桐谷さんの腹時計
もしかして、大浦さんがサーモンだって言ってた『ニジマス』は卵をもってたりしたんだろうか。
お腹が膨れてるかどうかまでは見てなかったなぁ……。
あ、でも今まで作ったやつはアプリの図鑑に残ってるのか?
俺はアプリの画面上部にある図鑑マークをタップしてみる。
生き物、魚……。
『ニジマス』
これだ。
えーと、雄の姿と雌の姿がそれぞれ表示されてるな。
あ、雌は卵を持っている個体もいるって書かれてる。
よく確認しておけば良かったなあ。
卵は桐谷さんに取り出してもらうのがいいのか、それともアンマージでも分離させられるのか……。
やってみないとわからない事だらけだな。
牛乳に関しては、まずは哺乳類を手に入れるとこからか。
先は長そうだけど、大浦さんと桐谷さんが協力してくれれば意外とすぐな気もする。
だって、今日1日で衣食住の食と住の方は概ねなんとかなったんだしな。
俺はようやく力の入るようになってきた手を、もう一度開いて、閉じる。
うん、そろそろ起き上がれそうな気がする……。
急に起きて目を回さないように、ゆっくりと体を起こしていると、パタパタと駆け寄る軽快な足音に続いて、食堂から応接室に続くドアがバタンと開いた。
「良平くーん、ご飯の準備できたよー。……あれ? 大浦さんは? トイレ?」
桐谷さんの言葉に答えようと口を開いた時、玄関ホールから扉の音がした。
「今帰ったぞー」
大浦さんの声だ。
途端、桐谷さんが楽しそうに笑った。
「あははっ、大浦さんってひと昔前の飲んだくれ親父みたいな事言うよねぇ」
そ、そうなんだろうか……?
桐谷さんは応接室から玄関ホールへ続く扉を開けて元気な声で答える。
「大浦さんおかえりなさーいっ、タイミングバッチリ! 夕ご飯できたとこだよーっ。手を洗って…………、の前に……」
玄関へ顔を出していた桐谷さんが、ぐるんと俺の方に向き直った。
「良平君、ちょっとマージできないか見てもらいたいのがあるのよっ」
え、なんだろう。
「立てる? 歩ける? 私が持ってくる方がいい?」
「えっと、多分大丈夫だと……」
「良平、少しは気分良くなったか?」
「あ、はい」
「立つのか? ほら、オレに掴まって、ゆっくりな」
「じゃあ反対側は私が支えるねっ」
「い、いやいや、そこまで重病人じゃないですよ!?」
俺が慌てると、桐谷さんが「じゃあここに座ってて、私が持ってくるから!」と言い残して食堂の方へ駆けて行った。
駆け戻ってきた桐谷さんが俺に差し出したのは、石でできた四角い……。
……なんだこれ?
「これ多分、石鹸置きだと思うのよ。洗面所とトイレにあったのが同じ形だったの、マージできないかなぁ……?」
なるほど、調味料入れから調味料ができたので、同じ事ができないかと思ったのか。
「やってみますね」
俺は頷いて、手のひら大ほどの四角くて平たい石に触れる。
頭の中に文字が浮かぶ。
桐谷さんの狙い通り、マージ対象みたいだ。
「マージ開始」
光る手で石を重ねると、燻んだ色の素朴な石鹸が乗った石鹸置きに変わった。
石鹸は四角いが、石鹸置き自体は四角い石から丸く滑らかに加工された白い石になっている。
「やったあっ! これで手も洗えるし顔も洗えるし食器も洗えるわっ!」
「そんな使いまくったら一瞬で無くなるんじゃないか?」
「う……、それは……そうだけど……」
「大丈夫ですよ、明日は木でも家を作ってみる予定ですし、石の家ももっと上の段階に進めてみますから」
遠慮なく使ってください、と微笑むと、桐谷さんはホッとした顔をした。
一方で大浦さんは思案顔だ。
「なあ、その石鹸って、真っ二つにしたらまたマージ出来たりしないのか?」
「ああ、できるかもしれませんね。ただ、石鹸ではないものになってしまう可能性もありますけど……」
俺の言葉に、桐谷さんが難色を示す。
「裏にあった薪はマージすると木材になったので、その手でずっと増やせそうでしたよ」
「へぇ、そうなのか」
「そうなんだ! 燃料に余裕があるのは有り難いね。今夜、厨房の火を落とそうかどうしようか迷ってたんだぁ」
ひとまず石鹸をさらにマージしてみるのはまた今度にして、俺達は出来立ての石鹸とバスタブから汲んだ水で、手を洗った。
作業場を兼ねている洗面所は広いので、3人が横に並んで手を洗っても余裕がある。
学校の手洗い場くらいの広さかな。
「なんか学生の頃に戻ったみたい」
桐谷さんも俺と同じことを思ったのか、そう言って笑った。
「じゃじゃーーーんっ! 秋の野菜づくしとヒラメの活き造りだよっ」
