刺身が食いてぇ
あ。そうだった。
大浦さんの困惑の声で我に返った俺は、このバスタブが現れた経緯と、水は手洗いや洗顔に使ってほしいと説明して、傍に置かれた水汲み用の片手鍋を指す。
「へぇ、そりゃすごいな。もう少し生活に余裕が出たら、ぜひこのバスタブで湯に浸かりたいもんだな」
確かに、俺もゆっくり風呂には入りたい。
でも……。
「この家にはそもそも浴室がないので、バスタブをもう一度出すよりも、家そのものの段階を上げる方が良さそうですね」
「次の段階を作るのに、この家はもう使えないんじゃないか?」
確かに、この家からはかなり色んなものを持ち出してるからな……。
「9段階目を最初から作る場合は、『石ころ』が256個必要ですね」
「ふむ、まあ無理な数ではないな」
「明日はそこを目指してみますか」
石ころは、荒野まで行けば広く果てしない土地にゴロゴロ落ちてるからな。
葉っぱに比べれば、ずっと枯渇しにくい資源だ。
「明日、なぁ……。……やっぱもう夕方くらいだよな?」
言いながら、大浦さんは窓の外を眺めた。
「体感的にはそんな感じですね。外の景色はずっと朝ですけど」
「体内時計が狂いそうだ……」
「あはは、俺もです」
そんな会話を交わしつつ大浦さんの後をついていくと、応接室にたどり着いた。
ドカッとソファに座った大浦さんが、俺にも着席を促してくる。
応接室のソファは思ったよりもふかふかで、体が沈んだ。
「ほれ、マージするなら今のうちだぞ。桐谷が夕食を作ってる間がチャンスだ」
ああそうか。
大浦さんは気づいていたのか。
俺が、小魚からカエルやタニシが出たらどうしようかと思っていた事に……。
大浦さんがニヤッと笑って言う。
「桐谷が狙ってんのが途中で出ても、黙っといてやるから。心配しないでやってみろよ」
「ありがとうございます」
「オレも、魚が何になんのか知りたいだけだよ」
「あ、そういえば、薪は木材から角材になって板材になりましたよ」
「薪をマージしたのか! 木材が手に入るのはありがてぇな」
「はい、この先はまだ作ってないんですが、おそらく壁が出て小屋ができる流れかなと予想してるところです」
「なるほどなぁ。まだこの土地の気候だとか雨の程度が分からねぇから、木造と石造りとどっちがいいのか判断できんが、どっちも作れるようなら安心だな」
「これも明日マージを進めてみますね」
「おう、なんか良平ばっかり頼って悪ぃな」
「いえいえ、俺は材料係ですから。いざ町づくりとなれば、大浦さんが大活躍ですね」
微笑んで答えると、なぜか大浦さんは額を片手で押さえて微妙な顔をした。
「いやいや……良平はまだ高校生だろ? こんだけ活躍したら、もうちょい調子に乗ったりしないもんかね?」
「……?」
活躍と言われても、俺がやってる事は小学生にもできるようなパズルゲームの操作だけだ。
建築知識や調理知識を元にした複雑なスキルを持つ2人に比べてしまうと、調子に乗りようがないと思うんだけどな。
「……まあ、元から良平はそんな奴だったよな」
「元から……?」
「ああ、オレ実は結構良平と同じ電車になる事あったんだよな、そんで、電車で老人とか妊婦さんに席を譲ってるとこを何度かみた事があんだよ」
「そうだったんですか……」
俺は大浦さんの事を、いつも珍しい形の荷物を持ってる人だななんて思ってたけど、大浦さんも俺の事を認識していたなんて、なんだか意外だ。
「桐谷が二日酔いだった時にも席を譲ってただろ?」
「えっ?」
そんな事があっただろうか……?
