第二十七話 崩れるもの
疑うことは、簡単だ。
信じることはーー難しい。
東京。
銭湯・男湯。
湯気。
静かな空間。
だが――空気は重い。
隆司は、湯に肩まで浸かっている。
目は閉じているが、意識は外へ向いている。
小林は、少し離れた場所にいる。
黒田は、壁際で腕を組んだまま。
何も言わない。
ただ、見ている。
⸻
小林
「……妙だな」
ぽつりと呟く。
隆司
「何がだ」
目を開けないまま、返す。
小林
「ここまで来て、
“最後の部品”が出てこない」
「政府が持っている、という話も――」
一拍。
「出来すぎている」
隆司の目が、ゆっくり開く。
隆司
「疑っているのか」
小林
「疑うさ」
即答。
「それが“仕事”だったからな」
沈黙。
湯気が、ゆらぐ。
⸻
健一
「……小林さん」
少し離れた場所から、声がする。
健一は、立ったままだ。
湯にも浸からず、二人を見ている。
健一
「さっきから……」
言葉を選ぶ。
だが、選びきれない。
「おかしいんですよ」
彩花たちのいる女湯とは違う。
ここには、逃げ場がない。
健一
「なんであなた――」
一歩、踏み出す。
「公安の動きも、CIAの動きも」
「“知ってる前提”で話してるんですか」
沈黙。
小林は、視線を逸らさない。
ただ、見ている。
健一
「……答えてください」
声が、わずかに震える。
「小林さん」
一拍。
「あなた、CIAの手先ですか?」
空気が、止まる。
黒田は動かない。
止めない。
隆司も、動かない。
ただ、小林を見ている。
小林は――
笑った。
小林
「……そう見えるか?」
健一
「見えますよ」
即答。
「だってあなた――」
言葉が、溢れる。
「紅型のことになると、普通じゃない」
「執着してる」
「それに――」
詰まる。
健一
「……信用できない」
静寂。
小林の表情が、消える。
小林
「……そうか」
それだけ。
隆司
「やめろ、健一」
低く言う。
健一
「やめませんよ」
初めて、隆司を見る。
「だって――」
「このままじゃ、誰が敵か分からない」
隆司は、何も言わない。
⸻
その時。
女湯側の扉の向こうで、
小さなざわめきが起きていた。
番頭
「ちょ、ちょっと!」
「そちらは男湯で――」
慌てた声。
暖簾の向こうで、
誰かが制止されている。
美咲の声が、静かに返る。
美咲
「すみません、うちの連れが」
一拍。
番頭
「え、連れ……?」
言葉が詰まる。
⸻
ガラリ。
女湯側の扉が、開く。
美咲と彩花が入ってくる。
空気を、一瞬で読む。
彩花
「……え、なにこの空気……」
美咲は、全員を見る。
そして――
健一を見る。
美咲
「健一」
静かに呼ぶ。
健一
「……でも、美咲さん――」
美咲
「違うよ」
一言。
空気が、止まる。
美咲
「この人は、そっち側じゃない」
小林の視線が、わずかに揺れる。
健一
「……なんで分かるんですか」
美咲
「分かるよ」
迷いなく言う。
「見れば」
沈黙。
隆司は、何も言わない。
ただ、ほんの少しだけ視線を落とした。
美咲は、小林に向き直る。
美咲
「……見ますか?」
小林
「……何を」
美咲
「紅型です」
黒田の眉が、わずかに動く。
だが、何も言わない。
隆司
「……いいのか」
美咲
「うん」
一拍。
隆司
「……分かった」
⸻
健一宅
机の上に、布が広げられる。
静寂。
小林は、それを見た。
動かない。
時間だけが、流れる。
小林
「……違う」
ぽつりと。
誰も、動かない。
小林
「……これは」
声が、かすれる。
「……これじゃない」
膝が、わずかに崩れる。
小林
「……こんなはずじゃ」
誰も、言葉を挟めない。
小林
「……25年だぞ」
笑う。
乾いた笑い。
「25年、探して」
「これか?」
沈黙。
小林は、何も見ていない。
その時――
小林
「……この匂い」
小林の手が、止まる。
呼吸が、乱れる。
小林
「……あの時も」
誰も、何も言わない。
小林
「……甘かったな」
沈黙。
小林は、目を閉じる。
そして――
何も言わなくなった。
黒田は、壁にもたれたまま。
ただ、見ている。
⸻
誰も、動けない。
空気が、重い。
壊れたものは、
簡単には戻らない。
⸻
(つづく)




