乾杯
「桐谷さん、飲める水が手に入りましたよ」
俺の言葉に、桐谷さんはびっくりするほど喜んでくれた。
いつまでも喜びの舞を続ける桐谷さんを、大浦さんが「どうどうどう、もう分かったから、そろそろ落ち着いてくれ」と宥めている。
俺は、厨房の台の上を狙ってミネラルウォーターを出した。
出現した水差しが、バランスを崩して、ぐらり、と傾ぐ。
それを大浦さんと桐谷さんが両腕を伸ばして必死で支えた。
その拍子に、バシャシャッと水が盛大にこぼれる。
「うわ、ごめんなさいっ!」
一度床に出して、それから持ち上げるべきだったか……。
2人とも、袖がびしょ濡れになってしまった。
「大丈夫大丈夫、ただの水だし、乾けば元通りだよ」
ああ、大浦さんの腕時計も、水浸しになっている。
「うん? これは生活防水だから、このくらい平気だぞ。どうせ止まってるし外しておくか」
「あの、俺、タオル探してきますっ」
2人とも俺を気遣ってくれるけど、それが余計に申し訳なくて、俺は逃げるように厨房を飛び出してしまった。
確か洗面所にタオルがあったはずだ。
俺は洗面所から続くリネン室のような場所から同じようなタオルを4枚つかんだ。
途端、頭の中に文字が浮かぶ。
そうか。タオルも同じ形のものが沢山あるからマージ対象なのか。
今はひとまずこのまま届けるけど、後でやってみよう。
俺は厨房に戻ると、2人に2枚ずつタオルを渡して、再度謝りまくってから「着替えがないか探してきます」と言い残してもう1度厨房を出た。
部屋にはクローゼットがあったけど、どこにも服どころかハンガーすらかかっていない。
タオルはマージすると大判のバスタオルになったが、それをマージしてもバスローブではなくシーツになってしまった。
この流れだとこのまま布団ができる気がする。
せめて少しでも服っぽいものから始めないと……。
そこでふと、使用人室に裁縫箱があったことを思い出した。
俺は出来立てのシーツを掴んで使用人室に入ると、裁縫箱を開ける。
ハサミに……針に、糸。
よかった、なんとかなりそうだ。
ああ、針と糸はマージ可能なアイテムなんだな。
マージゲームだとハサミは一段階戻すアイテムの印象があるが、この裁ち鋏にそんな効果はなさそうだ。
俺はシーツの真ん中をザクザクと切り、2枚の長い布を作った。
その真ん中に頭を通す穴をあけて、両脇を直線縫いで縫う。
えーっと……玉留めはどうするんだったかな……。
裁縫なんて中学の授業でやったのが最後だけど、それでも未経験じゃないだけやりようがある。
日本の義務教育ってのは、将来どう転ぶか分からない子ども達に、なるべくあらゆることを経験させようとしてくれてたんだな、と、改めて教育に携わってくれた全ての人に感謝する。
拙いながらも、なんとか原始的な……なんだっけこれ、ああそうだ、貫頭衣か。
貫頭衣の2着目が縫い終わる頃、大浦さんの声がした。
「ここにいるぞ!」
続いて、桐谷さんが「よかったぁー、どこに行っちゃったのかと思ったよぉ」と言いながら小走りでやってくる。
「あ……ごめんなさい、心配をかけてしまいましたか……」
服を探しに行った俺がなかなか戻らないせいで、2人は心配して探しに来てくれたようだ。
「いやぁ……まさか、手縫いで服を作ってるとは思わなかったな……」
「えっ、それって私達のために!? 良平君が縫ってくれたの!?」
「あっ、決してこんなボロボロの服を着てもらおうと思ってたんじゃないんですっ!」
慌てて言い訳をすると、2人は不思議そうな顔をした。
俺は「マージ開始」と唱えて、2人の目の前で、2枚の貫頭衣をマージする。
出来上がったのは、シンプルなパジャマのようだった。
「「おおー!」」
2人が歓声をあげて拍手をしてくれる。
サイズはどうだろうか……。
持ち上げてみるけど、身長170cmの俺でちょうどいいくらいに見える。
フリーサイズくらいの大きさかな……。
「オレは元々七分袖だったしもう乾いたよ。それは桐谷が着ればいいんじゃないか?」
「大浦さんじゃ元からサイズが無理だと思うけど……、うん、ありがたくいただきまっす」
桐谷さんがニコニコ顔で、俺の手からパジャマを受け取ってくれる。
生成り色の前開きのパジャマは、ホテルの備え付けパジャマくらいのシンプルな作りだったけど、優しくてあったかい桐谷さんには、飾らない素朴な色がよく似合いそうな気がした。
「私も袖は拭いたし、料理する時はどうせ捲るから、寝る時にパジャマとして使わせてもらうね」
「はい。あの、お二人とも、さっきは本当にすみませんでした……」
「あはは、もう、最初から気にしてないってば。調理場なんて濡れるのしょっちゅうなんだからね」
