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 空港に降り立つと、そこは夏の日差しの眩い南国の地であった。

 大地はそのまま空港前に停められたタクシーに乗り込み、朱里が入院している病院の名を告げる。

 実に会うのはヴァッケン以来三ヶ月ぶりとなる。毎日メッセージでやりとりはしていたものの、本当に体が良くなったのかは半信半疑だった。なにせ術後体調の良かった時は、一日もないと言ってよい。いつも朱里は苦しそうであるか、もしくはそれを払拭するために自分を痛痛しいまでに鼓舞しているかのいずれかだったから。

 病院へは間もなく着いた。大きく聳え立つ真っ白な建物には、かねて朱里から聞いていた病院名が書かれている。

 運転手はタクシーをその正面に止める。大地は高鳴る鼓動を抑えながら降り立った。

 正面玄関を入るとそこには、花や木が至る所に飾られており、あたかもリゾートホテルのようなロビーが広がっていた。

 そこに、ーー朱里が歩いてきた。

 自分でピンク色のスーツケースを引っ張って、白いくるぶし丈のワンピースを着て。ポニーテールにはリボン。大地を見てふんわりと微笑む。

 大地は時が止まったように感じられた。そして信じられないとばかりに息を呑んだ。

 どうしたの? とでも言うように朱里は顔の横で小さく手を振る。

 大地は慌てて駆け寄って、そのままきつく抱きしめた。

 「朱里!」

 朱里の手が「きついよ」とでも言うように、大地の背を軽く叩く。

 大地は腕を緩め、肩を持ち今度はしっかりと真正面から朱里の顔を見つめた。

 頬はほんのりと染まり、少し頬もややふっくらとして女らしい顔立ちになったように見えた。それに表情が柔和である。

 「元気になったんだな!」大地は言う。朱里は恥ずかしそうにゆっくりと頷く。

 「いがった!」再度大地は抱きしめる。「本当に、いがった!」

 涙ぐんだ目でもう一度朱里を見つめる。

 真っ白なワンピースが眩しかった。あたかもそれは、ウェディングドレスを着た花嫁のように大地の目には映った。

 「……花嫁様みてえだ……。」

 朱里は恥ずかし気に俯く。

 「朱里、日本さ一緒に帰ったら、俺と夫婦めおとになってくれ」

 朱里は目を丸くする。しかし大地は引かない。

 「おめと一緒にいてえんだ。これからはずっと。もう、どっこも一人で行ってほしぐねえ」

 朱里は信じられないとばかりに唇を震わせた。

 「だから、夫婦になんべ!」

 朱里の目から涙が零れ落ちた。そして、目を閉じて小さく頷く。

 「朱里! もうこれからは絶対一人にはしねえからな!」

 大地はまたきつく抱きしめた。


 その後は、早かった。

 空港に着くなりカルティエの免税店を見つけ、大地はそこで朱里にダイヤモンドの入った婚約指輪を買った。ものの十五分の内にである。

 それぞれの両親にも、また、大河にもルアンにも結婚の報告しなければならない。それも手間だから、全員に空港に来てもらおうということになり、大地は到着時刻を伝え六人を呼びつけた。元々大河とルアンは空港で出迎える予定だったが、それぞれの両親は急な呼びつけである。でも朱里が頼んだら朱里の両親はすぐに来る、という返事であったし、大地の両親は農作業もあって少々難儀はしたが、それでも結局来てくれることとなった。


 大地と朱里が成田空港に到着すると、早速そこには六人が待っていた。

 「シェリーちゃん、いい顔色してっごど!」真っ先に朱里の母親は手を叩いて喜び朱里を迎えた。「本当にいがっだ、いがっだ!」

 「大地君せっかくタイまで行ってとんぼ返りとは、迷惑をかけたねえ」朱里の父はそう言って大地を労う。「外にハイヤーを停めてあるから、それでみんなで帰ろう。いやあ、お疲れ、お疲れ」

 「その前に、ここで言っておきてえことがあんです」大地は朱里の父の前まで歩み寄ると、「あの、俺朱里と夫婦になります」満面の笑みで言った。「ふつつがもんですが、どんぞよろしくお願いします」深々と頭を下げた。

