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ルアンの母親は、職場である宝飾店のカウンターにて、震える手でスマホ越しに息子の姿を食い入るように見つめていた。
先日ルアンから「見てくれ」と教えられたURL。ルアンが自分のことをそんな風にアピールしてくることは珍しい。小さい頃から、風貌に似合わず目立つことは好きではなかった。母親にも甘えたり我儘を言ったりすることは、本当に稀だった。だから嬉しかったし、実は今日は起きてからずっと時計とにらめっこしながら、いつルアンの出番が始まるのかそればかりを気にしていたのである。
もう、ルアンとは会えなくなって何年も経っていた。実に中学生以来である。それまでも、高校に入った、モデルをやった、というタイミングで写真を送って来たことはあったが、こうしてリアルタイムで動いている姿を見ることは別れて以来一度もなかった。
だからこそ、その息子がこんなにも逞しく、成長していることにまずは驚く。背もずいぶん伸びているし、見たことがないくらい髪も長い。そして隆々たる腕、脚の筋肉。
母は音楽は知らない。正直、興味もない。
ただそれでも、小さく愛らしかった息子が、こうして何万人という人々を前にしてドラムを叩いている姿を見られるとは思わなかった。まるで見違えるばかりの成長の姿と、怒濤の如きドラミングが強く強く胸に迫ってくる。
今、息子がこれに人生を注ぎ最大の情熱を持って取り組んでいるのだ、と思えばわからぬままにも瞼の奥が熱くなるのを感じる。
そこに、休憩から戻って来た同僚が背後からスマホを覗き込んだ。同世代の、同じく音楽なんぞにはさして興味もない女性である。
あらあなた、バンドなんて好きだったの? こんな、若い人が好きなようなものを。
そう問われて微笑みながら首を振る。
違うのよ。ドラムを叩いているの、私の息子なの。日本に置いてきてしまった、私の、息子。
本当に? 有名人なの? 知らなかったわ、凄いじゃない。
母は素直に頷いた。
そうなの、すごいの。この子はね、小さい頃から言葉もよくわからない日本で働いて、私たちを懸命に支えてくれていたのよ。弟妹の面倒も見てくれて、本当に優しい子だった。
けれどもね、私の過ちで私たちだけがベトナムに帰らざるを得なくなってしまったの。でもあの子は日本に残って、そして音楽を続けたのよ。もちろん一人ではできなかった。この子たちが息子の日本での生活を支えてくれたの。今一緒に演奏している、この子たちよ。
そこまで言ってついに涙が零れ落ちる。
私が支えてあげられなかった分、この子たちが息子を支えてくれて、そうしてこんな大きなステージに立てるようになったのよ。自慢の息子よ。
同僚も知らずもらい泣きをする。
かつて日本にいたことは聞いてはいた。しかし息子と離れ離れになったことまでは知らなかった。おそらくは言えなかったのに相違ない。「私の過ち」、彼女はそう言った。学もない伝手もない、貧しい出の女たちにはよくあることだ。しかしそこを追及することはナンセンス。無礼、とも言ってよい。ただ、女は黙ってルアンの母の背を摩った。
店に客が入ってくる。
慌ててルアンの母親は涙を拭き、こんにちは、ようこそ、と声をかけた。その声はしかし涙声だった。
ステージでは、大地、大河、朱里、ルアンがその全ての力量と熱意でもって本日最後となる曲を奏でていた。
ここだけを目指してきた。
ここだけを夢見てきた。
今までのすべてはこの日のためにあった。
唯一無二の必然性が、絶対的な説得力を有して人々の耳に突き刺さる。
観客はこの、日本からやってきた若き才能に瞠目し歓喜し、ほとんど波浪となってその音を讃えた。
大地は涙を払って天をも燃えよとばかりに叫び、狂った。もう、ここで朽ちても何の後悔もない。
大河も、朱里も、ルアンも全く同じ気持ちであった。
そして、最後の音が響く。名残惜し気に。嫌だ嫌だと強請るように。
音楽が時間的芸術であることが、苦しかった。でもその感動は、時間も場所も超えどこまでも広がっていた。
そうしてIN YOUR FACEのステージは幕を閉じた。
中でも特に印象を残したのは巨大なセットでもない、派手な火花でもない、たった一本の朱里のギターソロであった。
直後、海外メタルファンたちはこぞって自らの感想をネット上に吐露し始める。
ーーI've attended Wacken for 14 years.That was one of the most emotional guiter solos I've ever heard.
(14年ヴァッケンに通っているが、あれほど感情を揺さぶられたギターソロは記憶にない)
ーーI don't know her story. But that soro sounded like someone fightin death and winning.
(彼女の人生は知らない。でもあのソロは死と戦って勝った人の音だった)
ーーNo flashy shredding. No showing off, Just pure emotion.
(見せびらかす速弾きじゃない。ただ感情そのものだった)
ーーI was crying and I don't even know why.
(理由もわからず泣いていた)
ーーThe entire crowd went silent. In a metal festival. Think about how insane that is.
(メタルフェスの大観衆が完全に静まり返った。その凄さを考えてみろ)
ーーShe played like every painful thing in her life finally found a voice.
(人生の苦しみ全てがようやく声を得たみたいだった)
ーーmetal goddess
(メタルの女神)
とにかくも、IN YOUR FACEの初めての海外ステージが、最上の結果をもたらしたことに間違いはなかった。
しかし観客は誰も知らなかった。ステージを終えた直後、袖に戻った瞬間そのメタルの女神が倒れこんだことを。
咄嗟にその真後ろを歩いていたルアンが抱き抱える。
「朱里!」大地の悲痛な絶叫が響いた。
大河は慌ててレスキューを呼びつける。
控えていたキーリーが慌てて駆け付けた。
「大丈夫です。病院は押さえてあります。ルアン様、こちらへお連れしてください」
冷静なキーリーの対応に、咄嗟に青ざめた大地も落ち着きを取り戻す。
ルアンの腕の中で、目を閉じていた朱里はそれでも大丈夫だ、と言うように目を閉じたまま苦し気に二、三度頷いてみせた。




