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 朱里が搬送された病院は、車で十分程のところにあった。

 どのような手配があったのかはわからないが、病院に到着するなりすぐに朱里は医師の診察を受けそして、点滴の治療を受けられることとなった。

 キーリーは医師と何やらドイツ語で話をし、その内容を同行した大地、ルアン、大河とすぐさま共有した。

 それによれば、主な原因としては過労と貧血であり、とりあえず点滴を終え次第再度検査を行い、数値が改善していれば帰宅を許されるとのことであった。

 病室で点滴を受けている朱里は、倒れた時と変わらぬ青白い顔で眠っていた。

 その姿を見下ろしながら、大地は、

 「とりあえずは良かったべ」と呟く。「点滴さ打ってもらって、ちっと休んだら良くなるべ」

 ルアンは決まり悪そうにちら、と大地の顔を見た。

 キーリーがルアンを心配そうに見る。

 その隣で大河のスマホが何度も鳴っていた。大河は面倒くさそうに確認する。

 「さっきから何だべ?」大地が不審げに問うた。「びいびい、びいびい、うっせえな」

 「インタビューの依頼だべ」

 「は?」大地は頓狂な声を上げた。

 「ヴァッケンのステージさ観て、みんな俺ら、っつうが朱里に興味持ってあっぢこっぢ、知らねえようなところからも次々にインタビュー依頼が来てんだよ」

 「マジか?」

 大河は頷く。スマホの画面を見せる。数分おきに英語のメールが入っていた。

 「これ、全部インタビューさしちくろって用件なのが?」

 「ほだ……。まだなんも返してねえけど」

 大地は一瞬言葉を喪ったものの、すぐに舌打ちをして、「朱里は喋れねえっつって返事してやれ」と言い放つ。「こっちは今それどごろでねえし、元気んなったって朱里は喋れねえんだがら、変に期待持たせるよなごどしでも良くねえべ」

 「ほだいな」海里は頷く。

 「点滴効いてっがな」そう言って大地は朱里の顔を覗き込んだ。「ま、あとちっと寝てれば起き出せるようになっぺ。そしたらさっさと日本さ帰るべ」

 その時、「……朱里は帰れねえ」ルアンが意を決したように言った。

 「何言ってんで?」そう言って大地は眉根を寄せる。「こっだらどごに置いてけねえど。一緒に帰るに決まってっぺな」

 「……朱里は、ちゃんと体治さねどだいだ」

 大地は不審げにルアンの顔を見つめる。「どういうこどだ? ここで何日も入院でもさせんのが? 医者はほっだらごど言ってねえど?」

 「大地様」口ごもるルアンに代わり、キーリーが答える。

 「朱里様は性転換手術を受けた後専門の治療をお受けになっておりませんし、そのため実際にも体調は万全からは程遠い状況にあります。相当この数か月間ご無理をされてきたことは明白。ですから、この後朱里様は専門病院にて治療を受ける必要がございます」

 「そら、日本だっていいべ。なんで帰れねえっつう話になんだ?」

 「リアム様は、朱里様が性転換手術にかけては世界的権威を有するタイの病院で入院され、専門の治療を受けて療養されることを望んでおります。いえ、望むというよりも、それが朱里様をヴァッケンまでお連れするための条件でございました」

 「はあ?」大地は大声を発する。「俺ほっだらごど聞いてねえど!」

 「ルアン様はリアム様に語られました。朱里様がいかに優れたコンポーザーであるか。言葉を発することができない故の孤立や誤解、性別違和による長年の痛苦、それらを音楽で昇華し得る類稀なる存在であると。その音楽性はまさに唯一無二。それを証明したのが今回のライブであったと、私も感じております。だからこそ、その朱里様が体調を回復され、思うように作曲やライブ活動ができるようになれば、世界を驚嘆させる音楽を次々に生み出される。そう、ルアン様は明言されました。そして、それを聞いたリアム様は大きな期待を寄せられました。そして、ただルアン様がご要望なされたヴァッケンにお連れするということだけでは、朱里様を無理させるだけでマイナスであるとご判断になられたのでございます。ならばお連れする代わりに、その後しっかりと一流の専門家と施設で体を万全の状態にすることを条件とされ、その後音楽での更なるご活躍をご覧になりたいと、そう申されたのです。もちろん、その費用に関しては全てリアム様がお持ちになります。そしてルアン様はそれをご承諾になりました」

 「おめ、何勝手なこと言ってんだべ!」大地はルアンの胸を拳で叩く。

 「待て大地」大河が大地の拳を降ろさせる。「願ったり叶ったりでねえか。朱里にとって一番いいごどは何なのか、よぐよぐ考えてみたらいいべ。こったに辛いまま日本に帰って寝たり起きたり、無理したりしなかったりしてたって、良ぐはなんめ。だったらちっと時間がかかっても、しっかり専門の医者様に診でもらっで治した方がいいに決まってるべ。世界的にも有名な病院だっつうんであら、心強いべよ。さすがルアンの父ちゃんだべ。俺らじゃあほっだらコネもねえし、金だってねえべよ。ここは有難く話を受けるのが筋ってもんだべ」

