第二十八話 戦争の影は、静かに迫っていた
東京の社交界で、
ある噂が静かに広まり始めていた。
それは――
遠く沖縄から伝わった「布」の話。
紅型職人・仲村隆造と尚造が手がける、
島々の地形と暮らしを織り込んだ紅型地図。
それは芸術であり、
同時に「全体を見渡すための道具」でもあった。
敗戦の気配が濃くなる中、
人々は美だけでなく、情報を求め始めていた。
やがてその噂は、吉田茂の耳に届く。
「日本滅亡とは何か――」
その問いが生まれた時、
仲村家は再び、歴史の中へ引き込まれていく。
1943年・沖縄 墓地
風が、静かに吹いている。
石の前に、
一人の少年が立っていた。
隆司、十三歳。
まだ幼さを残しながらも、
その目はどこか静かだった。
墓石には――
「比嘉秀伍」の名。
隆司は、ゆっくりと手を合わせる。
「……じいちゃん」
一拍。
「よく分からないけどさ」
視線を少し落とす。
「皆、忙しそうなんだ」
遠くで、軍靴の音。
「戦争って、そんなに大事なものなのか?」
答えはない。
風だけが吹く。
その時。
「……君」
背後から声。
振り返る。
見知らぬ男が立っていた。
整った身なり。
軍人ではない。
だが、ただ者でもない。
「その墓は――」
隆司は答える。
「祖父です」
男は、墓石を見つめる。
「……比嘉秀伍」
一拍。
「海の人だったそうだね」
隆司は、少しだけ頷く。
「詳しくは、知りません」
正直な答え。
男は、わずかに目を細める。
「そうか」
沈黙。
やがて男は言う。
「君、名前は?」
「隆司です」
男は、その名を反芻する。
「隆司……」
一拍。
「覚えておこう」
それだけ言って、踵を返す。
隆司は、呼び止めない。
ただ、その背を見送る。
風が吹く。
隆司は、もう一度墓を見る。
「……じいちゃん」
小さく呟く。
「なんか、変な人に会った」
間。
「でも」
少しだけ空を見る。
「ちょっとだけ――」
「面白そうだ」
⸻
東京・尚家邸
豪奢な応接間に、
沖縄本島の紅型が飾られている。
その鮮やかな色彩と緻密な地形表現は、
社交界の婦人たちの間で話題になった。
「まあ、この紅型、
どこかの王族の家の逸品だって聞いたわ」
「そうそう、
沖縄の島々が布に刻まれているって噂よ」
その美しさを耳にした吉田茂は、
書類と書斎の灯りの中で目を細めた。
戦況は日増しに悪化していた。
「もし、このままでは……
日本は滅びるかもしれん」
吉田は自問した。
そしてふと思い出す――
沖縄の島々を記した紅型の噂。
吉田は秘書に声をかけた。
「君」
一拍。
「あの沖縄の紅型、詳しく調べてくれ。」
「注文も出しておけ」
秘書は書類を手早く整理する。
「承知しました」
「社交界で噂の紅型地図、仲村工房ですね」
情報を得た秘書は、
すぐに東京尚家の現当主(尚典の孫)へ
問い合わせる。
そして仲村工房の連絡先を入手し、
旅支度を始めた。
沖縄の海風は、
まだ平穏を装っていたが、
戦争の影は確実に島々へ迫っていた。
そして、紅型と仲村家――
文化の守護者の運命も、
戦争の渦中へと引きずり込まれようとしていた。
⸻
(つづく)




