第三十五話 キューバ危機――怪物は目を覚ます
1962年10月。
世界が最も核戦争に近づいた
「キューバ危機」が始まる。
その裏で、
ホワイトハウス・CIA・KGB、
そして仲村家を巻き込む
「怪物布団事件」が静かに動き始める。
1962年10月。
アメリカ。
ホワイトハウス。
地下。
分厚い鉄の扉が閉まる。
静寂。
白い照明だけが、
冷たく床を照らしていた。
部屋の中央。
厚い防弾ガラス。
その下には、
一枚の布団が広げられている。
紅型だった。
日本の海。
山々。
村。
花々。
穏やかな風景。
しかし。
その美しい模様には、
巨大な赤い円が描かれていた。
炎の印。
そして、英語で刻まれた文字。
“Manhattan Project”
“Operation Downfall”
それは布団ではなかった。
一人の男が、
戦地で未来を書き込んだ”地図”だった。
ガラス越しに、
それを見つめる男がいた。
アメリカ合衆国大統領。
ジョン・F・ケネディ。
手元には書類。
キューバ偵察写真。
ExCommの会議資料。
DEFCON関連書類。
彼は足元から目を離せなかった。
やがて、小さく呟く。
「……返却したい」
その声は、
誰に向けたものでもなかった。
ただ。
自分自身へ向けた言葉だった。
世界には、
誰も扱ってはいけないものがある。
それを知ってしまったからだ。
⸻
数日後。
沖縄。
海風の中、
一人の男が立っていた。
CIAの職員が、静かに頭を下げる。
「――返却したい」
その言葉に、
隆司は一瞬も迷わなかった。
「あれは、お前らが持ってろ」
静かな声だった。
だが、誰も反論できなかった。
「……理由を聞いても?」
隆司は、わずかに目を細める。
「分からんのなら、触らん方がいい」
それだけだった。
交渉は、終わった。
CIA職員は敬礼し、車へ戻る。
遠ざかるエンジン音。
「尚造さん……」
隆司は海を見つめたまま、小さく呟いた。
⸻
その頃。
アメリカンスクール。
昼休み。
教室では、
生徒たちが小声で話していた。
「ねえ、キューバのこと聞いた?」
ジャックが美咲に尋ねる。
「うん」
「ソ連がミサイルを置いたんでしょう?」
ジャックは頷いた。
美咲は少し考える。
「……沖縄は?」
「え?」
「ここにも基地があるよね」
ジャックは黙った。
少し離れた席の生徒が、
ぽつりと言う。
「父さんが言ってた」
「沖縄も危ないかもしれないって」
教室が静かになる。
するとジャックが、
いつもの調子で笑った。
「でも、明日は野球の練習だろ?」
美咲も少し笑う。
「……そうだね」
チャイムが鳴った。
生徒たちは、
何事もなかったように席へ戻っていく。
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その頃。
モスクワ。
クレムリン。
一冊の報告書が机へ置かれる。
「ホワイトハウスの極秘資料について」
男は静かにページをめくる。
KGBエージェント。
イワンだった。
「……布団?」
部下が答える。
「はい」
「沖縄戦の関連資料との情報があります」
イワンは写真を見る。
仲村工房。
布を染める文。
店先で誰かと話す隆司。
そして。
隣家に住むUSCAR高等弁務官。
バックナー。
イワンは写真を机へ置いた。
「観光客として沖縄へ向かう」
「確認する」
部下たちは無言で頷いた。
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その頃。
仲村工房。
文が夕飯の支度をしていた。
彩花と美咲が買い物袋を抱えて帰ってくる。
「ただいまー!」
「おかえり」
彩花は靴を脱ぎながら、
思い出したように言う。
「そういえば、おとう」
縁側で新聞を読んでいた
バックナーが顔を上げた。
「そば屋にいたロシア人」
「今日、工房に来てたよ」
新聞を持つ手が止まる。
「……何?」
彩花は続ける。
「紅型見せてくださいって」
美咲が首を傾げた。
「変わった人だったね」
バックナーの表情から笑みが消える。
静かな沈黙。
その時だった。
遠くで黒電話が鳴る。
リン――
リン――
バックナーは受話器を取る。
「……俺だ」
受話器の向こうから、
ジョンの緊迫した声が聞こえた。
「高等弁務官」
「観光客が二名、那覇へ入りました」
バックナーは、
ゆっくりと目を閉じる。
「……来たか」
縁側を渡る風が、
工房の掛け軸を静かに揺らした。
まだ誰も知らない。
この島が、
“世界最大の危機”へ巻き込まれていくことを。
⸻
(つづく)