 朱里の瞼がゆるゆると開く。

 「なあ、朱里。おめもしっかり治せるもんなら治したいべ? ヴァッケンは終わったんだ。今が一番いいタイミングだっぺ」

 朱里は小さく頷いた。そして涙ぐんだ瞳でルアンを見つめる。

 ーーありがとう。そう、その眼差しは語っていた。

 ルアンは安堵したように微笑んだ。

 「……タイでの入院っつうのは、どんぐれえかかるんで?」大地が諦めたように弱弱しく問う。

 「それは医師の診断によりますので、私にはわかりかねます。大抵は数カ月でしょう。おそらく一年はかかりますまい。ただ、朱里様は一般に性転換手術を受ける方々よりも年齢的にお若いですから、その分回復も早いはずです」

 大地は少し考え、そして頭を下げた。そっと点滴の入った朱里の手を握る。朱里も手を握り返した。

 「……わがっだ。きっちり治してこよ。いまちっとの辛抱だべ」

 朱里は微笑んだ。


 そうして大地らは日本へ、朱里はキーリーと共にプライベートジェットでタイへと飛び立つこととなった。

 朱里にとっては初めての地であったが、さすが世界的に名高い病院である。

 入院中の朱里は専門のカウンセラーも付けられ、精神的にも落ち込むこともなく、毎日のように大地とメッセージのやり取りを行っていた。

 その内容も、今日はたくさん眠れた、こんなものを食べた、病院の外を散歩した、病院内のジムでリハビリやった等々非常に前向きなもので、大地の心配をよそに、朱里の入院の日々はなんだかリゾート地に旅行をしているような楽し気なものだったので、次第に大地も安心していった。

 ーー少し太ったみたい。

 ーー良かったべ!

 ーー大地の作った梨が食べたいな

 ーー日本帰ってきたらすぐ食わせてやっぺよ

 ーー今日はお世話してくれる人と一緒に街へ買い物へ行って、可愛いワンピース買ったの。大地に見せたいな。

 ーー楽しみだべ!

 そんな他愛のないやりとりをしている内に、あっという間にキーリーの見立て通り、三カ月の入院の後、朱里は無事に退院できることとなった。

 その退院の日、ーー大地は一人、熱気溢れるタイの空港へと降り立っていた。


 しかし、朱里が入院している間、世界各国のメタルファンに対してIN YOUR FACEに関する情報がほぼ一切提供されなかったことで、ありもしない噂が一人歩きしていることにメンバーは気づく由もなかった。

 「朱里は喋ることができないので一切のインタビューはお断りします」大河の各国メタルメディアに送った返信は、とある憶測を生んだ。

 ーーShe lost her voice but gained musical talent; she's a modern-day mermaid princess.

 (彼女は声を失った代わりに音楽の才を得た、現代の人魚姫だ。)

 ーーWatch the live footage, the vocalist is seen picking up Syuri backstage right before the show. She can't walk.

 (ライブ映像を見てみろ、ライブ直前にステージ袖でボーカルが朱里を抱き上げている。彼女は歩けない。)

 ーーApparently, there's a lake called Sanuma in their hometown. Syuri is the mermaid princess of Sanuma.

 (彼等の故郷には砂沼、という湖があるらしい。朱里は砂沼の人魚姫だ。)

 ーーAccording to past interview articles, vocalist Daichi almost drowned in a sand swamp when he was a child. It was Mermaid Princess Syuri who saved him.

 (過去のインタビュー記事を見ると、ボーカルの大地が砂沼で幼少時溺れたことがあるらしい。それを救ったのが人魚姫朱里ということだ。)


 「とんでもねえことになってるべ」

 その噂に真っ先に気づいたのは下妻で二人の帰国を待つ大河だった。

 「いづの間にが朱里が人魚姫になってるべ!」

 「砂沼に人魚姫がいてたまっか!」ルアンも同じく呆れる。「ブラックバスしかいねべよ。釣りしてる父ちゃんらに聞いてみろ!」

 二人は困惑した顔を見合わせる。

 「やづら、朱里のこと何だと思ってんだべ?」ルアンが首をかしげる。

 「喋れねえつったのがまずかったか……」大河は冷や汗をかく。「でもいづまで待たれだどころで、インタビューさ受けれねえでねえか。本当のこという他あんめよ」

 「ほだいな(注:そうだよな)」

 噂はもはや収束不可能なところまで進んでいた。あの伝説的なギターソロに加え、バンドの全作曲を担うコンポーザーたる立ち位置のみならず、黒髪で色白、端正な顔立ちをした朱里は海外受けが抜群に良いらしかった。挙句の果てには、人魚姫朱里のファンアートなるものまで出てくる始末。

 砂沼、というにはあまりにもロマンティックであまりにも現実離れした海(そう、それは完全に沼ではなく海であった)でギターを奏でる朱里を模した人魚姫の姿が次々とアップされていく。

 月夜に照らされた海辺に座る人魚姫朱里、海に沈む大地を救う人魚姫朱里、脚を得たものの大地に抱えられ陸上を移動する元人魚姫朱里。

 もう、何がなんだかわかりやしない。

 「まあ、朱里が戻ってきたら相談してみっぺ」大河はそう言って肩をすくめた。

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