食堂の席に着くと、桐谷さんが両腕を広げて料理を披露してくれた。
「あ、それとこれ、なるべく同じ形になるように、残りのサクを切っといたんだけど、マージ対象にならないかなぁ? ほら、ここには冷蔵庫がないから……」
桐谷さんが、皿に乗せた同じような魚の身の塊2つを差し出してくる。
こういう四角い身の塊を「サク」って言うんだな。
「やってみますね」
スマホをかざしてみると『ヒラメのサク』という名前で無事取り込むことができた。
「それ、マージしたら何になるんだ? マグロとかにならないのか?」
大浦さん、マグロが食べたいんだろうか。
「えっ、やっちゃう? やってみちゃう? 明日それ揚げ物にしようと思ってたけど?」
「うぐっ、ヒラメの素揚げは捨て難いな……」
2人の掛け合いに笑みを浮かべつつ、俺は言う。
「今日はここにあるだけで十分過ぎる量なので、また明日考えましょうか」
「では本日のメニューをご紹介しまーすっ」
桐谷さんはそう言って、食卓に並ぶ美味しそうな品々をひとつずつ説明してくれた。
「まずはメインのヒラメの活き造り! 良平君のはお醤油だけど、大浦さんにはからし醤油を用意してみたよ」
「へぇ、ワサビがわりか。面白いな」
「これは根菜の煮物ね、かぼちゃ、レンコン、ニンジン、ゴボウを使ってるよ。こっちは、さつまいもとキノコの醤油炒め。これが里芋の味噌田楽。お味噌汁は出汁が無い分具沢山にして、椎茸の旨みを最大限に引き出してるから、十分美味しく出来てるからねっ」
「わぁ、どれもすごく美味しそうですね」
「もちろん! これでもプロだよ?」
胸を張る桐谷さんが自信に溢れていて、あまりの眩しさに目を細めてしまう。
ご飯は味噌汁椀と同じお椀に入ってるので、味噌汁を作るときに工夫してくれたんだなぁ。
お箸もちゃんと3人分揃えてくれていて、本当にありがたいなと思う。
「桐谷さんが来てくれて、本当に良かったです。ありがとうございます」
「本当になぁ、桐谷がいなかったら果物しか食えなかったかもな」
「ふふ、そう言ってもらえてよかったよ。さ、食べよう」
「はい」
「おう」
俺達は手を合わせて「「「いただきます」」」と声を揃えた。
「うまっ!」
刺身とご飯を口にもりもり詰め込みながら言ったのは大浦さんだ。
ヒラメの刺身はぎゅっと身が引き締まっていて、コリコリしていた。
ヒラメもえんがわも回るお寿司屋さんで食べたことがあったけど、こんなにプリプリコリコリしてはいなかったと思う。
それに、コリコリした身を噛めば噛むほど、じわじわ甘味が増してくる。
「本当に、すごく美味しいです……」
「活き造りはこの歯応えがウリだよねぇ。旨味自体は、今日よりも明日、明日よりも明後日の方が増してくるんだけどなぁ……。……っ、ここに……冷蔵庫があれば……っっ」
桐谷さんが心底悔しげに拳を握り締めている。
お箸が折れないか心配なほどだ。
「冷蔵庫だけあったところで電気がないだろ」
「うっ、そうだった……電気…………」
電気かぁ……。それはまだ見当もつかないなぁ。
冷蔵庫なら想像はつくんだけど、これも氷がなぁ……。
「氷さえ手に入れば、氷冷の冷蔵庫なら出来そうですが、……肝心の氷を出せる気がしませんね」
「氷……氷……」
「うーん……。氷なぁ……」
2人も今のところアイデアはなさそうだ。
「荒野の辺りは夜の放射冷却で氷ができる可能性もあるが、肝心の夜がまだまだ来そうにないんだよな……」
「日時計はどうでしたか?」
「それが、ほんのすこーーーーし進んでたんだよな」
「……そうですか……」
時間が止まってるならそれはそれでよかったんだけど、進んでるとなると……厄介だな。
この長い昼が終わったら、何日も明けない長い長い夜が来るってことだから……。
俺と大浦さんが苦い顔になると、桐谷さんが首を傾げた。
「今の時間が知りたいなら、私に声をかけてもらえれば大体わかるよ?」
ええっ、すごい……。
「じゃあ今は何時だ」
「今は19時15分くらい」
あまりにさらっと答えが戻ってきて、大浦さんもギョッとする。
「すごいな、桐谷の体内時計……」
「私の腹時計は、6時、12時、15時、18時の1日4回必ず鳴るからね。ちょっと感覚がずれても、そこで修正できるからそうそう狂わないよ」
体内時計じゃなくて、桐谷さんの時計は腹時計なんだ。
大浦さんが苦笑する。
「ふむ。そんじゃしばらくは桐谷の腹時計に頼らせてもらうか」
「いつでも聞いてねっ」
「よろしくお願いします」
俺が軽く頭を下げると、桐谷さんは嬉しそうににっこり笑ってくれた。




