう。
沖縄は見えない。
屋良は静かに呟いた。
「……待っていてください」
⸻
沖縄の空が、少しずつ明るくなる。
だが――
コザの夜が終わっても、
沖縄が抱えてきた問題まで、
終わったわけではなかった。
そしてその朝。
一枚の白い布が、
新たな物語の始まりを待っていた。
⸻
(つづく)




