第四十二話 花嫁衣装――約束の糸
ひとつの布が届いた。
それは、ただの絹ではない。
遠い場所から、長い時間を越えて――
“約束”が、届いたのだ。
荷が届いたのは、朝だった。
「仲村工房宛……?」
美咲は首を傾げながら、
木箱を見下ろす。
見たことのない差出人だった。
「……開けてみて」
後ろから、文の声がした。
どこか、いつもより静かだった。
蓋を外す。
中にあったのは――
光だった。
「……きれい……」
思わず、言葉がこぼれる。
柔らかな光を含んだ絹が、
丁寧に畳まれている。
触れるのをためらうほど、
上質な布だった。
「鳥取の養蚕農家からよ」
文が言う。
「お父さんの旧友の……八原さん」
その名前に、
美咲はわずかに目を瞬かせる。
「旧友……?」
文は少しだけ視線を落として――
「……約束、守ってくれたのね」
小さく、呟いた。
「え……?」
「いいの。知らなくて」
それ以上は語らなかった。
ただ、その絹には、
何かが宿っているように見えた。
⸻
「これで、打掛を作る」
美咲の言葉に、全員が顔を上げる。
「彩花の、花嫁衣装」
場の空気が、少しだけ引き締まる。
「ただ綺麗なだけじゃダメなんです」
美咲が、ゆっくりと口を開いた。
「……意味を、持たせたい」
隆司が、静かに視線を向ける。
「意味?」
「この島が通ってきたもの……全部」
海。
戦争。
異国。
そして、今。
「全部、入れたいんです」
一瞬の沈黙。
隆司が、小さく息を吐く。
「……欲張りだな」
「そうかもしれません」
美咲は笑っていた。
「でも、それくらいじゃないと」
その目は、まっすぐだった。
「この布に、失礼です」
隆司は、少しだけ口元を緩めた。
「……いいだろう」
その一言で、すべてが決まった。
⸻
作業は、静かに始まった。
布を広げる。
線を引く。
色を重ねる。
言葉は少ない。
けれど、不思議と噛み合っていた。
「そこ、少し濃く」
「……こうですか」
「いや、もう少しだけ」
迷いがない。
互いの意図が、自然と伝わる。
その時だった。
「あ――」
美咲の足が、わずかにもつれる。
次の瞬間。
ぐらり、と身体が傾いて――
支えられていた。
隆司の腕が、
しっかりと美咲を受け止めている。
音が、消えた。
ほんの一瞬。
けれど、確かに止まった時間。
近い。
息がかかる距離で、目が合う。
「……すみません」
美咲が、かすかに声を出す。
「危ない」
短い言葉。
――それでも、離れない。
支えたまま、
ほんの少しだけ、時間が続く。
美咲の心臓が、ひとつ強く跳ねた。
「……隆司さん」
名前を呼ぶ。
それだけで、何かが変わりそうだった。
⸻
――その瞬間。
「今のほぼ抱きついてましたよね?」
小林だった。
一気に現実に引き戻される。
「ち、違います!」
美咲が慌てて離れる。
「作業だ」
隆司は平然としていた。
「作業であの距離は無理ありますよ」
「うるさい」
いつものやり取り。
けれど、
さっきの感触だけが、消えずに残っていた。
⸻
やがて――
完成した。
打掛が、静かに広げられる。
花が咲き、海が流れ、
異なる世界がひとつの布に重なっていた。
誰も、すぐには言葉を発しなかった。
ただ、見ていた。
そこにあるものを。
「……綺麗ね」
文が、ぽつりと呟く。
それだけで、十分だった。
美咲は、少しだけ息を吐く。
隣には、隆司がいた。
「……できましたね」
「……ああ」
短いやり取り。
けれど。
同じものを見ていると、
わかる距離だった。
ふと、美咲が、小さく笑う。
「……さっきの、
離れるの遅くなかったですか?」
隆司が、わずかに眉を動かす。
「作業だからな」
「……そういうことにしておきます」
視線を外しながら。
それでも、どこか嬉しそうだった。
その横顔を見て、隆司は何も言わない。
ただ――
少しだけ、目を細めた。
布の上で、花が揺れていた。
それはまるで、
誰かの想いが、形になったようだった。
⸻
(つづく)




