記録008|観測|中東:触れてはいけないもの
人は、ときどき。
理解より先に、祈る。
ドバイ。
空が、白く光っている。
「……ここ、砂漠ですよね?」
尚造が高層ビルを見上げる。
「はい」
「なぜ都市を?」
「作ったからです」
尚造は、しばらく黙った。
「……気合ですね」
継は否定しなかった。
外は暑い。
息をするだけで体力が削られる。
「暑いですね」
「50度近いです」
尚造は空を見上げる。
「生存に向いてません」
「だから室内文化なんです」
「外を諦めたのですね」
「言い方」
⸻
ドバイモール。
人、人、人。
店、店、店。
「……まだ中ですか?」
尚造が周囲を見回す。
「まだです」
「街ではなく?」
「施設です」
尚造は少しだけ黙った。
「……大きすぎませんか」
「世界最大級です」
「必要ですか?」
「観光のためです」
尚造は真顔で頷く。
「補給基地みたいですね」
「買い物です」
数十分後。
継が立ち止まる。
「……あれ」
「どうしました?」
「道、分かんなくなった」
尚造は周囲を見る。
「敵地ですね」
「モールです」
「出口が見えません」
「普通に迷ってるだけです」
尚造は少し笑った。
「地下要塞みたいですね」
「ショッピングモールです」
⸻
屋内へ入る。
尚造が、ぴたりと止まる。
「……寒いですね」
「冷房です」
「外より寒いですが」
「そういう国です」
尚造は腕をさする。
「砂漠ですよね?」
「砂漠です」
「なぜ冷やすのです?」
「暑いからです」
「外を?」
「中をです」
尚造は、しばらく考えた。
「……自然と戦ってますね」
継は少しだけ黙った。
「そうかもしれません」
尚造は天井を見上げる。
「洞窟の方が安定しています」
「比較対象どうなってるんですか」
「地中は温度変化が少ないです」
「急に洞窟派になるのやめてください」
「補給も管理しやすい」
継はため息をつく。
「また兵站論始まった」
⸻
高層ビル。
高速エレベーターが上昇する。
耳が詰まる。
「……上がっていますね」
「見れば分かります」
「速いです」
「高速ですから」
尚造は壁を見た。
「攻城兵器みたいですね」
「ロマンチックな感想にしてください」
⸻
そのとき。
遠くから声が響く。
アザーン。
礼拝の呼びかけ。
人々の流れが、少し変わる。
立ち止まる者。
静かに頭を下げる者。
尚造が、その様子を見る。
「……止まるんですね」
「礼拝ですから」
「便利より優先されるのですね」
「そういうものです」
尚造は、しばらく黙った。
⸻
「こちらです」
展示施設。
白く、静かな建物。
余計な装飾がない。
「ここは?」
「展示場です」
「美術館ではないのですね」
「どちらかと言うと、研究施設寄りです」
尚造は、小さく頷いた。
⸻
特設展示室。
床の下に——
“それ”。
色が重なり、線が走る。
整っている。
だが、どこか不安定だ。
尚造は静かに立ち止まる。
「……構造がありますね」
「そう見えますか」
「はい」
一歩、踏み出す。
⸻
最初の来場者。
長い衣を纏った男。
床を見る。
長い沈黙。
「……これは」
言葉が止まる。
継が問う。
「どう見えますか?」
男は、すぐには答えなかった。
「警告だ」
⸻
次の来場者。
研究者らしい女性。
ガラスの上に立つ。
視線が動く。
「構造としては興味深い」
継が頷く。
「そうですか」
「ですが」
女性は、少しだけ声を落とした。
「触れ方を間違えている気がする」
⸻
別の男。
ガラスの手前で止まる。
動かない。
「どうされましたか?」
継が問う。
男は答えない。
ただ——
静かに、祈り始めた。
⸻
会場の空気が変わる。
誰も止めない。
誰も説明しない。
ただ、沈黙だけが広がる。
尚造は、床の下を見る。
「継くん」
「はい」
「ここでは、“分からないもの”を恐れるのですね」
「そういう人もいます」
尚造は、しばらく黙った。
「……正しい気もします」
継は何も言わなかった。
⸻
その日。
展示は中止されなかった。
議論も起きなかった。
ただ——
多くの人が、
言葉にせず、
視線だけを残して帰っていった。
最後まで。
それが何なのかを、
説明する者は、
一人もいなかった。
⸻
(つづく)