 「は?」朱里の父は瞠目する。

 「え?」その隣で朱里の母も口をぽかんと開けた。

 「いえ、だから、俺と朱里は夫婦になります。ほれ」と言って大地は朱里の左手を握って二人に見せた。薬指にはダイヤモンドの輝く指輪がはめられていた。左手を上げた朱里は頬を染めてにっこりと微笑む。「ほれ、こうして指輪も買ったで。夫婦になります」

 六人全員が固まった。

 「お、お、おめ、ふざけてんのが?」どうにかこうにか口火を切ったのは、大河である。「なんでそういうことになんで? おめら、付き合ってもねえべな!」

 「結婚って、おまえらまだ二十歳でねえが!」ルアンも慌てる。「成人式もまだだっぺよ!」

 「でも、結婚はできんだど? 別に付き合ってなぐでも。十八さ過ぎだら」大地は得意げに言った。

 大地の両親は、恐る恐る朱里の両親を横目で見る。

 「しゅ、朱里ちゃんはまだ大学生でねえのが……? だ、大学はどうすんで?」大地の母親が震える声で言った。

 「大学はちゃんと行って、卒業するよな?」

 朱里はこくりと嬉しそうに頷く。

 「見でみろよ朱里の恰好、花嫁様みてえだろ、白くってひらひらしででよお」大地が早速のろける。

 「おめ、朱里が白い服着てだから、結婚するって思いついたのが?」大河が頭を抱える。「やっぱり馬鹿だっぺ! 結婚は思い付きでするもんでねえべよ!」

 「ほっだごどでねえけどよお、でもちょうどいがべよ。花嫁様みてえで。な?」

 大地に顔を覗き込まれ、朱里は笑顔で頷いた。

 朱里の両親はただ目を瞬かせるのみ。

 どうにかこうにか八人は空港を出て、朱里の父親が借りて来たハイヤーに乗り込んだ。

 大地と朱里は楽し気に今後の結婚生活について話している。

 その後ろでルアンと大河は呆然と言葉を喪っている。

 さらにその後ろでは、大地の両親が最後尾の朱里の両親を恐る恐る何度も盗み見しながら、こそこそと内緒話をしている。

 朱里の両親は顔を固くしたまま、こちらもただただ押し黙っていた。

 そうして下妻に到着した。


 大地と朱里は名残惜し気に別れ、それぞれの自宅へと戻った。

 その夜遅くのことであった。大地の家に、朱里の両親がやってきたのは。

 「あれ、どうしました?」意外な来客に、玄関先で大地の母親は慌てる。

 「恐れ入ります。こんな夜分に大変失礼だとは十分に承知しておりますが、今日のことで、どうしてもお話をさせて頂きたく……」朱里の母親は絞り出すように言って頭を下げた。その隣では父親も深々と頭を下げる。

 ただならぬ状況に大地の母は夫を呼びつけ、二人を奥の部屋へと招いた。

 「結婚……」

 そう朱里の母親が口にした瞬間、大地の両親は慌てて平伏す。

 「うぢの馬鹿息子がとんでもねえことを言いやがりまして、いえ、うぢのような農家風情がそちらのお嬢様と縁続きになるなど……」

 「とんでもない!」朱里の母親も絶叫する。「うぢはお嬢様なんかでありません!」

 「いやいや、議員先生を代々出している家柄つうのは、どう考えてもうぢとは月とスッポン……」大地の父親も慌てて応戦する。

 「議員なんつうもんは公僕ですから! 支援者の方々あってのもんで家柄だのなんだの、ほっだらごどを言いに来たわけではなぐって」朱里の母親は既に涙ぐんでいた。

 「うぢの朱里は男なんです」

 静まる。

 朱里の父親が妻の背を優しく撫でながら言った。

 「たしかに朱里は女になる手術をしました。戸籍も女になりました。でも……」

 さすがに口淀んで、

 「……子をなすことはできません」

 朱里の母親は目頭を押さえつつしきりに頷いた。朱里の父親は続ける。

 「平野さんのお宅は江戸時代から続く由緒ある農家。代々この下妻の土地をずっと守ってこられた。ここで朱里が嫁いで、それを途絶えさせることはできません。」

 大地の両親は眉根を寄せて、朱里の両親を見つめる。

 「朱里は今浮かれてます。そらそうです。あの子はずっと生まれてこの方、言葉一つ出ねえし、体は弱いし、男としで生まれながら女になりてえって思ってで。そんな子ですから結婚なんざ夢にも見たことはなかったでしょう。生きられれば御の字。そんな子だったんです。それが大地君にプロポーズして頂いて、間違いなく今、天にも昇る気持ちでいると思います。でも、結婚つうものは家の存続がかかってる大事なものです。そこはきちんと親として説得しますから。だから、今回の話はなかったことに……」

