第四十四話 縁側の会談
戦時中。
尚造は、対立する者たちを何度も繋いできた。
二十年後。
今度はバックナーが、その役目を受け継ぐ。
「沖縄の未来」を巡る、
新たな話し合いが始まる。
1965年8月。
仲村工房。
縁側。
蝉の声が響く。
さんぴん茶の湯気が
静かに立ち上っていた。
屋良とランパートは向かい合って座る。
バックナーは二人の間。
文は湯呑みを並べている。
しばらく静かな時間が流れた。
やがて屋良が口を開く。
「高等弁務官」
「一つ、お話があります」
ランパートは頷いた。
「聞きましょう」
屋良は真っ直ぐ見つめる。
「基地の負担です」
空気が少し張り詰める。
「ベトナム戦争の影響で」
「沖縄の基地利用はさらに増えています」
「住民の生活への負担も大きくなっています」
ランパートは静かに答えた。
「承知しています」
「ですが」
少し間を置く。
「現在のベトナム戦争は」
「沖縄戦と同様に、激しい地上戦になっています」
「補給が止まれば、多くの命が失われます」
屋良はすぐに返した。
「だからと言って」
「このままでは沖縄の暮らしも守れません」
「基地と生活」
「両立を考える時期ではありませんか」
ランパートは腕を組む。
「代替案がありません」
屋良も譲らない。
「だからこそ話し合うのです」
少しずつ声が大きくなる。
蝉の声だけが庭へ響いていた。
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その時だった。
「待て」
バックナーだった。
二人は思わず黙る。
「まあまあ」
文が湯呑みを二人の前へ置く。
「まずはお茶をどうぞ」
バックナーが続ける。
「東アジアの平和を考えれば」
「沖縄基地の問題は避けて通れん」
「アメリカ本国の事情もある」
「日本政府の事情もある」
文は首を傾げる。
「ご近所問題なのに」
「ずいぶんスケールアップしましたねぇ」
ランパートの動きが止まる。
「……ご近所問題」
バックナーも笑う。
「言われてみればそうだ」
文はちんすこうを勧めた。
「甘い物でもどうぞ」
屋良も苦笑する。
「ありがとうございます」
ランパートも一枚取った。
「いただきます」
少し空気が和らぐ。
バックナーがお茶を飲みながら言う。
「今日はここまでにしよう」
「双方、一度持ち帰る」
「その方がいい」
屋良は頷く。
「分かりました」
ランパートも頷いた。
「異論ありません」
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文がふと思い出したように笑う。
「バックナーさん」
「今日、尚造さんみたいでした」
屋良が首を傾げる。
「……?」
文は笑う。
「隆司くんから聞いたんです」
「戦争中」
「長さんと八原さんがよく言い合いになって」
「そのたびに」
「尚造さんが間へ入って仲裁していたそうですよ」
バックナーは少し照れくさそうに笑う。
「……敵わんな」
ランパートも笑う。
「強いですね」
バックナーは肩をすくめる。
「昔からだ」
縁側に笑い声が広がった。
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しばらくして。
屋良とランパートは立ち上がる。
ランパートが静かに言った。
「行政主席の選出制度について」
「段階的な改定をUSCAR内で検討します」
屋良は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
二人は仲村家を後にした。
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夕暮れ。
縁側。
風が『地位協定紅型』を揺らしている。
バックナーは静かに掛け軸を見つめた。
「……尚造」
「お前が残した“問い”に」
「そろそろ“答え”を出さなければならない」
文は隣で静かに頷いた。
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それから二年。
カレンダーが一枚、
また一枚とめくられていく。
1967年。
佐藤首相は
沖縄問題について猛勉強(?)の末、
アメリカのジョンソン大統領との会談に臨んだ。
ラジオ。
「佐藤・ジョンソン共同声明が発表されました――」
新聞。
「沖縄返還、正式な外交課題に」
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さらに一年後。
1968年。
「行政主席、公選へ」
そして。
「屋良朝苗氏、当選」
沖縄の人々が、
自らの一票で選んだ
初めての行政主席が誕生した。
仲村工房の縁側では、
夏の日と変わらず紅型が風に揺れていた。
尚造が残した問いは。
少しずつ。
未来へ向かって答えへ近づいていた。
⸻
(つづく)