「そうそう、あんまいつまでも気に病むなって。ただの事故だって皆わかってんだしな。ただ次からどうすんのがいいかは考えるべきだがなぁ……」
大浦さんはそう言うと、うーんと考え込む。
桐谷さんも「あの水差しをあのまま運ぶのは重いしねぇ」と頷く。
「あ、それじゃあ、今度からは厨房までその前の段階で持ってきてから、厨房でマージしますね」
俺が答えると、2人は声を揃えて「「それだ」わ!」と言って笑った。
「……でも実は、もうひとつスマホに『ミネラルウォーター』を入れてるんですが……」
「正直、料理に使える水はもっと欲しい!」
「顔洗ったり体を拭くのにもいるしな。よし、んじゃ皆で構えて、せーので出してみるか?」
「いいね、やってみよう!」
「よろしくお願いします」
厨房に戻って、今度はしっかり腕まくりをして構えてくれた2人のおかげで、俺は無事に『ミネラルウォーター』をこぼさず出すことができた。
「『ミネラルウォーター』をマージしたらこんな物もできたんですが……」
俺がゴトゴトと6本の『瓶入り炭酸水』を作業台に出すと、早速桐谷さんが「食材鑑定」と唱えている。
「わぁ、炭酸水なの!? すごいねぇ。早速飲んでみてもいい?」
「はい」
桐谷さんがコルク栓をタオルで覆って慎重に抜き始める。
その横で大浦さんは『瓶入り炭酸水』の一本を持ち上げて難しい顔をしていた。
どうしたんだろう。
「なあ、これってどうやって作ったんだ?」
「ええと、厨房から持ち出したカップに池の水を汲んで、それをベースにマージしました。水のカップ2つで『ミネラルウォーター』の水差しが1つになって、『ミネラルウォーター』の水差し2つで『瓶入り炭酸水』が6本できました」
俺の答えに対して、大浦さんは「ふむ」と呟いたきり、まだ難しい顔のままだ。
もしかして、池の水を元にしたのがまずかったのかな?
けど雑草を元にした野菜や果物は抵抗なく食べてたみたいだけど……。
「もしかして……、これをさらにマージしたら、そのうちビールとかできるんじゃないか……?」
あ、それを考えてたのか。
俺は内心でホッとしつつ、曖昧に笑って「どうでしょうか」と答える。
今のところ、池の水が『ミネラルウォーター』になって、『瓶入り炭酸水』になっただけなので、酒になるかと言われるとなんとも言い難い。
ひとまずスタートがカップに汲んだ水という飲用を思わせるスタイルだったので、無事飲み水の方向に誘導できたとは思うけど、そこからお酒に……なるかなぁ……?
「それよりも、ワイングラスやビールジョッキに炭酸水を入れたものを2つ作ってマージした方が、お酒が出る確率は上がりそうですね」
「ああ、なるほどなぁ……。いや、マージってのは奥が深いな。良平はよくそんなことをポンポン思い付くなぁ、やっぱり天才なんじゃないか?」
心底感嘆しているような大浦さんの声に、俺はくすぐったいような思いで答える。
「俺はただ、マージゲームをあれこれよく遊んでただけですよ」
こういうパズルゲームには一定のパターンがあるからな。
単に俺が、それを把握してただけだ。
むしろ、それだけ勉強もしないで遊び呆けていたとも言えるのに、こんな事を褒められてしまうと、誇らしさより先に申し訳なさがきてしまう。
そこに、ポンと軽快な音がして、次いでシュワワワワワと涼しげな音が響いた。
「あーっ、もったいないぃぃぃ」
炭酸水はしっかり炭酸が効いていたようで、溢れ出した分がタオルに吸い込まれてゆく。
「あ、オレも味見味見」
「冷えてないし無糖だけどいい?」
「そんな贅沢言うかよ」
「俺も少し飲んでみたいです」
「少しと言わず好きなだけ飲んで。これは良平君が工夫して作ってくれたんだから」
グラスに注がれた炭酸水を、桐谷さんが最初に俺に差し出してくれる。
「え、いや、俺は最後で……」
「何言ってんの、今日の功労者賞は間違いなく良平君だからね? 私達は良平君にいっぱい助けられてるよ、色々考えてくれてありがとうね」
にっこり笑顔で差し出されたグラスを、俺はおずおずと受け取る。
桐谷さんは手際良く3人分の炭酸水を注いで、俺達は右手にグラスを構えた。
大浦さんは俺と桐谷さんを見てから、ひとつ頷いて口を開く。
「そんじゃ、今日の功労者、良平にかんぱーい!」
「ええっ」
「かんぱーいっ」
戸惑う俺のグラスに、2人は当然みたいな顔をしてグラスを合わせてきた。
2人からニッと微笑まれて、さらに気恥ずかしくなってしまう。
「い、いただきます……」
シュワシュワと弾ける炭酸水が口元をくすぐって、なんだかとても嬉しくて、俺はどうしようもなく口端を緩めてしまった。