 朱里の父親はそう言い終わるや否や、大きな茶封筒を差し出した。

 「大地君には、高価な指輪まで買わせてしまいました。朱里に聞いて驚きました。その分です。とりあえずはどうにかこちらを御収め頂いて」

 大地の両親は息を呑む。

 その時だった。襖が勢いよく開かれる。ーー大地だった。茫然としたまま、

 「……朱里が、言ったんですか? 結婚はしねえって……?」その声は震えていた。

 朱里の母親はさすがに視線を逸らし、「朱里には、これから言って聞かします」と絞り出すように言った。

 「厭だ! ほっだらごど絶対厭だ!」大地は叫んでそのまま走り去る。

 「大地!」大地の母親は立ち上がった。

 しかし大地は勢いよく廊下を走り、そのまま玄関を飛び出していく。

 「済みません、済みません。でも、でも……」大地の母親は慌てながらそれでも朱里の両親に真正面から向き合った。

 「うぢは、大地に無理矢理家を継がせようとは思ってませんです」母親はそう言って、確認し合うように夫と頷き合った。「というよりも、あの子がやりたいと思ったことを私らが止めるなんて、到底、無理な話ですから。もちろん家にいる時には農業手伝わせてはいますよ? けんど、あの子が見てるのは音楽だけで、音楽やりてえってなってからはもう、本当、そればっかり。朱里ちゃんのごども何度もうちで話してますよ。すげえ曲作るって。ギターが本当にうまいって」

 大地の父も頭を掻きながら続ける。

 「あいづが好きになって、夫婦になりてえってなったら、もうわしらには止められませんよ。それに、今の時代、農家に生まれたから家を無理やり継がせるなんて、時代に合ってねえです。本人の幸せ犠牲にしてまで繋いでかなきゃなんねえ家なんて、いらねえです。それよりも、自分らの人生、幸せに生きてもらう方がもっともっと大事でねえですか? 親として。俺はそう思ってんです」

 朱里の父母は驚いたように目を瞬かせた。

 「大地、朱里ちゃんのこと昔っから大好きだったでしょうよ。ほら、幼稚園で何度もジャンルグルジムのてっぺんから飛び降りて、脚は挫くは先生には怒られるはで」大地の母はくつくつ笑う。「あんまりそれが続くもんだから、おめ、なんで飛び降りんだって怒ったら、『朱里にかっこいいとご見せたかった!』って胸張って言うんだから、笑っちまいますよ」

 「幼稚園の頃っからまいんちまいんち朱里ちゃんち通い詰めで、年がら年中一緒にいだのに、ほんで子供できねえから引き離すなんて土台無理ですよ」大地の父もそう言って笑う。

 「それに朱里ちゃんことは、こっだに小さい頃から見てるからか、失礼な話ですけど自分の娘みてえに思ってましてね。元気になってくれて本当に良かった。きっと大地と一緒になったら、これからもずっとニコニコして元気に暮らせるんじゃねえですかね。手前味噌で恥ずかしいですけど、あの子は頭は悪いですが、周りを明るくするのは誰よりも得意な子ですから」

 その時、突然襖がバーンという大音を立てて開かれた。

 今度は大地と朱里であった。

 大地は怒っているような緊張しているような、今まで見たことのない表情で叫ぶように言った。

 「俺はどうしても朱里と夫婦になんなきゃ、だいなんです! 朱里もそうなんです! だからどうしても結婚を許してもらわねどだいなんです!」

 理屈もへったくれもあったものではない。

 「はい、わかりましたよ」大地の母が何でもないように言う。「どうぞどうぞお好きに結婚でもなんでもして下さい」

 「ほだ」大地の父もなんだか楽しそうに後を継ぐ。「ひとまず朱里ちゃんちの父ちゃん母ちゃんからほれ、結婚祝いさ貰ったど。お礼さ言ったらいがべ」そう言って先程朱里の両親から差し出された茶封筒をそのまま大地に手渡した。

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