あんまり席を譲った相手のことをその後まで覚えてないな……。
「あんとき多分、周りの奴も桐谷が具合悪そうなのは気付いてたと思うんだよ。けど酒臭いもんだからさ、こいつ二日酔いだなって思うと、譲る必要あんのか? 自業自得だろって思ってたんだけど、お前がスッと譲ってやるもんだからさ……」
「いやえっと、俺には二日酔いかどうかなんて分からなかったので……」
「それ見てさ、二日酔いかどうかなんて関係なかったなとオレも思ったよ。具合が悪い奴には譲ってやる、それだけで良かったんだよなって」
「はぁ……」
そんな風に言われると、どんな顔をしたらいいのか分からなくなってくる。
「それだけじゃないぞ。お前、自分が熱出してる時にも老人に席譲った事あっただろ?」
「なっ、なんでそれを……」
「たまたま現場に向かう途中に、いつも朝見かける奴が、私服にマスクで別方向の電車に乗ってるから気になったんだよ、真面目な奴っぽいのにサボりか? ってな」
あの日は熱があって、母親と一緒に2駅先の病院に向かっていた。
母がひとつだけ空いていた席に座るよう勧めてくれて、そこに座った途端、杖をついてぷるぷる震えるお爺さんが乗ってきた。
誰か譲ってくれたらいいなと思ってたんだけど、誰も席を立たなくて、俺が立った。
母さんが「あんたは熱があるんだから座ってなさい」って言ったけど「2駅だけだから平気だよ」と答えた。
実際は俺も結構プルプルしてたけど。
「ああ、母親と一緒に乗ってんのか、熱出して病院に行くとこなのかって、会話から分かってさ。すげぇなこいつ、自分が具合悪くても、老人に席譲んのかよって思って、それからこっそり一目置いてたんだよ」
「そうだったんですか……。知りませんでした……」
「言わずにいようかとも思ったんだけどな、なんかストーカーみたいだろ?」
そう言って大浦さんは居心地悪そうに苦笑した。
「い、いえいえっ、たまたま電車で一緒になった時の事なんで、気にしないでくださいっ」
「桐谷も、二日酔いン時に良平に席を譲られたのを覚えてたんだろうよ。今回は、あん時の恩返しのつもりでついてきてくれたんじゃないかと、オレは思ってるけどな」
言われて、なんだか納得した。
桐谷さんは、どうして見ず知らずの俺達の心配をしてくれたんだろうって不思議だったから。
けど、知らなかったのは俺だけで、2人は俺の事を知っていてくれたんだな……。
口端がむずむずしてしまって、俺は片手で口元を覆った。
「良平?」
「いや……、なんか、嬉しいなと思って……」
「そこでキモイなと思わないとこが、お前らしいよ」
そう言って大浦さんは淡く笑った。
なんだかすごくホッとして、俺もつられて微笑む。
「じゃあマージしていきますね」
「おう、頑張れ。刺身が食いてぇ」
大浦さんの最後の一言に苦笑しながら「マージ開始」と唱える。
『小魚』を重ねると、少し大きな魚ができた。
「……鮎か……?」
俺のスマホをのぞく大浦さんが呟く。
アイコンの絵だと小さ過ぎてわからないんだろう。
説明文には確かに『鮎』と書かれている。
「鮎ですね」
「川魚だなー、鮎ならやっぱ塩焼きだな」
『鮎』が全部で16匹できたので、大浦さんが捕まえてきた『小魚』は全部で32匹だったようだ。
『鮎』を重ねると、さらに大きな魚になった。
「ニジマスか?」
大浦さんの言うとおり、説明文には『ニジマス』と書かれている。
「そのようです」
「サーモンと同じで刺身で食える魚だな。養殖じゃないと寄生虫がいるって言われる魚だが、この場合はどうなんだろうな……」
「途中を残さずマージしたらピッタリ6段階まで進められる数ですが、鮎やニジマスは残しますか?」
「んー…………、いや、まずは6段階目まで行くか。途中のが欲しけりゃ明日また獲ればいいしな。罠は仕掛けといたから、明日またあげれば何匹かかかってるだろう」
「はい、続けますね」
「……別に俺に聞かなくても、お前の判断でやってくれていいんだからな?」
大浦さんが心配してくれるので、俺は笑って「はい」と応える。
「俺が気になってるのは、この小魚が最終的に人間もしくは陸上生物の元になるかという点なので、途中の魚は大浦さんのお好みで残しますよ」
俺の言葉に、大浦さんは心底驚いたような顔をした。
「え、これ……。この魚って、もしかして、人間の、元になるのか……?」




